42話

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42話

時間はあまりない。 生傷と痣だらけの裸にモッズコートを羽織り、ボタンをとめて狙撃手が走る。 コートと同じ位彼自身もズタボロだ。 「はあっ、はっ」 寝たふりを決め込んで夜目を慣らしておいてよかった。モーテルの間取りはどこも大体同じ、勢いドアを開け放てばコンクリ打ち放しの寒々しい床と壁、天井が出迎える。 部屋の中に三個檻があった。中で泣き疲れた子供たちが身を寄せ合っている。横たわる面積さえなく、互いの肩に凭れかかってまどろむ状況に現状に新鮮な怒りがこみ上げた。 「助けにきたぞ!!」 ずっと言いたかった言葉を声を限りに叫んで駆け寄る。 犯されている間中子供たちの事が頭の片隅にあった、重苦しく心を占めていた、狂おしく無事を祈り続けていた。 神様どうか子供たちを守ってください、これ以上酷いものを見せないでください。 この世界が優しくないなんてとっくに知ってる、それでもいるかいるかもわからないあんたに泣いて縋るこの俺の願いを聞き届けてください。 願いが叶った。 「ピジョンさん!」 泣き腫らしたチェシャが鉄格子を掴み、ハリーが節くれたしっぽをピンと逆立てる。シーハンは……いた、奥の檻に寄りかかって眠っている。 「ひどい怪我……さっきすごい音したよ」 「君たちこそ大丈夫?どこも痛まない?」 「オイラたちは擦り傷だけ。みんな、いけるよな!?」 ハリーが振り返って聞けばあちこちから「おうっ!」「ぴんぴんしてる!」と同意の声が上がった。 安堵と共に脱力感が襲い、膝から崩れ落ちそうになる。 「うちに帰ろう」 この子たちの家はボトムの孤児院だ。 全員無事に連れて帰る。 ダークに犯されながらピジョンはずっと隙を探っていた、窓の向こう側でスナイパーライフルを構える神父に気付いていた。 引退したとはいえ元狙撃手、その腕はいっかな衰えてない。ダークにねだった煙草の火は殺戮の弾丸(キルショット)の合図。ピジョンの期待に神父は見事こたえて報いてくれた、おかげで道が拓ける。 「誰か針金持ってたら貸してくれないか」 「知恵の輪でいい?」 ハリーが尻ポケットから引っ張り出した輪を素早く分解し、南京錠の鍵穴に先端をねじこむ。 ああくそ、穴を開けるの怖いなんて言わず安全ピンしとくんだった。スワローが耳タブにピンを刺しているのはちゃんと理由がある、アレはピッキング用の秘密道具だ。 子供たちが息を詰め見守る前で、手汗をかきながら知恵の輪をもてあそぶ。 あせればあせるほど空回り上手くいかない。 俺はスワローみたいにやれない、スワローにはなれない。とことんツイてなくてドンくさくて不器用な駄バトのまんま、これじゃアイツと会った時また笑われるぞ。 甲高い金属音が神経を逆なでする。南京錠は至ってシンプルな造り、スワローならものの五秒で開けるはず。ピッキングに手こずるピジョンの背後におもむろに影がさす。 「どけよアウルの稚児」 低く不機嫌な男の声に次いで銃声が炸裂、南京錠が弾け飛ぶ。鎖ごと爆ぜ散った南京錠の残骸を一瞥、そこにいた男に息を呑む。 「呉さん……なんで。助けにきてくれたんですか」 「迎えに来ただけだ」 誰をとは言わない。言わずともわかる。咄嗟に腕を交差させ顔を守るピジョンをよそに続けざま発砲、全ての檻の南京錠を壊す。喜び勇んで我先にと駆け出す子供たちを見送り、どうでもよさそうに呉が呟く。 「自分の足で出てくる元気がありゃ安泰」 「怖かったよおおおおおピジョンさん!」 号泣するチェシャを左腕で受け、同じく顔を真っ赤に染めたハリーを右腕で抱き止める。 「シスターゼシカや先生は?あのおっかないヤツらはどうなったの、まだ近くにいるの!?早くこっから逃げなきゃ、ヴィクにるすばんさせてらんねーもんアイツきっと寂しがる」 口々に訴えるチェシャとハリーの元気な様子に安堵し、視線を感じて顔を上げる。