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<3>大一の事情
大一の薬指をぼんやりと眺めていると
「どうした?」
ほら、乾杯しよう。と、言ってオレンジのしぼり汁が入った酎ハイのジョッキを手に持った。
「乾杯!」
「乾杯!って何に?」
そう、春平が大一に聞くと
「うーん平成生まれの俺たちに?」
「はははは、じゃあ僕は令和の始まりに」
そういうと、二人とも一気に半分ほどまで飲み干した。
「進介は何時くらいになるんだろう」
「朝、今日は仙台って言っていたから遅くなりそうだけど顔は出すって言っていたよ」
「朝?」と、大一は片眉をあげて「朝、会っていたの?」
「ああ、ちょっとね」
大一はなんとなく釈然としなかったが
「進介とはよく会うの?」
「うん」
「考えてみると、前はよく二人で会って食事とかしたよな」
「さすがに、既婚者だと誘いにくいよ」
薬指のリングを見たくないとは言えず、当たり障りのない事を言う。
「いや、別に関係ないっていうかここ数年は・・・・」
語尾を濁す大一を訝しながら
「会社でもだけど、独身者と既婚者だと生活リズムが違うというか、特に大一は医者でもあるから時間的に誘いにくいっていうか」
「・・・・・・・」
無言で話を聞いていた大一は、酎ハイを一口飲むと
「多分、ひいてしまうと思うけど、聞いてほしいことがあるんだ」
そう言う大一は酎ハイのジョッキを握りしめ、さらにもうたいして入っていないジョッキの中を見つめながらそれでも、はっきりと春平に聞こえるように話し出した。
「俺は、春平のことが好きだ、親友という意味ではなく・・・」
春平は目玉が零れ落ちそうなほど目を見開いていたが、ずっと下を向いている大一にはその顔は見られていない。
「でも・・・奥さんが・・・・」
大一は左手を見つめながら
「二年前にはもう、別れているんだ・・・そもそも、結婚当初から破たんしてたんだよ」
「どう・・して?」
「春平とよく昼食や夕食を食べていた頃、ときどき自分を抑えるのが難しいときがあったんだ、このままだと春平を傷つけてしまう・・いや・・もう二度と親友として、会ってもらえなくなるようなことを、してしまいそうになる欲求を抑えられなくなってきて・・・・」
「特に、酔った春平を何度も自分のものにしたいと、その欲望に苦しんだ」
「・・・・・・」春平は何も言えず、ただ大一の話を聞いていた。
「結婚をすれば、春平に欲情することがなくなるんじゃないかと・・・」
「高校のときから、俺は春平に惹かれていた、でもその時は好きだ、そばに居たいそんな感情だけだったが、セックスを知って、だれを抱いても満たされることがなくて、俺が本当に抱きたいのは春平なんだと気が付いた。」
「そう思ってしまうと、春平を常にそういう対象としてしか見られなくなって、このままだとだめだと思って、結婚相談サイトで知り合った女性に、会ったその日にプロポーズをした。彼女もその場でOKしてくれたんだ」
話を聞いていた春平が
「だから、あんなに急だったんだ・・・」
「ああ、彼女も開業医の息子で跡取りというのがよかったらしく、二つ返事だった。結婚して初めて彼女を抱いて、自分の奥さんなんだと思っていても」
「だめだったんだ」
「彼女を愛せないと・・・・それからは忙しいといって、家に帰らず病院に泊まることがほとんどになった。」
「・・・・」
「春平にも会えなくなり、自分の馬鹿さ加減に嫌気がさしたとき、彼女が子供を身ごもったと俺に伝えてきた」
「子供・・・」春平は思わず声が漏れてしまった。
「そうだ、子供だ。俺の子供だと彼女は言った。初夜の時にできた子だって」
「たしかに、時期はおかしくない、ただ、俺は無精子症なんだ。」
「え!?じゃあその子は?」
さすがにびっくりして大一を見るが、大一は相変わらず、自分の左手に光るリングを見ていた。
「彼女は俺が家に帰らないことで、寂しさに浮気をしていたんだ。はじめは、俺の子供だと主張していたが、診断書をみせると、泣き崩れて俺を詰(な)じった。俺には彼女を責める気はなかったが、だれの子かわからない子供を認知することもできないからすぐに離婚をした。おもえば、一番悪いのは俺なんだと思う。」
「なんで、指輪をしているの?本当は未練があるとか?」
「違う、これはいろいろ周りがうるさいから、とりあえず外さずにいるだけで、本当はいつだって捨てることができるんだ」
「どうして、黙っていたの?去年会ったときはもうすでに離婚していたってことだよね」
春平は混乱する頭を少しずつ整理するようにポツリと
「なんで、いまさら」と付け加えた
「ほんと、今更だよな。なんていうか、かっこ悪い自分を晒したくなかったんだ。」
「平成が終わって、明日から令和になる。新しい日が始まる時、俺もみっともない自分を終わらせて新しく始めたいって思ったんだ」
呆然とする春平に
「引くよな」
と、言うと氷が溶けて上澄みはほとんど水になっている酎ハイをゴクリと一口飲み込んだ。
春平は自分のグラスにビールがほとんど無いのを確認すると、店員を呼んで、フレッシュオレンジの酎ハイを二つと、メニューの一ページ目に載っていた、野菜スティックとポテトフライ、そしてから揚げを注文した。
店員が去っていくと
ぼそりと
「引くよ・・・・」
「そうだよな、男に好きだとか言われて引くよな」
「べつに・・・そこじゃない・・」
「え?」
今度は、大一が目を向く番だった
春平は大一の驚く顔を見つめて
「うん、平成最後だから。僕の話もするよ」
「・・・・」
今度は大一が黙って耳を傾ける
「中高が男子高で女子との接点がなかったからだけではなくて、僕は女性に興味がわかないんだ。」
そう話し始めると、大一は言葉を発することはないが、テーブルに置かれた手がピクリと動いた。
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