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プロローグ
「お客さん、1,500円です」
白髪の紳士は駅前から乗って来たタクシーに無言でお金を払う。そして病院の裏手から人目を避けるように入院病棟にそっと入っていく。意識の戻らない娘が目覚める日を夢見て、いったい何回この石畳で出来た道を通ったのだろうか。
今日こそ意識が戻って欲しいと思いながら、もう戻らないのだろうなという諦めの気持ちが強くなっていく自分を悲しくも思っていた。
◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇
「博士、成功です! 母体フェロモンによる個体識別とそれに伴う自家発現の発生を確認しました」
生きたままのウィルス一つ一つまで観測できる、新世代型生体電子顕微鏡のモニター画面を見つめていた助手が興奮した声を上げた。
「おい君、そちらの観測画像を壁のモニターにも送ってくれ」
博士が助手に声をかけながら、研究チームのメンバーに対して大きく手招きをする。研究チームのメンバーは壁一面を覆うように取り付けられた高精細大画面モニターにぞろぞろと集まって食い入るように見つめる。
画面には、活性化したウイルスが細胞核に侵入し細胞を変異させている様子がリアルタイムで映し出されていた。
「母体の妊娠フェロモンの匂いを選択的に与えて、受精させた精子を持つ男性にだけトリガーがかかることを確認しました」
興奮した助手が付け加えるように叫ぶ。
「あんな微小な量の匂い分子にでも反応するなんて驚きですよ! コレでは対象となる男性が地球上のどこにいても反応しますね――」
……
「出産後も母体フェロモンから分泌された匂いが10年以上も残るというデータもありますし、これなら経産婦のパートナーに対しても有効に作用しますね――」
……
「博士、おめでとうございます。これでほぼ目標は達成されましたね」
「博士、直ぐにこの結果を学会に発表しましよう」
研究所の研究員が口々に博士の成果を褒め称える。
「いや君達、それよりこの結果をただちに生命管理委員会に報告し、一刻も早く母体反応ウイルスの量産化の確立を始めなければな――」
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