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過去の男4
好き、会いたい、選んでほしかった
その言葉を嗚咽混じりの声で吐き出す。
その度に武史は千尋の言葉を否定せず受け止める。
(タケちゃん、おじいちゃんみたい)
年下なのに、何か悟っているような落ち着き。
とても心地よかった。
散々泣き続け、武史の胸を涙でぐっしょり濡らすと、少し落ち着いた。
子どものように泣いたのが恥ずかしくて顔をあげれないまま、ゆっくり武史の腕から離れる。
「…ありがとう」
無言で頭を撫でた武史は、自分の着ていたジャンパーを千尋の頭にかけ、立ち上がる。
「飲みもん買ってくるわ」
そう言って武史が離れると、また涙が溢れる。
(見えないようにしてくれているんだ)
武史の気遣いが嬉しかった。
「どんな男やったんや?」
飲み物と、車から取ってきたタオルを渡しながら千尋に尋ねる。
ジャンパーを武史に返しながら、きょとんとしている千尋に重ねて聞く。
「千尋が好きになった柳田さんは、どんな男やったんや?」
水を一口飲むと、千尋は柳田のことを表す言葉を探す。
「男性としてはダメな人だよ。自分勝手で一緒にいる時でもいつも皮肉そうな顔しているの。人生に飽きたように」
話していると、一度引っ込んだ涙がまた溢れる。
武史は何も言わずに優しく頭を撫でる。
「ダメな人なのに、あの人が手掛ける作品は美しくて、でも、どこか危うくて壊れそうで。この人の心の中ってどうなっているんだろう、と思った時には惹かれていた」
千尋は噛みしめるように一言一言発する。
「どこが好きやったんや?」
今度の沈黙は長かった。じっと考えていたが諦めたようにため息をついた。
「…だめだ、思い浮かばない。イヤなところはいっぱいあったのに」
「そうか」
「呆れてる?」
「いや。それでも好きと言えるくらい惚れとったんやな、と思っただけや」
胸が詰まって、言葉はすぐに出てこなかった。
武史は黙ってタバコを手に取ると、少しだけ千尋を気遣う素振りを見せる。
大丈夫、と唇だけで伝える千尋に微笑むと
武史はタバコを吸い始める。
仄かに香るタバコの匂いを嗅いでいると、どうしても柳田のことを思い出す。
「…すごく好きだったの、柳田さんのこと」
「そうやろうなぁ、今でも惚れて大泣きするくらいやもんな」
半分茶化してくれる武史の言葉に思わず苦笑が漏れる。
「そうなの。今でも好きで忘れられない」
「会いたいんか?」
「…うん、会いたい。でも会わない。あの人は結婚しているから。本当に大切だったら、私を選んでくれるなら不倫しないでしょ」
それだけは譲らないというように固い決意を口にする。
「私、一番がいいの。その人の一番大切な存在になりたい。...だから柳田さんじゃないの。それに不倫なんかしたくないしね」
武志は安心したように笑う。
「それならええわ。奥さんおること知ってもまだ付き合いたいと言うんなら、全力で止めたわ」
「しないよ、そんなこと。でも、タケちゃんを利用しているの。今目の前に柳田さん現れたら拒めない。それがわかっていたから、遠くに来たし、一人暮らしをしなかった」
「ええって、そんなこと。利用できるもんは利用しいや」
貸しにしといたるわ、そう言う武志の言葉に甘える。
「でも、まだ好きで、忘れられない。タケちゃんが吸うタバコの匂いで思い出して切なくなるくらいに」
武志は黙ってタバコを消す。
「気にしなくていいのに」
「もう吸い終わってたんや」
ぶっきらぼうにいう武志に千尋は声をたてて笑った。
笑いながらも、零れる涙。武志は何も言わず、千尋が落ち着くまでずっと側にいた。
泣きつかれたのか家に帰った武志が少し目を離した隙に、千尋は居間で眠っていた。
「風邪ひくぞ」
「ん...」
軽く揺すって起こそうとするが、すべて吐き出して安心したのか、千尋が目覚めることはなかった。
諦めたように頭をかくと、来客用の布団を敷く。
抱き上げ、そっと布団に寝かせても起きないくらい深い眠りだった。
どこからともなくトラが現れて、千尋の横に入り込む。
トラを抱き枕のように抱きしめる千尋を、武志は優しく見つめる。
「ええ顔で寝よるわ。...ゆっくり休みや」
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