年下の狼

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年下の狼

不安だ。告白さえしてないのに、遠距離なんて。 多分どちらも気持ちが別のところに行ってしまう。 伝えられなかったからと諦めてしまう。 相沢さんの本当の気持ちを知りたい。 それからずっと悶々としていた。 あの夜のキスは何だったんだろう。 こんなことになるなら、やっぱり家を聞いとくべきだった。 「はぁーーぁ」 横から覗く顔があった。 「せーんぱい。このあと、食事でもどうですか。もちろん、僕の奢りで」 この子は会社の後輩の高畑君。 直属の部下ではないために先輩として話をする。 「却下。後輩が生意気言うもんじゃないの」 「うっわ、先輩手厳しい。まぁそういうところがいいんですよね。浮気とかしなそうですし」 彼は会うたびに口説いてくる。 「何それ。基準がおかしい。せめて、どこか好きとか言ってくれる」 「あはは、凛々しいとことかです。簡単に流されないとことか」 「え、それ褒めてる?色気がないとかいう意味じゃない。ガードの固い女だと皮肉ってる」 「そんなわけないじゃないですか」 彼とは後輩以上兄弟未満くらい、家族でも歳の離れた弟のような感じ。 この関係が始まったのは彼と飲み会の席で一緒になったときだった。 主任同士が合同の飲み会を企画した。 名前はなんとなく知っていたが、初めて会った。 「実は僕、ずっとお話したいと思ってました。やっぱりとても面白くて、魅力的な人だ」 さらりと言ってのけられて驚いた。 「それはどうも」 どうせからかってるんだろうと流した。 そして話が盛り上がり、二次会の後で途中まで一緒に帰ることにした。 その時、暗い駅前でこう言った。 「先輩って彼氏いるんですか」 「どう見える?まぁ、隠すことでもないし。随分前に振られた」 「そうですか。ちょっとラッキー」 彼が笑っていた。 酔っていてあまり覚えていないけど、確かその後部屋の前まで送ってくれてずっと意味不明な言い合いをしていた。 「絶対、僕のこと好きにさせる」 「100いや500年早いわよ。出直して来なさい」 「男のプライド懸けて諦めないですから」 そう言ったこの日から、冗談だと思っていたけど彼は執拗に話しかけてくる。 「それで、この新作が読みたいんだけど、誰か持ってないかなぁ。買うのは勿体無いし」 隣の席の後輩と話しているとやっぱり話に割り込んでくる。 「家に来ません?その本借しますよ」 「やめとく」 しっしと手を振る。 「はぁ、先輩は僕に厳しいなぁ。そろそろいいじゃないですか」 可愛い後輩ではあり、一人でのみに行くときとか買い物の荷物持ちとかでこの関係が気持ちよくて、ズルズルと続けていた。 嫌いじゃないけど付き合えない。 「条件は?」 彼は手帳を取り出した。 本気で言っているのだろうか。 「金持ちで、優しくて、面白い人、紳士的で、家族を大切にする」 「それ僕なら条件に合ってます」 「年下はなぁ…それに二十歳そこそこで金持ちじゃないし、紳士的でもないでしょ」 「そんなの条件になりませんよ。男なのは男ですから」 ムッとする顔が面白くて吹き出す。 「男として見れないとか言われたら一生立ち直れないです」 笑って流していた。 後日、同期に話しているのを小耳に挟んだ。 「高畑は浅田さん推しだからな。進展は」 周りの笑い声が響く。 「やっぱり駄目。俺には興味がないみたいで。 全く振り向いてもらえないのは正直きつい。本当に脈なしかもな」 本格的に落ち込み始めた、そろそろかな。 その時の私は何となく手玉に取っている気分になっていた。 「ねぇ、お酒に付き合って。買い貯めておいたお酒が消費しきれないから」 唐突な誘いに彼は目に見えて喜んでいた。 「お誘いですか。やった!今晩ですね?」 「うん」 悪い気はしてるけど。八時頃、駅で待ち合わせをして家に連れてきた。 「はい。手土産です。駅前のチーズケーキ屋の人気商品」 「あーこれ、好きなやつ。ありがとう。入って」 彼は本当に子供みたいに純粋で可愛い。飲み進めていくうちに、本格的に酔ってきていた。 「っでさ、本当にその女が面倒で。しかも、元彼の女なの。見せつけられてる感じで気分悪い」 いつの間にか元カレとその彼女の愚痴になっていた。 彼はアルバムからはみ出ている写真を見た。 「先輩、この人誰ですか」 「えーと、元彼氏。結婚まで行きかけてたのにふられちゃって」 彼の顔色が変わった。 「は?この人何考えてんだよ。結婚間近まで付き合っていたのに別れるなんて失礼過ぎる」 アルバムから写真をひっつかみ、ゴミ箱に捨てた。 「こんな奴の写真なんて要らないですよね。もしかして、引きずってます」 「いいや。そんなわけないよ。もう何年か前になるし」 写真の彼よりももう一人の顔が頭に浮かんでいた。それにもう一つのショックがある。三十路で相手がいないといよいよもう先がないってこと。 「嫉妬する。俺だったら先輩のこと悲しませたりしないのに」 高畑君の声が低くなる。 「どうしたの?」 いつもと違って冷たい目をしていた。 「どうしたの?ああ僕がですか。すみません、頭に血が上ると俺口調に戻るんです。元彼のことまだ好きなんですか」 彼は怪訝な顔で尋ねた。 「俺、ずっと騙されてたんですね」 じっと顔を見返した。 「彼氏を引きずっていたのに俺に惑わせるような態度取っていたのですね。俺が好きだと言ってもうやむやにして楽しんでたんだ」 「そんなことない。勘違いさせてたのなら謝る。 第一彼氏は高畑君と会ってから居ないし。彼のことはこれっぽちも好きじゃないし。 もう何とも思わないけど、私のことを振っといてさぁ、やっぱり若くて可愛い女の方がいいんでしょ。妹気質の方がぁ。」 「先輩飲みすぎ。荒れてるなぁ。世話を焼きたい人もいれば、焼かれたい人もいるんですよ。僕は後者ですけど」 私がムスッとすると苦笑を浮かべた。 「今、何を言っても嫌なんですね」 「私は立ち直ったから大丈夫。 でも、確かに写真は捨てるべきよね。 いつまでも思い出してしまうから」 彼は私の目をじっと見た。 「僕の気持ちは変わらないですから。こんな好機この先ないかもしれない」 キャミソールの紐に指をかける。 するりと背中に手が入り、優しく背中を撫で抱きしめる。