年下の狼

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会議室に行くと、まだ誰も来ていなかった。 珈琲を側に置き息をつく。 すると、暫くして扉が開き高畑君が入ってきた。 「お隣宜しいですか」 「うん」 彼はスッと隣にかけた。話すこともなく沈黙が続く。 「この前はありがとう」 「いいえ」 「どうして庇ってくれたの」 「浅田先輩のこと信じてますから。それに眞鍋はああいう人なんです」 チョコレートを机に置き、高畑君に渡す。 「甘いもの好き?ちょっと休憩しよう」 彼は頷きチョコレートを受け取ろうと手を伸ばした。 私の手に重ねるとじっと見つめた。 いつものふざけた様子ではない。 「そろそろ僕とのこと本気で考えて下さい。思わせ振りな態度をとられるとどうしようもなくて」 そう言い俯いた。 「好きなんです。僕は本気です」 顔を上げると耳まで真っ赤だった。 「考えておいて下さい。返事はいつでもいいですから」 「それは」 「まだ、僕と相沢さんで決めかねてるんですか」 どうして選べないんだろう。 「私はどっちとも良い関係でいたい」 「でも、結婚は一人としか出来ません」 そこまで考えていたんだ。相沢さんにはいつも助けられていて、側にいてくれる安心といない時の恋しさは恋なんだろうか。 だけど、高畑君は笑顔をくれてフォロー上手でいつも味方で友達彼氏になったら楽しそうだな。 「もう少し時間をくれる?」 「じゃあ、僕が正式に結婚を申し込んだらどうしますか」 扉が開き人が入ってきた。 咄嗟に手を離し、何事もなかったかのように振る舞う。 手の熱でチョコレートが少し溶けていた。 廊下を歩いていると、向かいから高畑君が来るのが見えた。 とても気まずい。顔を僅かに合わせないようにして通りすぎた。 懇親会てことで、全員参加のバーベキューが行われる。 バスの隣は柚子。女性は好きな人同士で隣に座ったが、男性はくじ引きだったらしい。 チラリと見てみると相沢さんは運良く大嶋さんで(友人は彼ぐらいしかいないもんだけれど)高畑君の隣はまさかの高野で、新井さんと隣は佐伯さんだった。 「君が高畑君かぁ。話はよく聞いてるよ。 宜しく、高畑君」 「営業部の高野さんですよね。僕も初めましてですけど、営業部でよく見かけます」 「企画経営部の浅田と仲が良いようだね」 「ええ、よく食事など行きます」 一触即発まではいかないが、冷戦が繰り広げられている。 高野は何もしなくてもハイブランドでモテる、そして私達より先輩だけあって振る舞いはかなり堂々としている。 まだ入社数年の高畑君は若々しさと子供っぽさで対照的だ。 飄々としている高野、屈託のない笑顔が出来る高畑君はお互いに羨望があって気に入らないタイプなのだろう。 「ねぇ、最近高畑くんと変じゃない?見るからに避けてるし」 柚子がツンツンと頬をつつく。 「そんなことない」 「もしかして、告白された?」 「え?なんで」 「見てりゃ分かるわよ。え、何?やだ、もしかして大当たり」 柚子が慌てて肩を掴んだ。 耳まで熱くなっているのが分かる。 「うん」 「あんた、すごい良い物件じゃないの。答えは」 「まだ」 柚子は声のボリュームを落として話を続けた。 「あんたねー、高畑君ほどの優良物件そうないわよ。どうして即答しなかったのよ」 「だって、そういうのって優良物件とかそんなんじゃないじゃん」 「相手がいる内が華よ。選べないー、タイプじゃないーなんて引き伸ばして余裕ぶっこいてたら、このまま三十路で結婚しないわよ」 「わかってるけどー」 柚子の厳しい言葉は分かる。 「今日で決めなさいよ、分かったわね」 私は曖昧に頭を縦に振った。 何個か前の後ろ姿が気になる。 「そっちはどうだ?