檻の奥で男の子が縮こまっていた。猿のミュータントらしい。茶褐色の毛皮で覆われたしっぽと丸い耳を畳み、こちらを警戒している。 「くるなよツルツル!やっぱお前ら野蛮だ、俺たちとっ捕まえて売り飛ばす魂胆なんだろ!」 「アンタまだそんなこと言ってんの、ピジョンさんは危険を承知で助けにきてくれたのよ!」 チェシャがしっぽを逆立て威嚇しハリーが前歯を剥きだす。猿の少年は涙目でみぞおちを抱え込む。 「ヴィ、ヴィク、アイツがきてからだ。アイツがもらわれてきた矢先に変なのが乗り込んできた、きっとスパイだよ裏切りもんだ、アイツが悪もん手引きしたんだよ!ド畜生帰ったら承知しねえぞ、エクストリームスペシャルダイナマイトミサイルをぶっこんで」 「麻袋の中にいた子だね」 「へ?」 猿の少年が固まる。 ピジョンは腰を屈めて檻に上半身を突っ込み、隅に寄る男の子に優しく手を差し伸べる。 確信があった、声が同じだ。ダークが麻袋を小突き回した時、かすかに漏れた呻き声と同じ。 あの時、ピジョンは人質の命を顧みず引き金を引いた。 目の前で泣き喚くこの少年はピジョンの判断ミスで命を落としていたかもしれないのだ。 「ごめんよ」 「泣いてんの?きしょ。てかアンタのほうが」 「浸んのは後回しな」 ピジョンの惨たらしい痣に声をなくす少年を促し、足癖悪く格子戸を蹴り開けた呉がシーハンを抱き上げる。 薄緑の鱗が浮いた頬には乾いた涙の跡があった。 「アウルがひっかき回してるうちにずらかるぜ」 「呉さん、あの」 「裸モッズコートって案外そそるよな。ムダ毛剃ってんの?」 「剃ってません」 「もともと薄いのか、確かにツルツルだ」 喉の奥でおかしげにひやかす呉。 ピジョンは子供たちを抱き上げ割れた窓から逃がしていく。チェシャとハリーの脱出を見届けたのち、じたばた暴れる猿の少年が窓を跨ぐ手伝いをする。 「人間の助けなんかいらねえ、猿のイレギュラーはすばしっこいんだぞ!」 「そうだね、君は特別(イレギュラー)だ」 擦り剥けた顔で微笑むピジョンに猿の少年が憮然と下唇を突き出す。 「あとはまかせて」 猿の少年を送り出した後、シーハンをしっかり抱いた呉が窓に片足をかける。 室内に居残るピジョンが呟く。 「他の子押しのけて真っ先に行くかと思いました」 「用があんのは娘だけ」 「最後まで待った理由は?」 「ちょっとでも長く抱いてたいから」 本気とも冗談とも判じかねる呟きを落とし、胸の中で安らぐシーハンを父性のかけらを宿す目で見詰める。 「なんて。泣けた?」 「臭いセリフですね。嫌いじゃないですよ」 「言い方が神父様に似てきたな。布教と洗脳はお手のものってか」 隣室の狙撃が止んだ。弾が尽きたか?装填には時間がかかる。足音が殺到してきた。呉が酷薄な笑顔を浮かべる。 「期待させちまったら悪いけど、俺様ちゃんはテメェの娘以外心底どうでもよくてね」 「でしょうね」 「お楽しみ(・・・・)をゆする材料になるかと思って付き合ってやったが、弟子がどうなろうが関係ねェし鉄火場ではしゃぐ気分じゃなくてよ」 「無駄口(ラトルスネイク)はいいから行ってください、シーハンが起きますよ」 神父の昔馴染みにピジョンを助ける義理はない。彼は娘を回収にきただけ、これ以上付き合わせるわけにはいかない。 スナイパーライフルはある。 ドッグタグもある。 この上何を望むリトル・ピジョン・バード、お前ならできるはずだ。 他でもない、ヤング・スワロー・バードの兄さんだろ? 「じゃあな、アウルの秘蔵っ子」 呉が颯爽と窓枠を乗り越え着地すると同時、開けっぱなしのドアからゴーストとダークがなだれこむ。 すぐさま思考を切り替える。 自分の役目は足止め、子供たちが逃げおおせる時間を稼ぐこと。 「なめたまねしくさりよって俺の上で腰振っとったん全部演技か!」 「それがどうかしたかライオンさん」 肩から出血するダークの遠吠えをせせら笑いスナイパーライフルを構えて一発、赤錆の瞳に火を熾す。 