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吐き出す場所2
「朝早いけど起きてくれるか?」
約束の日の前日、武史が千尋に確認する。
「大丈夫だけど、どこ行くの?」
「海や」
翌日、日の出前に二人で連れだって車に乗り込む。朝早いため、ほとんど車通りがない町を武志は静かに走る。
この時間の町を見るのが初めての千尋の目線は、静まり返った風景を見逃すことのないように追いかける。
「静かだね。東京とは大違い」
すれ違う車も人もほとんどいない町を見ていると、ここに千尋と武志しかいないような感覚にとらわれる。
音楽も流れていない車内で聞こえるのは、エンジン音と武志の車を動かす音のみ。
(タケちゃん...)
静かな静かな車内で千尋はずっと頭の片隅にいた柳田のことを忘れ、黙って隣にいる武志のことを必要以上に意識をしていた。
「ついたで」
20分ほど車を動かした武志はある場所の駐車場に車を止める。
後を追いかけるように車を降りた千尋に武志は手を伸ばす。
戸惑っている千尋に武志は笑いながら声をかける。
「暗いから慣れてないと危ないからな」
先程まで変に意識をしていた男の手をつなぐのは恥ずかしいものがあったが、赤くなった千尋の顔は暗闇が隠してくれたようだ。
武志は千尋の表情に気付かず、手を引き浜辺に向かう。
「気ぃつけや」
浜辺に足をとられないように歩いていき、陽が昇る方向が見えるように千尋を石でできた階段のような場所に座らせる。
「間に合ったな」
横にあぐらをかきながら座った武志はささやくように口を開く。
「夜明けの瞬間って見たことあるか」
「ない」
「そうか」
武史は前を見ながら、千尋に言う。
「そろそろ夜明けや」
促されるように海の方に目を向けると、水平線から陽が昇ってくる。
初めて見る日の出はキレイだった。
だが…
(タケちゃんは何で連れてきたんだろう)
早起きをしてまで見たい風景かと言われると、千尋にはわからなかった。
腑に落ちない様子の千尋に言葉を選びながら伝える。
「毎日見とんやけど、日によって全然表情が違うんや。めっちゃキレイに見える日もあれば、大したことない日もある」
朝日を見ながら武志は千尋に話しかける。
「心がモヤモヤしているときはキレイに見えんのや。今日の千尋にはどう見えた?」
千尋の様子を見ると大したことない風景に思えているのはわかっていたが、敢えて武志は踏み込んで尋ねる。
「タケちゃんにはどう見えたの?」
「俺か?俺はキレイに見えとらん。ここ数日悩んでいるからな。というか心配しとるから」
「私でよければ聞くよ」
そうか、と呟いた武志は千尋をじっと見つめる。千尋も武志の視線を正面から受け止めるが、何かを見通すような表情に思わず目線をずらしてしまう。
「タバコ吸っていいか?」
「いいよ」
武志の目線が自分から外れたことにホッとしながら千尋は答える。武志は手元に置いていたタバコを咥えると、煙が千尋に当たらないように息を吐く。
漂うタバコの臭いに一瞬切なそうな顔をするが、すぐに表情を元に戻す千尋に武志は問いかける。
「前の男も俺と同じタバコ吸いよったんか?」
「え?」
突然のことに言葉が出てこない千尋に言葉を重ねる。
「千尋、俺がタバコ吸うと切なそうな表情しよる。秀樹が来た時に不倫という言葉に反応しよったやろ?トシが言っていた柳田という男が原因なんか?そいつと不倫しよったんか?」
千尋は固まった。武史の観察力に驚き、自分がそんなにわかりやすかったことを恥じた。
ふぅ、と息を吐き出し、バレてたんだ、と呟いた。
「タケちゃんの悩みってもしかして私のこと?」
「そうや。ホンマは千尋が話すまでは待っとくつもやったけど待てんかった。
約束守れんくて悪い。...やけど、追い詰めるように仕事しよる千尋が見ていて心配なんや。
言えんなら言えんでもええ。ただ、力抜かんと倒れるぞ」
そう言いながら口をつぐみタバコを吸う。千尋も何も言えないまま黙り込んだ。
武史がタバコを吸い終わり、吸い殻を携帯灰皿に入れた頃、千尋は口を開いた。
「タケちゃん、心配かけてごめんね」
「俺は何もしとらんよ。勝手に心配しとるだけや」
気にするなというように笑顔を見せる武志に千尋は大きく息を吸う。
「柳田さんもタケちゃんと同じタバコ吸っていたの」
吐く息と共に苦しそうな声で千尋は告白を始めた。
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