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きれいな色彩の絵をたくさん渡された。
水彩画だ。短い時間で、迷わず仕上げた絵ばかりだ。
構図もよかった。描かれた友人や家族の表情も活き活きしていた。
表紙には一枚だけ絵を載せたい、と、クライアントは言った。
「表紙に使う絵はおまかせします」
指示はそれだけだった。
どの絵を使っても表紙はサマになるな、とぼくは思った。
楽な仕事だ。
中学校に入学してから今年の一月までの、日付が跳び跳びの日記。
それをB5サイズのページに十ポイントの明朝体で流し、水彩画を配置してゆく。
教室の窓から見た夕陽、ベッドの脇の花瓶、数学の授業、体温計を差し出す看護婦、雪に埋もれた校庭、チョコレートを持って見舞いに来たクラス・メイト、家族とでかけた海辺、机の上の給食と向かい合った友人、雨の花壇、車椅子。
大半の絵は日記が書かれた日に描かれていた。
日記を読めば、彼女がどんな想いで描いた絵なのか想像はついた。
ようやく通えるようになった中学校。
病院から開放され浮き立つ気持ち。
自覚がなかったのに身体が成長して、少し大きなサイズに変わった車椅子の違和感。
友人の片思いの話、自分自身の淡い恋心。
二週間の入院で沈む心。
期末テストの一週間前の決意。
夏休みの海辺の開放感。
親に隠した小さな体調不良。
いつからか楽しいと思うようになった数学の授業。
入院。看護婦のやさしい言葉。
病室の窓を叩く雨。
車椅子での通学。車椅子での授業。
彼女は卒業の二月前に亡くなった。
クライアントはいつも仕事をもらう代理店のひとだが、これは代理店の仕事ではなかった。個人としての仕事。
この本はクライアントの亡くなった娘の偲び草だ。
二つ、とまどうことがあった。
まず、彼女の顔写真がなかった。
あとで挿れろと言われて、レイアウトが変更になるのはよくある話だ。
クライアントに電話すると、載せなくていい、と言われた。
ぜひ載せたいというわけではなかった。
ただ、彼女の顔を見てみたい、と、ぼくがすこし思っただけだ。
そして、日記のどこにも当てはまらない絵が一枚あった。
日記を三度読み返しても見当がつかない。
正確に言えば絵ではなかった。床に置いた水彩画を撮った素人写真。斜め上から撮っているから、絵は台形に煽られていた。
大判に伸ばしてあったが、ひどい青被りの写真だった。季節も場所もわかならいほど昏かった。
しかも、描いてあるのはバケツ。それを上から描いた絵だ。
バケツの中身はわからない。
たいした絵ではないな、と思った。
挿れないほうがよかった。今なら三十二ページで収まる。オフセット印刷で、三百部。印刷は四六判四つ切りでちょうど四台。製本もやりやすい。下手に挿れるとページが増え、予算もかさみ、製本もやりにくい。
クライアントには、外してもいい、と言われた。
「捨ててあった絵なんです。ただ、燃やす前に写真に撮っただけで」
この絵は外そう。そう決めて、事務所を出た。
その夜はなぜか寝つけなかった。しきりに彼女の絵を想い出した。
水彩画は上手なひとしか描かない。
油絵のようにカンヴァスを削って、失敗を正せない。
CGのように、アングルや色を変えたヴァリエーションから気に入ったものを選ぶこともできない。
彼女はどの絵も短い時間で描きあげていた。
彼女には時間がなかった。手直しする時間も、選ぶ時間も。
ぼくが世界にはいくらでも時間があると思っていた歳に。
なぜあの絵を捨てたのだろう?
ぼくが睡ったのは三時過ぎだった。
楽な仕事と宣言したのは誰だ?