ホックに指がかかり耳に熱い息がかかる。 「先輩、僕が慰めてあげましょうか」 唇にほんの少しだけ触れた。フレンチなものだった。 「ほら、流されてますよ。いつもの先輩らしくない。僕だって男ですから。やるときはやるんですよ」 その瞬間、彼の目の色が変わった。 手を離すと服を整えた。 「やっぱり駄目です。僕は先輩が本当に僕のことを好きになってくれないと何をやっても意味がないんです。すみませんでした。帰ります」 「気をつけてね」 彼は荷物を持ちそそくさと家を出た。彼が部屋を出ると携帯を取り出した。 仕事の時に掛けていた電話番号なら分かるのにな。 表示に出して押しかけて辞めた。 電話をかけて何を話せば良いのかわからない。 声が聞きたい。 「どうした。今から出張だろう。そんなに憂鬱なら代わろうか」 通りすがりに上司の新井さんが言った。 「いえ、大丈夫です」 気を取り直して準備をする。最近めまぐるしすぎて心がついていかない。 取引先ではなく支所との企画会議である。 借りた会議室で行うもので、私が重要な役を任されてからまだ数回しか出席したことがない。緊張する。 「あぁ、そうそう。今日は高畑と行ってもらうことになっている。教えてやってくれ。宜しく」 「かしこまりました」 私は内心うんざりとしていたが、上司の言うことには断れない。 玄関で落ち合うと飼い犬のように走ってきた。 「やった先輩と一緒ですね」 昨日はあんなことがあったのに全く変わらない。 「行くよ」 足取りが重い。会議室に二人で並んで座る。 暫くするとスーツ姿の男性二人が入ってきた。 扉が開いた音を合図に席を立ち、挨拶をする。 「本社の浅田です。本日は宜しくお願い致します」 同じ様に高畑君が挨拶をする。 相手の挨拶が始まり、二人目が挨拶を始める。 「相沢です。本日は宜しくお願いします。浅田さん、高畑さん」 名前に反応して顔を上げると相沢さんがいた。 初めて会ったときのいつもの調子に戻っていた。 拍子抜けした。何故ここに。私の目を見ていたが別人だった。あの毒を吐く相沢さんとは思えない。 「お二人とも珈琲で大丈夫ですか」 「大丈夫です。お気遣いありがとうございます」 他人行儀で喋り方は仕事の出来る人って感じ。 「ご提案頂いたことについてですが、もう少し期間を短くしてはどうでしょうか」 「え、ええ。なるほど」 先輩として毅然とした態度でいなくては。 緊張で口が乾く。 出してもらった珈琲に手を伸ばした。 企画会議は終わり私達は部屋を出た。 「相沢係長って以前は本社にいた方ですよね。めちゃくちゃ格好いい方でしたね。いかにも仕事が出来るって感じの。憧れます」 「そうね」 私は一つ気になったことがあった。 「ねぇ、珈琲苦かったよね」 「ええ。僕苦いの苦手なんで頑張って飲みました」 彼はそう言い笑った。 「先に帰っててもらっていい」 「ええーお昼一緒に食べようと思ったんですが。いいですけど、あまり寄り道しないで帰ってきて下さいね」 「分かってるよ」 手を振ってさっきの建物に戻る。 もういないかもしれない。 走ってエスカレーターを登り、角を曲がったとき人にぶつかりかけた。 相手の仕事鞄が床に落ちる。鞄を慌てて拾い上げた。 「すみませんでした」 怒られるかと顔を上げた。 「浅田。久しぶりだな。それ」 差し出した手に鞄を渡す。 「相沢さん、久しぶりですね」 「元気にしてたか」 なんだか照れ臭い。 「ええ、今からランチでもどうですか」 彼は頷くと近くのカフェに入った。 「あの珈琲とても甘かったです」 彼は笑い声を漏らした。 「ブラックじゃ飲めないって言ってたろ。支所の方の前で恥をかかせるわけにはいかないからな」 懐かしい笑顔だった。 「知らないふりをするなんて酷いじゃないですか」 「すまん。いや、知り合いじゃない方がやりやすいかと思って。 俺と一緒にいた杉田くんにも気を遣わせるかと」 「ふーん。外面良いですよね。優しくて仕事できるっていう雰囲気を出していて」 正直、外の人として会うとスーツや持ち物はシンプルだけどお洒落で、靴と時計は綺麗に磨かれていて印象がいい。 店員さんの声や楽しそうな会話、食器の音が一瞬二人の音をかき消す。 フルーツジュースを飲みながらふいに言葉が出た。 「いつ帰ってくるんですか」 「わからん」 外にはまた雨が降っていた。 受付でチェックインし、部屋に向かった。 予約していた部屋は結構綺麗だ。 家とは違って広めのベッドに大きなソファとテレビがある。 第一女の二人暮らしになるとこんなに綺麗に保てない。 どちらかが絶対にだらしなくて、変な時間におやつを食べ出す。 お風呂も寝る時間も好きにしていて、机の上にはいつも何か乗ってる。 やっと一人でゆっくり出来る。暫くするとお湯が沸いたアナウンスが流れた。 空色は悪く大粒の雨が降っている。 その時チャイムが鳴り響いた。 ルームサービスにしては時間が遅すぎる。 開けるとそこには高畑君がいた。 「あれ、高畑君どうしたの」 「どうしたの、じゃないっすよ。こんな姿なんで中に入れてもらえますか」 シャツはびしょ濡れだった。すっかり髪も濡れている。 「大変。ちょっと待って」 そういえば独身アラサーの部屋にはトランクから出した雑誌や化粧が散乱している。 それに、下着も置いたまま。 「ごめん。タオル貸すからちょっと待って」 彼は扉に手をかけるとぐいっと開けた。 「何か僕に見せられないようなやましいこととかあるんですか」 部屋がぐちゃぐちゃでとても見せられたもんじゃない。 でも、寒いし雨がやむ気配もない。 凄くかわいそうだからしょうがない、クローゼットに全部入れておこう。 「じゃあ足拭くタオル持ってくる。ちょっと待ってて」 玄関にあげると彼は少し不機嫌な様子だった。 「こんな簡単に男を部屋に上げていいんですか。 もう少し用心してくださいね。世の中には悪い男がいくらでもいるんですから」 私のことを心配してくれている。どういう意図で言ったのかはわからない。 「簡単にじゃないよ。高畑君だからだよ。しかも、こんなにすごい雨だし。こっちへどうぞ」 「うわー傷付く。僕は恋愛対象じゃないみたい」 部屋に入れるとココアを出してあげた。 「ありがとうございます。温まります」 無邪気に笑う顔はまだ子供だ。彼は部屋を見渡した。 「夕食は食べた?」 