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あの晴れた空に
龍斗が亡くなったのは、一週間前の大雨の夜だった。
大雨の中を、龍斗は傘をささずに走っていた。手にはコンビニの袋が握られている。
家の手前の横断歩道にさしかかった時、突然、龍斗の体に強い衝撃が走った。
黒い軽自動車が突っ込んできたのだ。
体が宙に浮いて、龍斗は地面と激突する。
衝撃に気付いた運転手は慌てて車を降りた。
離れたところで倒れる龍斗を見つけると、急いで駆け寄った。
運転手はスマホを肩と耳に挟みながら、心臓マッサージを開始した。
そのそばでコンビニの袋から飛び出たコーラが泡を吹き、カレーがアスファルトに飛び散っていた。
静かな部屋にスマホのバイブ音が響き渡った。キッチンで食器を拭いていた原田は手を止めて、リビングに目をやる。綺麗に片付いたリビングには、テレビとテーブルとソファが鎮座している。どれも余計な装飾のない、質素な作りの家具だった。ソファと壁の間は空いていて、そこに小さな背中をさらに小さく丸めた颯がうずくまるように座っている。足元ではスマホが小刻みに震えているが、颯は手を伸ばそうとしない。
「颯、電話」
原田はタオルで手を拭くと、颯のそばへとやって来た。そのままそっと背中に触れると、その背中が小さく跳ねる。
「颯、電話、きてるよ」
原田が言うと、颯は小さく首を横に振った。拒否ということでいいのだろうか。
「じゃあ、僕が代わりに出るけど、いい?」
原田が確認すると、颯は小さく頷いた。
原田は震えるスマホを手に取った。『前田楓馬』と名前が表示されているが、原田は知らない名前だった。
「もしもし」
『あ、もしもし……って、どなたですか?』
静かな波のような、心地よい声が聞こえてきた。
「あの、僕、颯の所属する劇団の主宰をやってる、原田です」
『あ、いつも颯がお世話になってます。颯の親友の前田楓馬です』
親友と聞いて、原田は颯と変わろうかと颯に目をやる。しかし、颯は拒絶するようにうずくまっていて、声をかけても無駄だと直感的に思った。
『あの、颯は?』
「颯は……」
原田は龍斗の事故のことを伝えた。一週間前、交通事故で同じ劇団の仲間が亡くなった、と。
「それから、颯は何もできなくなってしまっていて……」
原田は、流れる涙を、そうとは悟られないようにそっと拭う。
『そうなんですか……』
青年はしばらく電話の向こうで黙っていた。無理に言葉を紡がないところに、原田は好感を持った。
『……あの、いつでもいいから、電話ほしいって、颯に言っておいてください』
少ししてから、楓馬はそう言った。颯のことを本当に心配しているのが、その声から伝わって来る。
別れの挨拶をして、原田は電話を切った。部屋に静寂が戻ってくる。原田はその静寂を邪魔しないように、楓馬の言ったことを颯に伝えた。
颯は何も言わなかった。ただ黙って、じっとしている。
原田は何も言わずに、その茶色く染められた小さな頭を、優しく撫でた。
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