一日目(1)

1/1
6人が本棚に入れています
本棚に追加
/22ページ

一日目(1)

 胃を締め付けるような数分間が過ぎると振動はおさまり、復旧したモニタには光があふれた。俺たちの探査船は無事に大気圏突入を果たしたのだ。  隣の席のベラサクが、ヘルメット越しに笑顔を見せている。俺の顔も、安堵で弛んでいるだろう。長い宇宙航行の果てに、目的地で生きながら焼かれる危険を脱したのだから。  俺は宇宙服のインカムを通して、ベラサクに話しかけた。 「地球から200万光年も離れてる星なのに空が青いなんて、凄いな」 「大気の組成のせいだよ、それくらい知ってるだろ」  情緒の無い回答に肩をすくめる。同じ研究者といってもベラサクは医学と生物学が専門の自然科学系、俺は社会人類学に言語学の人文科学系で、話がかみ合わないのはよくあることだ。 「二人とも、あまり気を抜くなよ」  調査隊の隊長であり、母船の船長でもある(ワン)が声をかけてきた。彼女は電気、機械、情報通信工学のエンジニア兼パイロットだ。俺たちに注意を促した声はいつもと変わらずリラックスしている。歴戦のパイロットに操られた探査船は、未知の気象条件下にあっても滑らかに飛び続けた。 「船長」  船内のスピーカーを通じて、サブ・パイロットの孔明(クンミン)が王に話しかける。 「突入時にずれた座標の再計算完了しました」 「モニタ2に映してくれ」  孔明は非常に優秀な隊員だが、AIはロボット三原則の第二条及びその細則に従って役職に就くことができない。そのため、調査隊の副隊長を務めるのはなんとこの俺である。出発前にベラサクとジャンケンして決めた。  孔明の計算結果を確認した王は、システムをオートパイロットに切り替えて言った。 「いいだろう。隊員諸君、シートベルトを外してよろしい」 「やたっ!」  俺とベラサクはシートから立ち上がると宇宙服を脱ぎ捨て、前方のメインモニタに飛びついた。  俺たちの母船は、十分な情報収集のために地球時間で8か月もこの星の周りを回っていた。しかし、拡大した衛星画像を見るのと、カメラ越しとはいえすぐ足元に広がる新世界を眺めるのとでは、臨場感が段違いだ。 「ダイ、見ろよ! 植物だ」  転々と散らばる緑の点を指差して興奮するベラサクに、俺は苦笑した。 「おいおい。これから植物なんかよりもっとすごいものを見られるんだぞ」 「頼むぞ、ダイ」いつの間にか側に立っていた王が、俺に言う。 「地球とウエウウヒの将来のため、友好関係の土台を築くのが我々の任務なのだから」  ウエウウヒは、地球外生命体の存在が確認されている七つの惑星の一つである。知的生物の存在が認められた星としては二つ目だ。  ファースト・コンタクトの候補であった一つ目の惑星は、地球人が発見したときには既に、大気汚染が徹底的に進んだ焦土となっていた。そこでは、地球のウニそっくりな知的生物が原子力兵器を使って互いの領土をめぐり争っていた。  その姿をこっそり観察していた地球人は、数世紀前の自らの過ちを思い起こしつつ、正式なアプローチを棄却した。  その星には代わりに、ウニ星人そっくりのロボットを潜り込ませて情報収集を行っている。報告によると、あの星の文明はあと50年と保たないところまで来ているらしい。  一方、ウエウウヒの知的生物については、彼らの文明水準がかなり低いということが議論の元になった。ウエウウヒ人は道具を使い、住居を作って集団生活をしているが、それだけのことなら蟻にもできる。もう少し文明が成熟するのを待ってはどうか、という意見が少なくなかったのだ。  だが長い検討の末に、地球人は行動を起こすことを選んだ。理由は色々と挙げられたが、とどのつまりはDNAレベルで刻み込まれた好奇心が勝利したということなのだろう。  その好奇心によって、有史以来、多くの同胞を破滅させた歴史が地球人にはある。現代の俺たちは、同じ轍を踏まないほどに知恵を付けたと思いたい。  そういうわけで、今回初めてウエウウヒ人と直接コミュニケーションを取ることになった調査隊の責任は重大である。ウエウウヒ人に不信感を持たせたり、彼らの文明を『汚染』するようなことはあってはならないのだ。  大気圏突入後の興奮が収まると、俺は急に今後のことが心配になってきた。  うつむいてぶつぶつ言い出した俺を、ベラサクが茶化す。 「今さら緊張か? おかしなこと言ってウエウウヒ人を怒らせるなよ」 「わかってるよ」 「おいおい……顔色悪いぞ。大丈夫だよな? 8か月も準備してきたんだから」  そう、地球人とウエウウヒ人のファースト・コンタクトは、地球側が送った端末を利用して8か月前に終わっている。端末を送られた集落のウエウウヒ人たちは、拍子抜けするほど簡単に地球人の存在を受け入れた。その後は端末を介して、お互いの情報をある程度やり取りしてきたのだ。  言語学の専門家として参加した俺は、端末が録音した音声サンプルを使ってウエウウヒ人の言語解析を担当した。幸運なことに、ウエウウヒ人の言葉はヘプタポッド語ほど難解ではない。解析の結果、今では全員が挨拶レベルのウエウウヒ語会話を習得している。だが、高度な会話レベルに到達しているのは俺だけだ。今日、ウエウウヒ人との友好と協和が実現するかどうかは、俺の口にかかっているのである…… 「大丈夫、難しい顔するな」王がいつになく優しい声で言った。 「あと10分で目的座標に到着します」孔明がいつも通りの声音で言った。  ちなみに、『ウエウウヒ』というのは集落のウエウウヒ人がこの星を表すのに使う単語だ。ただの『星』という意味なのか、もっと深い意味があるのかどうかは今のところ不明である。
/22ページ

最初のコメントを投稿しよう!