噂話1

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噂話1

買物から帰り、夕飯を食べて寛いでいる時に千尋が呼びかける。 「タケちゃん」 「なんや?」 呼びかけたのにも関わらず中々言い出せない千尋の様子を静かに見守る。 絞り出すような声で千尋は続けた。 「近い内にちゃんと話すから、もう少し時間欲しい」 「わかった」 武史は何のことか聞き返すこともなく了承する。 その返事で、ホッとした表情を見せる千尋に武史も安心する。 泣きそうな、それでいて苦しそうな表情を見るのは昨日の朝に続いて2回目だった。 昔の印象しか残っていない武史にとって、千尋が見せるその表情は辛いものがあった。 そういえば、と武史は暗い雰囲気を切り替えるように話を変えた。 「千尋、ここは田舎や」 「…ん?うん」 突然変わった話題に戸惑う千尋。武史は、何か言いにくそうに話を続けた。 「まぁ、田舎やから近所は顔見知りや。俺も仕事柄知り合い多いし。親戚とは言うが、その、しばらくは噂になると思う」 「あぁ、そのことなんだけど、智史くんからアドバイスがあるの」 そう言い、千尋は智史からのアドバイスを伝えた。 『千尋は仕事柄文章書くのが仕事だ。だから、地方に住んだことを書く仕事が来たと言うことにすればいい』 今若い世代で地方移住をすることに興味がある人が増えているそうだ。ただ、圧倒的に情報が少ないため、実際に移住するに至らない。 だからこそ地方の生活やどんな仕事に就いているのか、実際に暮らした場合の生活を文章に書き、それを発信する。 『武史は友達も知り合いも多いし、有名な観光地だけでなくマイナーな場所も知っているから千尋も楽しいと思うよ』 「確かにそっちの方がただ親戚と一緒に住み始めたと言うよりええかもな」 「私もせっかく住むならこの町のこと知りたいし。ただ、タケちゃんに教えて貰わないといけないから迷惑かけるけど」 武史はそんなこと気にするなと笑う。 「昼間も言ったが、千尋がこの町のこと知ってくれるんは嬉しいからな。どうせ休みの日も仲間と飲むか釣りするかくらいやから、どうってことない。 それに、俺も外から見たらこの町がどう見えるんか知りたいしな」 ブログ見せてな、という武史に千尋は勿論、と答える。 「それでも噂になるのは仕方ないよ。こちらが気にしなかったらいいことだし。智史くんも言っていたけど、噂にはなるけど悪気があっていうわけじゃないから、こちらが堂々としていたら大丈夫って」 先程の表情とは正反対にあっけらかんと話し笑う千尋に、武史は少し圧倒される。 「肝が据わっとるな」 「そう?」 「年頃の女がそういう噂流されるのイヤじゃないんか?」 「それならタケちゃんもでしょ?彼女とか好きな人いたら誤解されちゃうし」 「いや、俺はそういう人おらんからええけど」 「私も一緒だよ。それに田舎だから噂話があって、都会だから噂話されないっていうことはないから」 千尋は自分から出た言葉が思っているよりも硬い響きを持っていることに気付き、少し驚いた。武志はそんな千尋の様子に苦笑いをする。 (昔、何かあったんやろな) 武志も自営業だからわかる。一人で自分の名前を背負って仕事をするのは楽しいこともあるが、その分苦労も多いことを知っている。 武志の場合は家業を就いたため千尋の苦労は全部わかる訳ではないが、会社に守られていた生活から独立して自分の生活を成り立たせていくのはそれなりの苦労があったのだろう。 「あまりにもしんどかったら言えよ。一人で抱えたらええ事ないからな」 そういうと、武史はそろそろ寝るわ、と言い立ち上がった。 「明日は起きんでええからな。ちゃんと寝えや」 「ありがとう。タケちゃん、おやすみなさい」 寝る前にこのような挨拶も祖父母が生きている時以来だった。何か照れくさいものを感じながら武史は返事をする。 「おやすみ」 風呂に入り部屋に帰った千尋は最初に訳した詩集のことを思い出していた。柳田は出版社に千尋を推薦をしてくれたが、それだけだった。むしろ、出版社の担当者には「よくなければそのまま突き返せ」と言っていたと、後から千尋の担当になった美香から聞いた。 『千尋さんの翻訳、本当によかったから今回採用したの。柳田さんの推薦がなくても千尋さんが選ばれていた。むしろこちらが想定外だったのは、こんなに小さな仕事に柳田さんが装丁してくれたことよ』 柳田のお手付きだから選ばれた、という噂は千尋の耳にも届いていた。その時はまだ柳田と関係は持っていなかった。 ただただ、悔しかった。 自分のその時にできる全力の力を出し、それが評価されただけだったのに、男女の関係では?だか仕事を貰えたのかと、周囲は勝手に噂をする。 元いた会社の契約を業務委託に切り替えたのも、出版翻訳をしたいというのが最大の理由だったが、周りの噂が煩わしく会社に迷惑をかけ始めていたことも要因のひとつだった。 ありがたいことに、フリーランスになってからも元の会社からも仕事を継続的にもらえ、やりたかった出版翻訳にも携わることができる。 その分、仕事に対する思いは雇われの時以上だった。肩肘を張って精一杯強がって生きてきた。 「何かタケちゃんといると調子狂うなぁ」 武史は必要以上に踏み込んで来ない。あるがまま受け入れてくれる。今までそういう人が周りにいなかったため、千尋はどのように接していいか分からないままだった。
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