深雪

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 雪の朝はしずかだ。  ひんやりとして凛と澄んだ空気に、  微かに甘い林檎の香りが漂っている。  昨日、林檎の産地の知人から段ボールが一箱送られてきた。受け取ったまま玄関に置いていたが、誰も動き回らない夜の間に、林檎の香りだけが家中を徘徊したらしい。  締め切った雨戸の隙間からは一筋の光。  布団から出て、冷たい空気に身を震わせながら、雨戸を開け放つ。  一日の始まり。  一人で暮らすようになって、もうずいぶん経つ。  子どもの頃、こんな朝は玄関を出て、一番先に家を出た父の足跡を探した。  後から出て来る家族が歩きやすいように、いつもより歩幅を小さくして、道を作りながら歩いていた。  その足跡に足をのせて、父と行先が分かれるところまで歩いた。  つけてくれた足跡から外れないように。  今は後にも先にも誰もいない。  父の足跡を息を詰めてなぞることもなく、  光に溢れた青空の下、新雪を踏みしめて、自分で道を作っている。  自分一人で歩く道を。  もし気遣う相手が自分にもいたら、  歩幅を小さくして足跡をつけ、道を作るのだろうか。  在りし日の、父のように。
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