「俺の肉はうまかったろ?たらふくごちそうしてやったんだからそろそろおねんねの時間じゃないか」 「ガキどもは逃げたあとか。仲間と示し合わせたんやな、案外オツムキレるやん」 ゴーストが鞘を払って刀を抜く。 来る。 二発目、スナイパーライフルの反動を殺さず上手く流して窓枠を越える。 一回転して着地、逃走。初弾はダークの足元の床、次弾はゴーストの横の壁に撃ちこんだ。 「さんざん嬲ってやったちゅーに見かけによらずタフやな、まだ動けるんかい!」 「なんぞドラッグでもやっとるんちゃうんか」 かもしれない。わからない。さっきからずっと体が変だ、ぞくぞくが止まらない、火照って疼いてしかたない。 「狩りに来いよゴースト&ダークネス」 鼓動が大きく膨らんで響き渡り、ドクドクと心臓が脈打って血を送り出す。 苦しい。 気持ちいい。 窓枠を飛び越え先陣を切るダークに刀を背負って続くゴースト、獅子奮迅に肉薄する兄と弟を脳内麻薬垂れ流しで狙撃に次ぐ狙撃。 「人の商売邪魔すな!」 「肉は肉らしゅうしとれ!」 獅子吼(ししく)するダークが振り抜くメリケンサックの残像を見切って躱しゴーストが薙ぎ払った白刃をかいくぐる。 「お前らこそ、アブノーマル(あの子たちの)ノーマル(まとも)な日常を邪魔するなよ」 体が軽い。 どこまでも飛んでいけそうだ。 未知の麻薬が回りゆく感覚に細胞一個一個が沸き立ち、きな臭い愉悦に酔い痴れて弾丸を叩き込む。 今だ。 「先生!」 「承りました」 装填を終えた師の増援。倉庫の上に片膝立てた神父がカソックの裾を翻し、引き金を引く。 「っ!」 ゴーストが刃で防御するよりコンマ一秒早く音速の弾丸がこめかみを霞め、脳震盪を引き起こす。 「ビッグブラザー!!」 血相変えたダークが叫んで兄を抱きとめるのを許さず次がきた。あっちは二人こっちも二人、ならば飛び道具が使える方に利がある。半年かけて師から授かった知識や技術、全てを今この瞬間に注ぎ込んで外堀を埋めていく。 「こンのド腐れ外道がっ、遠くからしか攻撃できん腰抜けスナイパー風情がイキっとるんちゃうぞ!」 「汚い遠吠えですね」 威風堂々たる所作で立ち上がった神父の瞳が赤く輝き、地上のピジョンも赤い目を向ける。 殺気を帯びた赤目の師弟が射線上の死角を補い合い、抜群のコンビネーションで手負いのライオンたちを追い詰めていく。 オールバックに撫で付けた赤毛の下、穏やかな笑みを浮かべた神父が告げた。 「私いま、結構本気で怒ってますよ。あなた方が子供をさらって弟子をいじめたからです」 「スコープ覗いてさかっとったんかい変態、まぜてもらえんで残念やったな!」 「あかんダーク!」 ゴーストの制止も聞かず青筋立てて怒鳴ったダークの膝を弾丸が粉砕、悶絶させる。 「何人さらいました?何人犯しました?何人殺しました?どうぞご遠慮なくおっしゃりなさい、あなた方が為した罪の数だけ撃ちこんでさしあげますよ。死なないように優しく……ご安心ください、全て終われば金輪際罪を犯すことなどできない清い体になってますから」 もんどりうって喚くダークをジープまで引きずっていくゴースト、逃がすまじと駐車場に降り立った神父が銃を掲げた時……。 ピジョンに限界が来た。 「!?ピジョン君っ、」 前のめりに倒れこむピジョンを支える神父に猛スピードで突っ込むジープ。轢き殺される寸前にとびのけば、助手席の窓から乗り出したダークが中指を立てる。 「今医者に連れていきます。頑張りましたね」 後輪をパンクさせるか弟子を介抱するかを天秤にかけ、迷わず後者を選ぶ。仰向けに寝かせたピジョンの瞼が微痙攣し、瞳の赤みが急激に薄れていく。 「この目は……何故君が」 虹彩の変色は例のドラッグの常習者にしか起こりえない症状だ。神父はもともと青い瞳だが、薬物の影響で紫に変わった経緯がある。稀に親子間でも遺伝するらしいが……母親、もしくは父親が使っていたのか? 