「まだです。ちょっと散歩してたら雨に降られちゃって」 「高畑君の部屋は」 「この二つ上の階です。ビールとおつまみなら買ってきました」 「ここで食べる?」 「いいんですか」 私達はテーブルにおつまみとお酒、私の買ってきた惣菜を並べて食べることにした。 高畑君はビールを何本か飲み干した。いつも上機嫌だけど、いつも以上に機嫌がいい。 「どうしたの。妙に上機嫌ね」 「篠崎さんに告白されました。全然興味がなかったんですけど、やっぱり女の子に告白されるのは嬉しい。何て返答すればよいか分からなくて。 僕は追うより追われる方が好きなんですよ」 篠崎さんは新卒で彼の五才下。それになんといっても可愛い。 「あっそう。で、どうするの」 「食事に誘われたんですよ。明日、いってきます。 あ、でも勘違いしないで下さいね。僕の本命は先輩なんですから」 私は目をそらしてビールを飲む。 「高畑君もどうせ本気じゃないんでしょ。こんなおばさんやめときなよ。 絶対に篠崎さんの方がいいよ」 好いてくれるのは嬉しいけど、相沢さんの顔がちらつく。 「もしかして、先輩ってビッチだったり。部屋に男を招き入れるなんて」 彼が本気なのか冗談なのかわからない声色で言う。 「後輩とホテルで二人きり。しかも男。 そんなの絶対に展開が決まっているじゃないですか。イメージと違うな。清楚なキャリアウーマンだったのに」 「それは、高畑くんが部屋に来たからでしょ。 自分の部屋に帰れば良かったじゃない。 雨に降られたからいれて下さいって言われたら誰でも入れない訳ない」 「その危機感の低さが駄目なんですよ。それじゃあ、これなんでしょう」 手に持っているのは、紐のついた丸いものと棒状の物。 先週宅配で勇気を出して買ったやつ。 何故か鞄に入っていた。 あちゃー。荷物を詰める時にベッドの側の机に置いてあったスキンケアを持ってきた時に間違えて入れてたのか。 「ちょっと、返して」 咄嗟に手を伸ばしたが、届かない。 「赤面して可愛い」 彼は少し笑みを含んだ顔で挑発してくる。手にそれを持って立ち上がる。 「年上をからかうもんじゃないわよ。本当にお願い。返して」 すると、急に立ち止まり身体を押された。 しまったそう思った時にはもう遅かった。ベッドに押し倒され、彼は上に乗り耳元に口を寄せた。 「隙が多いんですよ。危なっかしくてみてられない。ねぇ、いつも誰を想像してるんですか。僕ですか、それとも元上司の相沢さんですか。それとも元カレですか」 恥ずかしくて何も答えられない。 「答えられない…か。だよな、毎日使ってるなんて言えないし」 起き上がろうとするけど、完全に布団との間に挟みこまれている。 「どんなふうにこれ、使うんです?ねぇ、やってみてくれませんか」 私は首を横に振った。彼は完全に雰囲気が違う。 手に握らせるけれど、私は何も動かさない。 「残念だなぁ。先輩のひとりでしてるの見たかったな。 まぁ、いいですよ。僕がやりますから」 やりますってどういうこと。 「短パンに長いTシャツって…エロい。 それにいい匂いがする。女の人の匂い。この辺、鎖骨の辺りからする」 私に唇を重ねた。そして、下にするりとあれを当ててくる。 「ちょっと、あっ」 下着の振動が下に響く。身体をよじってもぐいぐいといいところに当たる。 「エっロい声出すんですね」 唇を離すと満足そうに見つめている。 「こんな声を彼氏さんにも聞かせてたんですか」 執拗に攻めて来る。 「僕が相沢係長が先輩の上司だったと何故知っているのか驚いたでしょう。 勿論、鬼だと恐れられていた相沢係長の噂をずっと聞いたことないはずがなく、先輩が怒られているのを何度も見ていましたから。 でも、さっきの先輩のあの目は元上司というのとは違いました。相沢係長のこと好きなんですよね? 仕草でバレバレです」 好き。そう見えるんだ。 「相沢さんに電話をかけて下さい」 頭を横に振ると彼はじっと見ているだけだった。 「僕がかけてあげますよ」 携帯をとられないように抵抗したけど、子供みたいな彼も男だった。 「僕だって鬼畜じゃない。下のは止めてあげる」 モーター音が止まり、息を吸う間もなく携帯の画面が発信中に変わった。 お願いだから出ないで。その思いも数秒で打ち消された。 「相沢です。浅田か」 出来る男は電話にでるのが早いんだよって言っていた。 「お疲れ様です。夜分遅くに申し訳ありません」 「どうした。何かあったのか」 取引先からの帰りに報告でデスクにかけることはあったが、直接相沢さんにかけたことがない。 「声が聞きたくなりまして」 「ついさっきまで話していただろう」 耳にふっと熱い息がかかり舌が耳を嘗める。 「女のコって耳も弱いってきくけど本当なんだ」 彼が小さく呟いた。声が漏れないように声に力をこめる。 「あの、今度食事に連れて行ってくれませんか」 「分かった。何か食べたいものはあるのか」 携帯から生活音が聞こえる。エアコンの音とテレビの笑い声。 相沢さんの声に痺れる。ドキドキして息が上がる。 「体調が悪いのか。大丈夫か。それといま高畑の声が聞こえた気がしたんだが」 「隣の部屋だからじゃないですか。前に言っていた相沢さんのおすすめのフレンチでお願いします」 「分かった。それじゃあ、早く寝るんだぞ。お休み」 体力を消耗してへたりこんだ。 「目が潤んでる。そんな顔は俺が一番始めに見るはずだったのに。 まぁいいや。先輩の可愛い反応が見れて嬉しい」 彼は引き出しからあれを取り出した。 「我慢できない。もういいですよね」 軽く唇に触れると手が下に向かった。 「本当にやめて。こんなの駄目だよ」 チャックを下ろす音がし、押し倒された。 もう少しでしてしまう。彼の頬に平手打ちをした。 「最低。真面目で紳士的な人だと思ってたのに。 無理やりするなんてあり得ない。 無理やりやられて好きになることなんてない」 彼はぶたれた頬をおさえ、数秒間の沈黙があった。 「そうっすよね。確かに好きな人にすることじゃなかったです。すみませんでした。俺って最低ですね」 目に見えて耳を下げた彼を止めそうになる。 「俺のこと嫌いになりましたよね。今日攻めないと落ちてくれないと思って焦り先走り過ぎました」 「ちゃんと段階を踏もう。一夜の関係でいいならここで終わり。私は高畑君とは出来ない。 