転勤は昇任の前触れと言うしな」 「いままで通りだよ。こっちは知り合いもいないし、支所だからそんなに忙しくない。 皆、定時退社で飲みにも行かないし、つまんないよ」 「そんなこと言うなよ。電車で一時間のとこにいるんだから週一回ぐらい連絡くれたら飲みに行こう」 「それもそうだな、ありがとう」 相沢さんも寂しいんだ。 なんだかちょっとだけ嬉しかった。 キャンプ場につくと、早速準備にとりかかる。 近くにスーパーがあるからレンタカーで買い出しに行く。 その間に釣りをして川魚を取って、火起こしやテントの設置、テーブルやバーベキューの網を準備する。 新井さんが役割分担を読み上げる。 「買い物班は浅田だったな、それと」 「僕も行ってきます」 え、ちょっと待ってよ。 驚いて見るけど、皆は何ともない顔をしている。 「おお、飲み物が重いから男手がいるな。高畑で決まり」 端から見るといつも通りの高畑君だ。 「えーと、じゃあ私は柚子とデザート調達に」 「おいおい、また高畑と喧嘩したのか。そんなこと言わずに行ってきてくれよ」 「そんなんじゃありません」 いつもの喧嘩だと思っている。 新井さんは私に集金の一部をくれた。 「ほれ、これで買い物行ってきて。俺はビールで」 高畑君の顔が見れない。 「行こう」 どちらともなくレンタカーに向かった。 助手席に座るといつもより距離が近い。 「腕時計変えたんだね」 彼は曖昧に頷いた。 「私なんか入社祝いでお母さんにもらったものだからもう何年も使ってる。色が剥げかけてきたかな」 前までよりもよそよそしく他愛もない話しか出てこない。 「みんなマシュマロ食べると思う? んー、私は欲しいけど男性陣はね」 「そうですね、喜ぶ人もいると思いますよ。スモア風にしてもいいかと」 駐車場に入り、腕を助手席にかける。 これモテ仕草で見たな。 彼はそのままやや助手席に傾いた体勢で俯いた。 その真剣な横顔が妙にドキリとするほど色めかしい。 「なに見てるんですか」 鼻と鼻がくっつく距離に近づいた。 思わず息を止めてしまった。 彼は私の唇に軽く口吻をした。 「そろそろ、いい?答えを聞かせて欲しい」 その声が掠れていて更に上目遣いが私の体温を上昇させた。 必死に頭を回転させる。 なんて返答したらいいんだろう。 「え、あぁさっきの」 「話をそらさないで」 まだ心の準備が出来ていない。 「もうちょっと待ってほしい」 「もうちょっとってどれくらい。 俺のこと嫌いですか」 怒ってる。いつもは見ない顔にドキドキする。 「混乱してて、もう少し考えさせてほしい」 「わかった。ごめん」 彼はその後ほとんどしゃべることなく戻った。 「おお、お疲れ様。ありがとう」 新井さんが荷物を私の手から取る。 「めっちゃビール買っちゃいましたよ」 いつもと同じテンションで高畑君は手を振った。 相沢さんが洗い物をしている手を止めこちらを見た。 高畑くんがクーラーボックスを取りに車に戻ると、 相沢さんがこっちに来ると一緒に肉や野菜を袋から取り出してくれる。 あ、と相沢さんの声が漏れる。 袋から取り出したのはいなり寿司だった。 ―俺、いなり寿司好きなんだよ。一人暮らしの時は小腹が空いたらついつい買ってた。 無意識だった。ボッと顔が熱くなる。 「俺のために?」 真顔からニヤニヤとした顔に変わる。 「は?なに言ってるんですか。お腹空いたから買ったんです」 事情を知らない新井さんがやって来た。 「こら、浅田はすぐに喧嘩する」 「違うんです」 大嶋さんが相沢さんの肩を掴んだ。 「夫婦だな」 「「うるさい」」 声が被り恥ずかしい。 「そんなに拒否しなくてもいいのになぁ」 新井さんと大嶋さんが笑っている。 その日はモヤモヤした気持ちで部屋に帰った。 「何かあったな?