「っは、かはっ、先生」 「ここにいますよ」 「アイツら、は、子どもたち、は」 「連中はジープで去りました。子どもたちも全員無事です、私の友人が手配した車に乗り込むのを確認しました」 「よかっ、た。おれ」 「しゃべらないで、もういいですから」 「シスターゼシカ、みんなのとこ、あッぐ、うちに早く、かえって」 左手でカソックを掴み縋り付く。右手でドッグタグを握り締める。まずい、ショック症状だ。 例のドラックには重篤な副作用がある、極度の興奮と集中をもたらす代償に心身にダメージを被るのだ。本来立ち上がれるはずもない、戦闘を続行できるはずもないピジョンが動けたのがドラッグの作用なら…… 「おれ、ちゃんと、飛べましたよね」 先生の足を引っ張らず。 「一人前って認めてもらえます、よね」 子どもたちを取り返せた。 突っかえ突っかえ述べる弟子が緩く抱えたライフルに自分のそれを交差(クロス)させ、神父がロザリオを外す。 「卒業試験は合格です。君は私が認めた狙撃手で、一人前の賞金稼ぎです」 無気力にうなだれる弟子の首に数珠を通し、十字架を正しく掛け直す。 「あッ、ぁぁっ、ふゥうッぁ、かふッぁ」 ライフルを手挟んだままタグと十字架両方に涙を落とすピジョンを抱きしめ、悪夢を見た子どもにするように背中をなでる。 「やったぞ、ッは、スワロー」 されるがまま神父の肩口にもたれ、ピジョンが笑いだす。 今ここにいない弟に向かって、猛追に逃亡を余儀なくされた外道に向かって、ボロボロに成り果てなお快哉を上げる。 「っはは、はは、かふッ、ぁっははははは!ほら見ろやればできたじゃないか、これで俺のこと見直すよな、あゥっぐ、おっ、お前がいなくてもちゃんとできるって証明したんだ、もうだれにもおまけなんて言わせない、いたかいなかったかもわからないスワローの兄貴じゃなくてバード兄弟で売り出せる、母さんにも手紙で報告できるぞ喜べよ俺はすごいお前のすごい兄さんなんだぞ!」 一人前になれば、危ない時に助けてやれると思った。 絶対頼ってもらえると思った。 「まんまとひっかかっていい気味だざまーみろ、ッく、芝居を本気にして、ははッ、ゆ、油断してっ、お、おれのこと何もできないってなめてるから、ヴぃ、ヴィクテムを払わせてやったんだ」 途中から笑い声がブレ、揺らぎ、嗚咽とまじりあって震えだす。 何年も前に克服したはずのどもりが復活し、情けなく顔が歪む。 「ふぐ、ふゥーッうっ……ざまーみろくそったれ、お、お前らなんか……」 カソックに皺が寄る。力ない拳が胸を叩く。何度も何度も繰り返し、だんだん強く力を込めて。 梟の翼めいたカソックの袖でピジョンを包み、夜に溶ける優しい声で神父が囁く。 「怖かったですね。よく我慢しました」 その一言で、子どもたちを助けるまではと堰き止めていた感情の堰が決壊する。 モッズコートの肩が抜け、乾いた白濁と淫らな痣に塗れた肌が暴かれる。 剥きだしの下肢には血が伝っていた。 凌辱の痕跡も生々しく、躁状態が振り切れて心をこそぎとられたピジョンが虚ろに呟く。 「死にたいよ先生」 犯したヤツに媚びるのが、憎んでるヤツに抱かれて感じるのがこんなにキツイなんて知らなかった。 ずっと知らないままでいたかった。 「無理なら消えたい」 お前以外に感じたりなんかしない。 そうだったらいいのに。 「消えてなくなりたい」 母さんのまねしただけ。娼婦の息子だから簡単だ。 本当にそういえるか?悦んでたじゃないか。 お前を裏切った俺なんかいらない。 お前を貶めた俺なんかいらない。 お前じゃなくてもいい俺なんかいらない。 自分から腰を振ったしゃぶった食い締めた、唇が切れるまで膝が擦れるまで奉仕してその間ずっとお前のことを考えてた、アイツがお前だって思い込んで耐え抜いたけどお前じゃないって心の底ではちゃんとわかってお前じゃないのによがりまくった。 先生が見ていた。 偽れない。
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