ちゃんと好きになった人としかしない。 今回のことはなかったことにする」 彼は振り返り目を開いた。 「え、許してくれるんですか」 彼は近づき背中に手を回した。 「部下から友人、理想の恋人に昇進できますか」 「それはどうかな。今はまだ友達以上恋人未満」 彼は不服そうに下を向いた。 「僕のこと好きですか」 「まぁ後輩としては」 「なんですかそれ。まぁいいや。ハグからじゃなくてキスからで」 唇を重ねていた。身体を離すと抱き締めていたせいで服が濡れている。 「高畑くん、ちゃんと服を拭きなよ。濡れたじゃん」 離れてTシャツが濡れていることを確認する。 「風呂に入ったのにしょうがないなぁ。着替えよう」 トランクに向かおうとすると腕を掴まれた。 「透けてる。ピンクが」 手で身体を隠した。 「それ友人に言ったらセクハラだからね」 「わかってて言ってるんですよ」 長い手が延びてきて頭を撫でる。 「恋人に言われても大丈夫でしょう。早く昇格したいんです」 「あなたね、年下らしくしなさいよ。生意気なんだから」 着替えて戻ってくるといつもののんびりした彼に戻っていた。 テレビの前で胡座をかいている。アニメのcmが流れている。 「このアニメ面白いですよね。僕は単行本買ってます。また来月に新刊出るらしいですね」 「うん。主人公が頑張ってるからついつい応援したくなる」 「本当に。今度映画に行きませんか」 「いいけど、それだったら私の奢りに…?」 十も上だったら私持ちか。 「あと、オンリーショップに。限定グッズ買わないと。部屋に帰る前にお風呂借りますね」 「うん…ん?」 彼を見返した。 「風邪引きそうなんで。借りますよ」 「うーん、いいけど。自分の部屋で入りなよ」 こういう隅々まで図々しいところがある。 彼は目の前でシャツを脱いだ。引き締まった体だ。 「シャツは帰るときに着るのでこのヒーターの前に掛けときます」 引き締まった身体にすべすべとした肌が現れた。 視線に気づき私を見返す。 「なんです?そんなに男の身体を見るのがご無沙汰なんですか」 皮肉っぽい。 「いや、最近まで彼氏いたよ。経験もそれなりに」 「それとも見とれてる?」 その通りかもしれない。漫画のような綺麗と言える身体。 「図星か。僕と付き合ったら普段からこの姿を見れますよ」 「考えておく」 この子は本当に本気なのか。もて遊ばれているのは私の方じゃないのか。 「可愛い。じゃ、あとで」 額に軽く唇を当てられる。彼は風呂から上がると、ビールを飲み帰っていった。 相沢さんと高畑君は全然タイプが違う。 本当はどっちが好きなのかわからない。 彼が浮き足だっているのがわかる。そして、終業時刻になった頃彼女が現れた。 「高畑さん終わりそうですか」 「ごめん。片付けるから玄関で待ってて」 「はいっ」 可憐な少女といえる容姿。 暫くして、会社を出た彼を無意識につけていた。 (これは、つけてるんじゃなくて出口が一緒だったからだし、たまにはこっちのスーパーに行ってみようと思ったから) 彼が話しかけている。 「いつもはナチュラルメイクなのに、今日は雰囲気が違うね」 「ちょっと頑張っちゃいました」 そして篠崎さんはいつもはしていないイヤリングをつけている。 彼女がふふと笑うたびにキラリと揺れる。 羨ましい、ジェラシーがわく。 私があんなに可愛ければな。 もっと素直なのに。 彼への嫉妬じゃなくて、彼女が可愛いのに嫉妬する。 ここまでグルグル考えているのが馬鹿みたい。ただの先輩なのに。 彼は立ち止まるとショーケースを覗き込んでいた。 横を向かれて咄嗟に道の端に隠れた。何してるんだろうか。 隠れる必要ないのに。堂々と横切ってもやましくないのに。 私は、彼らが店に入るのを見届けて帰った。 電気をつけずベッドに座った。 厳密に言えば、どちらとも何もしてないんだよね。 高畑君に関しては確かに私は思わせ振りな態度を取って遊んでいたのかもしれない。 可愛い後輩が、いや男が寄ってくることに調子に乗っちゃって。 嫌な女。そろそろ、期限がくるかもしれない。 彼の愛想が尽きてしまう。何故こんなに焦燥感に襲われているんだろう。 冷蔵庫からウイスキーを取り出した。 机の携帯が鳴り出した。電話に出るとやかましい声がする。 「柚子だけど。今ねーまだ居酒屋にいる」 「遅いじゃん。大丈夫なの」 「そうそうここだけの話、新井さんがたまたま同じところのテーブルになったわけよ。テンション上がりすぎて飲みすぎた。気持ち悪い。 誰かにおくってもらうか家にお邪魔する。じゃあね」 そのままモヤモヤする気持ちを酒で流し込んだ。 どうせ、純真無垢な感じを装ってるけど篠崎さんも腹の底で笑ってるんだ。 三十路の女が独り身なんて、惨め。 もうすぐバレンタインだっていうのに浮いた話もない。 酒が進むと記憶が徐々に薄れていった。 痛む身体を起こし目覚めの悪い朝、鏡を覗き込んだ。 メイクを落とさずに寝てしまった。 大きなため息をついた。 「酷い顔」 とりあえずシャワーを浴びに浴室にいく。 疲れは取れないけど、生ぬるいシャワーを浴びた。 酔いつぶれるなんて滅多にない。何をそんなに悩んでいるのか。 「馬鹿ね」 二日酔いの頭痛に顔をしかめ重い足で会社につくと、エレベーターでばったりと会ってしまった。いま一番会いたくない人。 「おはようございます」 「ん。おはよう」 ここで笑顔でおはよう、今日はいつもと違う色のネクタイつけてるね。 とても似合ってるよくらい言えたらいいのに。 「昨日の食事はどうだった?」 「え、まぁ、勿論楽しかったですよ」 チクリと胸が痛む。 「何故ですか」 「え、ほら口元が緩んでるし」 目をそらすと、恥ずかしそうに笑った。 「そうですか。バレバレとは。ここだけの話ですけど、結構いい子だなぁって。僕のこと、入社からずっと見ていたって言ってくれて。 新人の説明会の時にたまたま教えてから一目惚れだと言われて。 嬉しくない訳がないじゃないですか」 目に見えて嬉しそう。面白くない。 「へぇーなんか冷たいですね。嫉妬ですか」 顔をぐいっと近づけて彼は少し嬉しそうだ。 でも、これは彼女に対する笑みの残りだと思う。 何よ楽しんじゃって。すぐに乗り換えるとか軽い奴。 満員に近いエレベーターの中でどうしてこんなに大胆なことが出来るのだろう。