翌朝、ぼくはバケツの絵をスキャンした。
トーンカーブで大まかに青被りを取った。
RGB各のチャンネルのカラーバランスを補正した。
台形に煽られ歪んだ縦横比を、変形ツールでケント紙の比率に戻した。
印刷用にCMYKモードに再変換して、また少し色調を補正した。
フィルターをかけ、シャープに仕上げた。
細部がくっきり見えた。
部屋に飾りたい、と思う絵ではなかった。
見下ろすブリキのバケツには、床掃除で汚れた水。
学校の掃除の時間。
人の姿はなかったが、クラス・メイトが掃除をするざわめきが感じられた。
明るい教室の窓辺に置かれたバケツ。
水面には陽射しが踊っていた。一枚だけ花びらが浮いていた。桜の花びらだ。
春だ。春の絵だ。
ぼくはモニタの絵を見つめ続けた。
春の絵、それはわかった。
だけど、なにあらわしているのだろう。なぜ捨てたのだろう。
外してもいい。
挿れてもいい。
あるいは…。いや、まさか、それはない。
「いや、まさか」と先生は言った。「これはない」
デザイン事務所の主宰者の一言は決定的だ。ぼくは先生の名を冠した事務所のアソシエイツに過ぎない。
本文のデザインに問題はなかった。シンプルで、穏当。悪く言えば、誰が担当してもこんなものだろうと思える凡庸なデザイン。しかし、親類や友人に配る偲び草としては妥当なものだ。
ダメ出しは表紙だ。一案目、二案目、三案目は、オーケイ。
四案目で、先生の眉間にシワが寄った。
「なんでバケツ?説明してみて」
言葉に詰まった。
ぼくは事務所のコピーライターも兼ねているから、プレゼン用の資料も作る。デザイン意図を二百字と言われれば二百字で、四百字と言われれば四百字で提出できる。先生のデザイン意図が不明瞭なときも、これ以上はないというくらい、もっともらしく、でっち上げてきた。
なのに、言葉に詰まった。
「めずらしいねぇ」先生が言った。「ま、いいよ」
クライアントの面前でプレゼンするわけでもない。説明用の資料も要らない。オンデマンド印刷の見本を封筒に詰めて、バイク便でクライアントの家に送りつけるだけだ。
「三案だけ送りますか?」ぼくは訊いた。
「全部送ってよ」
どうせ、ボツるだろうけど。声にしなくても、それは聞こえた。
表紙は二案目の海辺の絵に決まり、二度校正を出して、下版した。
納品はいつだったのか、気がついたら見本の棚に完成した本が並んでいた。
しばらくして、あのクライアントから電話があった。
「バケツの表紙のデータは残ってますか?」
「まだ、消してませんけど…」
「あの絵で表紙を作れませんか?」
「三百部、全部やり直すんですか?」
一部でいい、とクライアントが言った。クライアントの母、彼女の祖母の分だ。
「じゃ、カラープリンタで一部だけカバーを作りましょう」
それなら表紙を外して、製本しなおす手間もいらない。本をくるむだけですむ。カラープリントを一枚出すだけだ。インクが出なくなったボールペンで折り目をつけ、カッターナイフで断裁する。コストもかからない。
「しかし、なぜ、こんなに突然に?」
「おばあちゃんが、たまたま校正紙を見つけてね」
この絵がいい、この絵がほしい、と言ったのだ。
自分の本の表紙はこれにしたい、と。
「二時間でできます?」
「そんなに急ぐんですか?」
祖母は今夜七時半の新幹線で遠くの街へ帰る。今は午後三時半だ。
直接、本人が引き取り来ると言う。
「今から、ここに?後日、郵送じゃだめですか?」
「年寄りだからね。言い出したら聞かないんですよ」
去年の暮の日記には、おばあちゃんと三十分くらい話した、と書かれていただけだ。どんな話をしたのかは書かれていなかった。
電話を切ると、すぐカバーを作った。
二月ぶりにバケツの絵を見た。
大掃除でたまたま見つけたアルバムで、名前を忘れた友だちに出会ったような気がした。
水菓子の包みをたずさえ、彼女の祖母は、ぼくをたずねてきた。
草履に絽の着物。穏やかな顔立ち。上品な声。
「ごめんくださいね、急に押しかけて」
どう見ても、言い出したら聞かない、わがままを押し通すひとには見えなかった。おばあちゃんというより、老婦人と呼ぶほうがしっくりくる。
どうしても直接お礼を言いたかったものだから、と彼女の祖母は言った。
「カバーは簡単に作れますから」
「ええ、それもですけど、あの絵を選んでくださったことにね」
「はい?」
「あの娘は、何枚もあのバケツの絵を描きました。全部同じ視点で描くんです。描いては焼き捨て、描いては焼き捨て、バカみたい、と自分で言ってました」
「絵が気に入らなかったんですか?」
「気に入ってましたよ。あれは、言わば、あの娘の戦友の絵ですから」
「戦友?…いささか物騒ですね」
「失礼ですけど、どうしてあの絵を表紙に使おうとお思いになったの」
「あれは」と、言葉に詰まることなく、ぼくは言った。
「日記に書くことさえ憚った自分のほんとうの気持ちを表現しているように思えました。彼女、掃除の時間、車椅子からバケツを見下ろすことしかできなかったでしょう?」
老婦人は笑顔を見せた。
ぼくに、というより、ここにいない誰かに笑いかけたようだった。
「みんなが掃除しているのに、教室で動いてないのは、あの娘とあのバケツだけ。何度描いても、視点はいつも同じ。構図も同じ。それは焼き捨てたくもなるでしょう。
あの娘の願いは実にささやかなこと。ひとが聞いたら笑うようなことでした。
ただ、みんなといっしょに教室の掃除がしたい。
それだけだったんですから。
笑ってしまうでしょう?」
彼女の祖母が腰を上げ、再び礼を言い、短く別れの言葉を告げた。
ぼくはカバーをもう一枚作り、見本の棚の本に巻き、自分の部屋に持って帰った。
それから何度か引っ越しをするうち、あの本はどこにしまい込んだかわからなくなった。
残念ではない。
捨てたわけではないから、いつか、再会するはずだ。思いがけないときに。
そのときはこう言ってやろう。
「やあ、また会えたね」
END
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