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初恋と今1
「また来とんか、さくら」
「武志先輩、お邪魔しています」
武志が仕事から帰ってくると、秀樹の妻のさくらが遊びに来ていた。
「タケちゃん、おかえりなさい」
台所から出てきた千尋が武志を出迎える。
「さくらちゃんからお裾分けもらったの」
あの告白の日から1ヶ月がたち、千尋は目に見えて明るくなった。本来の千尋はこちらなんだろう。無理せず、自然体に過ごすようになった。
仕事の量も少し減らした様子だった。少なくとも週1回は休みを取るようにしている様子だった。
近所の人とも行き来しているようで、特にさくらとは気があったのか時折家に帰ると今日みたいに遊びに来ていることもあった。
武志にとってもさくらは秀樹の奥さん以前に小・中学校の後輩ということもあり、気安い関係だ。
「武志先輩、今日青年団の集まりでいつもの店に来てって、秀樹が言ってましたよ」
「わかった、あとで連絡しとくわ」
「じゃ、子どもの迎えあるんで帰りますわ。ちーちゃん、これありがとう」
そう言ってさくらは千尋が持たせたおかずを片手に帰っていった。
「今日集まりだけど、晩御飯どうする?」
そう尋ねる千尋にいつもの返事をした。
「んで、また食ってきたんか!」
そう言って秀樹はビールを飲み干す。武史はチビチビと焼酎を舐めるように飲む。
「お前が食わんかっても割り勘やぞ」
「わかっとるわ。…それでも千尋と一緒に飯食いたいんや」
「でも、千尋ちゃん、気付いてないやろ?」
秀樹がからかうように笑う。ブスッとした顔の武史は黙って酒を飲んだ。
※
自覚した時にはもう、どうしようも無いくらい惹かれていた。
あの告白の日から、涙腺が壊れたように時折目を真っ赤にしている千尋を見てられなかった。
居間でコーヒーを飲んでいた千尋の横に座り、武史は話しかける。
「一人で泣くなや。聞いたるから」
「だって、タケちゃんに悪い。これ以上はダメだよ」
「今更やろ。親戚なんやし甘えたらええ」
親を小さい頃に亡くした千尋は、甘えるということに関して恐ろしく不器用だった。
そして、その癖甘えたくてたまらない人間だった。
「…ダメだよ。親の代わりを求めているだけだから。それに恥ずかしいよ、大人なのに人前であんなに泣くの」
「別にいいやろ、自覚しとんなら。それに小さい頃入れるともっと恥ずかしいこと見とるわ、親戚なんやし。今更やろ」
昔の恥ずかしい写真持ってきたろか?という武史に、顔を真っ赤にして怒る千尋。
そんな千尋を胸に抱き寄せる。
「ええって。一人で泣いとるのを見せられるほうがしんどいわ」
ポンポンと背中を撫でると、堪えていた涙を流す。
(相変わらず泣くの下手やなぁ)
武史しかいないのに声を抑えながら、静かに泣く千尋。
限界まで我慢して我慢してはち切れるまで、我慢を重ねる。
「まだ…ダメなの。どうしたら、忘れられる?」
「無理に忘れようとするからや。あるがまま受け入れや。それでも忘れれんかったら別にええやないか、それでも」
「…いいのかな?柳田さんのこと思ってて」
「ええって。もし、千尋が人の道外れそうになるんなら俺が止めたるから。だから安心しいや」
その言葉に安心したのか、大人しく武史の腕に包まれる。千尋の涙と共に零れる感情を、武史は受け止めた。
胸にいる千尋に対しての感情。まだ親戚の情だと、思いたかった。
だが、自分の胸で縋りつくように泣く千尋に、抱えている感情は親戚に対するものじゃないことも理解していた。
ひとしきり泣いたあと、千尋はバツの悪そうな顔をして、武史に言った。
「俊樹にはナイショにしてね」
その言葉にハッとした。
その言葉を聞いた瞬間、初めて千尋に恋に落ちたことを思い出した。
幼い頃に初めて持った淡い恋心。
俊樹に千尋が初恋だと指摘された際にも思い出せなかった記憶がよみがえってきた。
「…ちー姉からそのセリフ聞いたんは2回目やな」
「2回目?」
思わず昔の呼び名で呼んでしまうくらいには動揺していた。
そんな武志の様子に気づかずに千尋は聞き返す。
「...自分で思い出してくれや」
動揺していた自分と千尋へ気づいてしまった恋心を隠すため、わざとぶっきらぼうに伝える。
そんな武志の様子を珍しがるように千尋は彼の顔を覗きこむ。
「えー!教えてよ!」
どれだけ千尋が食い下がっても武志は絶対にしゃべることはなかった。
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