腕で顔を押し返した。 「なわけないじゃない。貴方に興味ないから、もう関わらないで」 昨日のイライラと自身のモヤモヤが爆発した。 彼はかなり傷ついた顔をした。まずい言い過ぎたかも。 次の階に着いた途端、振り返ることもなくスタスタと私は出て行ってしまった。 それから数日間一言も話しかけに来なかった。 昼食の時間になり、食堂に降りると二人がたまたまいるのを見かけた。 さっと角の席に隠れた。顔を会わせるのは気まずい。 「あのっ、高畑さんの為にお弁当作ってきました。よければ、食べて下さい」 「ありがとう」 にこりと微笑んだ。あんな優しい笑顔が出来たんだ。 「喜んでくれて良かったです」 「いただくよ。それは、自分の分?」 手にもう一つお弁当を提げていた。 「はい」 「一緒に食べよう」 彼女は赤面しながらも頷いた。周りの社員もチラチラと二人を見ている。 「高畑と篠崎さんって本当にお似合いだよな」 「うん。嫉妬するくらい。 高畑君は爽やかですごく人当たりがいいのに対して、おっとりしてて静かな篠崎さんは和やかで丁度いい距離感のカップルになりそうだよね」 珈琲を吹き出していた。あの二人がカップルに。 「孝輔さんって呼んでもいいですか?」 顔を下に向け高畑君は黙ってしまった。 「図々しかったですよね。ごめんなさい。困らせる気はなかったんです」 「いや、嬉しいよ。でも、まだ会社の業務上の関係だから何て言うか、まだ高畑さんにしてくれる?一応、先輩だから」 「はい」 意外にも真面目な一面があったとは知らなかった。 昼食後、通りすがりに給湯室で同期と話しているのが聞こえた。 確か日野君と前田君だったと思う。 立ち聞きは駄目だとわかっているけど立ち止まって耳を澄ませた。 「お弁当もらったんだって?いいなー」 「何て言うか、参るな。これだけ尽くされると…本気で好きになりそう」 「お前、浅田先輩はどうしたんだよ。熱烈なアピールしてたのによ」 「うん。諦めたくはないけど。でも、篠崎さんにいずれは返事しないとだろ」 「でもさーお前には本当に興味がない様だけど」 「はっきり言うなよ。傷つくじゃん。 確かに先輩には勝ち目がないようだし。先輩のことはきっぱりと諦めるか」 「 そうか。いいんじゃないか。 確かに浅田先輩めちゃくちゃガード固いからな。 年下はちょっととかいってたし。絶対篠原さんと付き合った方がいいよ。 なんせ浅田先輩とは全然違っておっとりしてて癒されるし、尽くしてくれるし」 「だよなぁ」 いい気になっちゃってた私は馬鹿だ。 ズキンズキンと胸の奥が痛む。 高畑君もそんな風に思っていたなんて。 「お前だって心の底では冷たい、絶対になびかない、ただの憧れの先輩止まりなんだろ。 正直そんなんは誰だって思ってる」 聞いてはいけない気がして軽く耳を塞いだ。 「こうやって皆手を出せないから三十路で彼氏の一人も居ないんだよ」 嘲るような笑い声が響いた。 「ちょっと美人で仕事を出来るからって調子に乗ってるよねー」 「眞鍋。それは言い過ぎだろ」 後輩の眞鍋由実。大学から相当遊んでるという噂。 そして、上司には色目を使って昇格しようとしているのは本人が堂々と宣言している。 「ねぇ、孝輔君。今度、好きな映画が公開するんだけど。一緒に行かない」 「それなら俺が立候補します」 日野君が手を上げた。 「却下」 笑い声が大きくなった。 「日野には興味ないってさ。じゃあ俺も」 「うーん、今度ね」 「今度ならいいんだ」 前田君がガッツポーズをとる。 「まぁね。もうチケット買ってあるから。この時間に。じゃあね」 部屋の扉が開く前にエレベーターの角に隠れた。 「おお、浅田。いいところにいた。この資料作っておいてくれるか」 先輩とばったり鉢合わせた。ちょっと助かったかもしれない。 「はい」 足早にその場を去った。 「おはよう孝輔君」 振り返ると彼女が立っていた。 いつも会社で見る制服とは違い、露出が多く彼女の締まった細い腰とすらりと伸びた脚が強調されている。 目のやりどころに困るような胸の谷間までちらりと見える。 「あ、おはよう」 「じゃあ、行こっか」 腕に手を回される。わざとくっつけているのか身体が密着している。 彼女がモテる訳だ。映画を観たあと、ショッピングモールで買い物をした。 「次はあっちに行こう」 フードコートで御飯を食べた。 目の前で美味しそうに頬張っている。 この子は大人の癖に隠れた子供っぽいところがある。 「にしても、強引だろ。そして僕は男達のやっかみを受けたくはない」 「えー何言ってるの。そんなの孝輔君には関係ないよ。気にしないで」 無邪気にクレープを食べる横顔は子供っぽい。 「あのさ、同期とはいえそこまで僕に構う必要はないだろう。 何度も言っているけど、孝輔君じゃなくて高畑にして。 君の好みのタイプじゃないことは知ってる」 彼女は目を丸くした。 「好みのタイプじゃないってどういうこと?」 「ほら、眞鍋は中学からずっと途切れずに彼氏がいて、それも全部人気者だって聞いた」 「そうだよ?だから?」 平然と言ってのけるその顔が恨めしい人はどれだけいるか。 「でも僕はそうじゃないし」 彼女はふふっとわらった。 「勘違いしてると思うけど。ちゃんと言っておくね。 私、孝輔君のことは本気なんだからね」 「だから、何でだよ」 「うーん、なんでかな」 片目を瞑り舌を出した姿はどこか色っぽい。 「私にしちゃいなよ。夜の営みも上手いって言われるし」 唇の横にクリームがついている。 改めてそんなことを言われると目をそらしてしまう。 「フードコートで言う話じゃない」 珈琲をすすって顔をあげた。 「一回試しにしてみよう。 一度したら離れられなくなるかもしれないけど」 想像して赤面した。 この子には振り回されっぱなしだ。 「食べたんなら帰ろう。もう十分遊んだし。駅まで送る」 「え、まだ」 すっと手を引いて改札まで送った。 ちょっとふて腐れた表情で横にいる。 「まだ遅くない時間なのに。随分健全な時間に帰るの」 「毎日これくらいに帰った方がいいよ。女の子なんだから。 そのヒール、足痛くない?」 引いていた腕が引っ張られる。どうしたのかと振り返ると、俯いて立ち止まっている。 「やめてよ。優しくしないで」 上目遣いの潤んだ瞳がこっちを見ている。 「孝輔君は私を絶対に好きにならないのに。私がもっと好きになっちゃうじゃん。いつまで手を握ってるの…ずるいよ」 彼女は手を振り払った。 曲がると先の自販機の前に彼がいた。 彼に気づかれないように回れ右をした。 「浅田さん?」 振り返ることなく化粧室に行った。 食堂にいるのを見かけたけど、声をかけなかった。 屋上で飲み物を買いベンチに座った。 ふといい香りがし横を向くと篠崎さんがいた。 「お隣宜しいですか?」 可愛い声が耳に響く。 「ええ、勿論」 彼女は嬉しそうに座った。 「どうしたの」 「いい天気ですね。気分転換にちょっと新鮮な空気を吸いに来ました」 「う…ん。すごくいい天気だね」 話すことが思い付かない。 「ふふ、浅田先輩とお話するのは初めてですね」 「直接の先輩じゃないからね。そろそろお仕事に慣れた?」 「はい。難しいですけど。毎日勉強ですね」 「そうだよね、会計は何かとね」 サラダを開けてパクパク食べている。 可愛い子も可愛い子なりに努力しているんだな。 口の端にドレッシングが付いているのも何か滑稽だけど、可愛く見えてしまう。 「あの、唐突なんですけど」 「うん」 「浅田先輩の近くの部署に高畑さんっていらっしゃいますよね」 置いていた缶を手に取ると、既に冷えてしまっていた。 「いるね。どうかしたの」 彼女は遠くを見ていた目を私に合わせると離さない。 「噂で彼女がいるって聞きました。 それで…あの私。同期の眞鍋先輩と歩いているところを見てしまって」 二人がデートしたらしいってのは聞いてる。 私は話を聞いたからわかっているけど、誰かの首を絞める必要もない。 この子には私から言ってがっかりさせたくもない。 「そうなんだ。知らなかったな」 彼女はちらりとこっちを見た。 「あの、ごめんなさい。もう気がついているかもしれませんけど、仲が特に良いのが浅田先輩だとお聞きしまして。 やんわり高畑さんにそのことを聞いて欲しいんです」 彼女は私の手を両手で包んだ。 「この通りお願いします」 なんだろこの胸の中の重さは。  正直、今顔を会わせたくない。 「ごめんね、約束は出来ない。最近忙しくて、聞けたら聞いておくね」 もし聞けなくても罪悪感を抱かないように。 「はい。ありがとうございます」 彼女は少女のような笑顔で笑った。やっぱり悪意のない純粋な恋心だ。 「じゃあ、これで。それと、口にドレッシングついてるわよ」 彼女は慌てて口元を拭った。 ベンチを去った後、顔が固まっていなかっただろうかと心配になる。 エレベーターのボタンを押して溜め息をついた。 一つ下の階につき、扉が開くとそこに見慣れた顔があった。 「浅田さん」 こんなときに限って鉢合わせてしまった。 顔が見れない。 無言でエレベーターが降りるのを待つ。 やっぱり二人きりだと間が持たない。 聞くしかないな。 「あのさ、高畑君は付き合ってる人いるの」 彼ははっとして私を見た。 「私こういうの苦手なんだけどさ、篠崎さんとたまたま会って。 聞いてきて欲しいって頼まれたんだ。 嘘つくのは下手だから、直接聞いたってことは彼女には内緒ね」 彼は頭をかいた。 「いや、居ませんよ」 眞鍋さんとどうなったのか聞きたい。あくまでも篠崎さんの為。 「眞鍋さんと出掛けたらしいね。篠崎さんが残念がっていたよー」 茶化して言ってみたつもりだった。 「っ…」 彼は何かを言いかけたけど思いとどまったみたいだ。 彼は黙って扉に向き直った。 「眞鍋さんも社内で人気あるよね。私の課の畠中君もいつもデレデレしちゃって」 「そんなのどうでもいいじゃないですか。僕は」 話を途中で遮るようにいった。 「そうだね。私には関係ないから」 ちょうど私のフロアに到着した。彼の横をすり抜けて廊下に出た。 彼も同じフロアで働いている為に、後ろから早足で近づいてきた。 「待ってください。浅田さんには僕の痛みは分からないでしょう」 足早に立ち去ろうとすると、さらに足音が早まった。 負けじと足を早めたが手首を掴まれた。 「目も合わせてくれないんですね。僕の話を最後まで聞いて下さい。いつもいつも貴女は」 「やめて」 彼の力が弱まったのが分かる。 「私情を会社に持ち込むのはやめにしましょう。 いいわね、高畑さん」 彼は数日間話しかけることはなかった。 「浅田さん、山谷商事様からのお電話です。資料はこちらに置いてありますので」 「ありがとう」 彼は私に笑わず固い声で話すようになった。 残業の後、コンビニでビールを買った。 家に帰ると、昨日の夕食の残りと買ってきたお惣菜でビールをあおる。 番組を次々と変えてみたがどれも面白くない。 お見合い番組、恋愛シュミレーション、恋愛アニメ。 全部恋愛ものなんてそんなわけがない。 新聞に目を移すと無意識に恋愛番組に丸をつけていた。 溜め息をつきながらテレビを見つめた。 たまたま同じ場所に二人きりになり、いい雰囲気になった出演者の男が声をかける。 「由実ちゃんも来てたんだ」 「うん。ちょっと盛り上がりすぎて疲れちゃった」 男が近づく。 「隣いい?」 「うん」 この二人は互いに少しだけ気がある。 「誰か気になる人いる?」 「うーん、そっちは」 「まだ。もう決めたの?明日一緒に回る相手は」 この企画は数日間、複数の男女が一緒に過ごして、毎日デートしてみたい相手を決める。 スマホで番組の司会に送り、両想いの場合は二人きり、そうでない場合は全員で行動になる。 見どころは、初日から最終日までの間に男性サイドが女性に番組特製のキーホルダーを渡すことができる。 もう既に本命に渡したのか、自分にくれるのかそれに振り回される女性達。 キーホルダーは一つだけ本物で他はフェイク。 自分はフェイクなのか本物なのか分からない。 男達の中でも被ればライバルになる。 いつ渡すのかも重要なポイントになる。 もらった女性は最終日に決断しなければいけない。 キーホルダーを本人に返却するのか、片方をつけて正式に付き合うのか。 じっくり見つめてしまっていた。 最終日のどんでん返しや裏切りは涙なしでは見られない。 私はティッシュで豪快に鼻水をかんだ。 午前零時を回った頃、ようやく眠たくなりベッドに入った。 クーラーがききすぎて寒い。足を擦り合わせて暖をとる。 設定温度を上げるかと手を伸ばした。こんなときに側にいてくれたら。 「由佳さん、もう寝ました?」 布団の中に入ってくる。 「寝顔かわいい。よく寝てる」 手のひらが額にある髪の毛をよける。 もう片方の手が背中とベッドの間に入る。少し上体を起こされる。 「いいにおい」 首の辺りを嗅ぐようにして、くすぐったい。 ふいに耳たぶに舌がはった。 「眠ったふりなんて」 「おい、女性の布団に入るのは良くないぞ。ちょっと、そのへんでやめておけ」 次は首筋にそして耳全体に柔らかな感触がする。 体が密着していると暖かく感じる。 どうしてこの二人がいるんだろう。 「もう愛想つかされたかと思った。僕が酷い態度をとってばかりで」 そもそも付き合ってないし、なんで家にいるのか不思議。 「声我慢してるのかわいい」 片方の手が太ももを撫でる。 ギュっと抱き締めたかと思うと耳元で囁いた。 「ほんと可愛い。今は僕の声だけでも反応しちゃうなんて」 目を開けると前にスーツがある。 「やっと堪忍した?由佳さん」 見上げると高畑君がネクタイを緩めていた。前屈みになり近づけてきた口を手で制止した。 「駄目」 「駄目じゃない」 高畑君の後ろに相沢さんが立っている。パジャマをゆっくりと撫でる。 「男ウケのいいもの選んだんですよね。そんな格好して、誘ってるんですか」 「ちが」 「違わない」 彼は唇に噛みつく勢いでキスをした。 されるがままシーツを握りしめた。 「ほーら、強く握りしめてないで僕に集中して」 押し倒されどしりと重さがかかる。 「何か当たってる」 「我慢できない。可愛すぎて」 笑顔にドキリとする。 「一日中ずっと我慢してたんだ。 だから、もういいでしょう。 このパジャマ触り心地凄くいいです。 僕の為に買ったんですか」 高畑君の肩を相沢さんが掴む。 「俺は見学に来た訳じゃない。上司を前にそのまま進める気か。 先輩に先を譲るのがマナーだろう」 この人は変なところ真面目なんだから。じゃない。 ちょっと待って、何言ってるのこの人は。 「はいはい」 高畑君がベッドから降りると入れ替わった。 「緊張しているんだな」 やれやれと力を緩めたと思ったけどさらに強くなる。 シャツの胸元が開いていて、鎖骨の辺りが目の前に良く見える。 「ゆっくりと深呼吸して。高畑、女性のペースに合わせることが大事だ。 ガチガチに緊張してしまっているだろう。これじゃ楽しめない。 脱がすのは後になってから。まずは見本を見せてやる」 頬を指でなぞりゆっくりと唇を重ねた。 「こうやって優しく。見本の通りにやってみろ」 彼は再びベッドに戻ってきた。 「やっと俺を、男を教えられる。そろそろいいですね?」 「本当に駄目」 爆音に体を起こし目覚まし時計を止めた。何が起こったのかわからない。 クーラーが音をたて、ベッドから飛び出していた腕をさする。 腕は冷たくなっていた。 「さむ。クーラー切り忘れたのかな」 設定温度は上がっていない。 なのに、自分の身体は何かに飢えている感じがする。 モヤモヤとあのときの顔が思い浮かぶ。 何を夢の中で私はやりたかったのか。顔が熱くなるのを感じる。 やばい、欲求不満が爆発しかけている。 高畑君には優しく無理やりされたいなんて。突き放したのは私なのに。 廊下を曲がったとき、喫煙所で高畑君を見かけた。 あれ、高畑君は煙草を吸わないはずだけど。 「で、僕をここに呼び出しておいてどういうつもり」 「だから、この前あっさり帰っちゃったから。もう少し話すことがあるかなって」 「それなら、日野達も一緒に居てもいいだろ」 「駄目。何?分からないの。本当に鈍感なんだけど」 はぁと眞鍋さんが溜め息をついた。私は足早に前を立ち去った。 落ち着こうと給湯室で珈琲を入れていると、扉が開いた。 「浅田さん、ちょっといいですかー」 振り返ると彼女がいた。同じ制服を着ているとは思えないスタイルの良さがわかる。 「あの、お話があって」 そう言うと後ろ手で鍵を閉めた。にっこりと微笑む彼女の顔が真顔になった。 「あのさ、本当に生意気なんだけど。何、その気のない素振り」 私は呆気にとられながら、カップを机に置いた。 「勘違いしないで。孝輔君はあんたのこと全然好きじゃないよ」 「急にどうしたの」 「急にどうしたの、じゃないわよ」 荒々しい物言いに後ずさる。彼女は、冷蔵庫からミネラルウォーターを取り出して飲んだ。 「それに、図々しい。いつでも、孝輔君があんたの相手をしてくれると思った?三十路過ぎで彼氏の一人もいない色気零のおばさんに。 不憫に思って相手してやってたんだから」 私は何だか頭がくらくらしてきて、椅子にへたりこんだ。 「もう邪魔しないでくれる。身分をわきまえて。あなたは盛岡とお似合いよ。孝輔君はおばさんとなんてちっとも似合わない」 耐えきれず私は彼女を押し退けて、部屋の外に出た。 人気のない屋上にあがりベンチに座った。 さっき言われた言葉が痛いほど刺さってる。 そもそも、十も年下の後輩を好きになることなんてない。逆も然り。 言い返せなかった。悔し涙を拭いてデスクに戻った。 眞鍋さんが周りの社員に何やらこそこそと話をしている。 「本当に酷い。わざとぶつかったりなんかして。給湯室で怒られて、扉を開けて出ていった時にぶつかられて」 眞鍋さんが俯きがちに話すと心配した社員数名が寄って話を聞いている。 「酷いなそれは。ちょっと浅田さんに話をつけてくるから」 男性社員が近づいてきた。眞鍋さんと同じ課の同僚である松田君だ。 「あの、眞鍋が浅田さんに暴力を振るわれたと言っていますが事実ですか」 彼女は向こうで俯きながら私を見ている。 「ち、違う」 「何がですか」 「怒ったのは私じゃなくて、眞鍋さんで」 「そんなわけないでしょう。眞鍋にとって浅田さんは先輩ですよ。 馬鹿なこと言わないでください」 「馬鹿なことって…」 ふと横を見ると高畑君は忙しそうにパソコンに向かっている。 すると、眞鍋さんが立ち上がり通りすがりに私の耳元で囁いた。 「シラを切るなら、いざとなれば上司の盛岡さん使うから」 もう何も言い返せない。 彼女は弱々しい笑顔で松田君に言った。 「もういいよ、大したことじゃないし。私の代わりに言ってくれて松田さんありがとう」 彼女はデスクに戻った。氷のように固まってパソコンを暫く見つめていた。 何もかも彼女の言う通りになってしまった。 机に珈琲が置かれた。珈琲から湯気が立っている。 マグカップは私のものだ。 「マグカップ忘れていましたよ。温め直しておきました」 「珈琲ありがとう」 「最近僕のこと避けてません?」 俯いたまま答えた。 「避けてないよ。それより早く仕事片付けないと」 「どうしたんです。そんな絶望的な顔をして」 そして、肩に手が置かれた。 半笑いの声に顔をあげると、そこにいつもの高畑君がいた。 温かい珈琲と手を感じて何故だか熱いものが溢れてきた。 「ちょ、え、ちょっと。僕が何かしました?」 困り顔にかなり慌てている。 首を横に振ると腕を引かれて部屋を出た。 そして、休憩室のソファに座らされた。 「ハンカチ使って下さい」 手を伸ばしアイロンはかかってなくて皺はあるけど、洗濯はちゃんとしているいい香りのハンカチで涙を拭った。 「ありがとう」 「どーしたんです。ビックリするじゃないですか」 高畑君が隣に腰かけた。スーツのズボンが目にはいる。 「なんかあったんですか」 「大丈夫だから」 「大丈夫じゃないから言ってるんですよ」 暫く沈黙が続いた。 「僕、先輩の辛い顔見てられないです。 もしかして、眞鍋ですか。何か言われたんですね」 こくりと頷くと高畑君は立ち上がると出ていった。 少しして戻ってきた。 側には眞鍋さんがいた。目を合わせられない。 「眞鍋、浅田さんに何言ったんだよ。泣いてるだろ」 「何のこと。被害者は私だよ?浅田先輩の言ってることを信じてるの」 上目遣いに高畑君に密着する。 「お前のこと信じられる訳ないだろ。普通に考えてみろよ。 いつも嘘ばっかりで。入社式の時だって飲み会でだって、彼氏いるのにいないって言ったり嘘の大学の名前を言ったり」 流石の彼女も黙りこくってしまった。 「ちゃんと謝って。僕は怒ってないから」 「私は悪くない。高畑君の気を引こうとしたのは事実だけど。 じゃあ、私が何したって訳?この人から聞いてみてよ」 「先輩、話して」 じっと見つめている。 掠れた低く意識された優しい声でゆっくりと。 「ほら、何も言えないじゃん。そもそも説教されたのは私なの」 彼女は睨み付けている。 言えない。高畑君がおばさんは好きじゃないなんて言われたこと。 「僕は浅田先輩のこと信じてますから。 でも、完全に眞鍋が嘘をついてるとは言い切れない。だから、ちゃんと言って」 歯を食い縛った。 「高畑君はおばさんの私のことなんか好きじゃないって。相手してやっているだけって」 眞鍋さんに向き合うと彼はゆっくりと話だした。 「僕は浅田先輩のことを尊敬しているし、好きだ。 勿論、眞鍋のことも好きだよ。同僚としてはね。 でも、いつも自分中心に世界が回ってて当然だって態度と皆が自分を贔屓して、甘やかしてくれるって自信。そういう所が好きになれない」 眞鍋さんが高畑君の腕を掴んだ。 「絶対に上手くいくはずない。私は入社式からずっと同じ班で高畑君の側にいたの。年齢だって同じだし。こんなおばさんの何がいいのよ。 おかしいって」 「じゃあ最後に僕から言わせてもらう」 彼女は顔を上げた。 「今後プライベートには一切関わらないでくれ。 君はもう少し優しくて気の利く女性だと思っていたのに」 彼はスタスタといってしまった。 「待って!ねぇ、お願い」 彼女はよろけて膝をついた。 私が手を差し出すとはたかれた。 「同情なんていらない」 そさ憎しみがこもった目を向けて、彼女は走ってトイレに向かった。私は黙ってデスクに戻った。 明日の為に資料室に入ると、資料室の入り口近くのデスクの声が聞こえた。 前田君の声だ。 「眞鍋を振ったんだってな。お前がよくやるぜ。 男なら誰だって喜んで付き合うのに別の課の奴等も恨めしいって言ってた」 「うるせぇよ。お前だって以前、井上さんを断っただろ。 それに眞鍋は気になってる癖に」 「だから言ってるんだろ。眞鍋に好かれてるなんて羨ましいな。 で、まだ浅田さんが忘れられないのか」 日野君が高畑君のデスクに近づいた。 「意地になってるんじゃねぇぞ。ここまできたら諦められないプライドがあるんだろうけど、眞鍋と篠崎さんがアプローチしてるってのに贅沢言うなよ」 「悪いと思ってる。でも、友人なら僕の恋を応援してくれ」 そう言うと誰も何も言えず静まり返った。 「やっぱり僕は、浅田先輩が人の為にフォローを出来るところが好きなんだ。やってあげたアピールしないとことか。 見えてないだろうけど、いつも強がりで不器用で。 人と上手く出来ないのも。そこが可愛いんだよ」 かぁーっと耳が熱くなる。二人の呆れたような溜め息がこだまする。 「あーいう人って案外甘えん坊で、家では年齢的には上の癖に駄々こねてくるぜ。それに気ままで高畑のことを振り回すと思う」 「なら、俺が大人としてめちゃくちゃ甘やかしてやる。」 「なんだよそれ。臭い台詞過ぎ」 乾いた笑いだった。 「…それくらいは当たり前にどっしり構えて待っていたつもりなんだけど、僕じゃ頼りないのかもな。甘えてくるどころか突っぱねてくる。 僕の助けなんて要らない、関わらないでという風に。 好きになってくれないかな僕のこと」 資料室の裏口から非常階段に滑り込んだ。 熱い顔を押さえる。心臓がまだドキドキしている。 まさか、あんなこと考えていたなんて。 彼の前になるといつもツンツンしてしまうのは自覚してる。 それが、彼をいつも傷つけてたなんて。 やっぱり自分のなかでも気持ちをはっきりさせないと。 出張で各部から数名ずつ研修に参加することとなっていた。 研修の間の少しの休憩中、トイレから出てきたとき廊下の突き当たりに高畑くんがいるのが見えた。 声をかけようと近づくと曲がり角に相沢さんが来た。 高畑君が追いかけて何かを話している。 「元上司だかなんだか知らないですけど、僕は負けないですから」 「何の話だ。勝ち負けの話をするなら、もっとましな成果を出したらどうだ」 わぁ、厳しい言葉。 「お言葉ですが、結果は先月のコンパで出しました」 「あれは正直ひどかったな。まだ、選考対象に残っているだけだ。 ニーズにあっていない。もう一度考え直した方がいい」 子供をなめたような態度ではある。 今はいろんな意味で気まずいので、顔を半分隠して部屋に戻った。
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