その様子だと進展はあったのかいな」 「何もないよ」 柚子は目の前でビールを開けた。 「これは聞き出すまで寝れないなぁ」 私は押しに負けて話し始めた。 「で、あんた答えたの?」 「もうちょっと待ってって言った」 「意気地無しねぇ!もうちょっと何かないわけ? あの高畑くんが言ってるんだから。 あんた他にもっと本命がいるの」 「いない…と思うけど」 「はぁ。どっちなのよ」 柚子に家で散々なじられた。 いつものように出勤後、珈琲をいれていると新井さんから呼び出された。 「浅田さん、ちょっと」 会議室なんかじゃなくその場で話せばいいのに。 新井さんはパンフレットとパワーポイント等の資料を持っていた。 彼は私に企画書を渡す。内容に目を通せということだろう。 「というわけで、浅田さんにはメイド喫茶のお手伝いをしてもらう」 「は?あの、何を仰って」 「大事な取引先からの依頼があって。 それに、今の若者のニーズを知ることにも繋がるし。勿論、タダでという訳じゃない。 昼食つきで日給に色がつく」 少しだけ魅力的に感じる。 「だからと言って私でなくても他に人材はいくらでもいるじゃないですか。会計課や秘書課とか」 「仕事が出来て、毎日ちゃんと報告書を出してくれそうなのは浅田さんしかいないんだよ」 「そんな消去法的な」 褒められてるのか分からないけど。 「宜しく頼んだよ。皆には出張で北海道辺りにいることになってるから」 というわけで、1ヶ月だけメイド喫茶に派遣されたのであった。 慣れない場所に事務職の私が接客をする羽目になるなんて。 仕事に慣れてきたころのこと。 「いかがですか」 チラシを配り顔を上げると、目があった。 一瞬時間が止まったような錯覚に陥る。 開いた口が塞がらない。お互いにみるみる顔が赤くなる。 「浅田、これは違うんだ。そういう趣味があるという訳ではなくてだな。 浅田こそこんなところで何してるんだ」 「それは…。よかったら中で昼食でも。安くて美味しいですよ」 クーポンを指差す。一応人を入れればいれる程みんなの給料が上がる。 「そういや昼食を何処でとるか悩んでいたところだ。スーツ姿のサラリーマンが入って浮かないだろうか」 「いや大丈夫ですよ」 大丈夫なわけないけど、そのまま案内した。 相沢さんは微妙な顔で建物に入った。やっちまったな。 「浅田さんチラシはもういいから、中でウェイターやってくれる?」 「はい」 私はカウンターに向かった。 今頃、相沢さんはもえもえきゅんしてもらってんだろうな。 スーツ姿を皆にジロジロと見られて、メイドには構われて。耳だけそば立てる。 「お兄さんお帰りなさいませ。今日はお仕事ですかー?」 相沢さんが戸惑う。 「あぁ、昼食をとりにきた。メニューは何がありますか」 「ラブラブオムライスときゅんきゅんラーメンとニコニコパスタと」 もう早速ドン引き。 「ら?ラブラブ?オムライス?」 私はその様子に焦りながらも、笑いが込み上げてくる。 私は厨房に頼まれて食事を運ぶと、相沢さんのテーブルだった。 「お待たせ致しました。ラブラブオムライスでございます」 彼はありがとうと照れ臭そうに言った。 オムライスを口に運ぶと美味しいと呟いた。 ジロジロとミニスカートを見てくる。 「そんなジロジロと見ないで下さい。私も恥ずかしいんです」 「いや、珍しくて」 流石に恥ずかしくて相沢さんにもえもえポーズはできない。 「男にチヤホヤされたいのか。そんなやけにならなくても」 そうぶっきらぼうに言う。モテなくてやけになって始めたみたいじゃない。 「男なら誰でもいいのか」 彼は黙々とオムライスをたべる。これはやっぱり勘違いしている。 「俺がいるのに」 何その台詞。空耳か自分の耳を疑った。 相沢さんが言うわけがない台詞。 そっぽを向いて慌てて返す。 「ニーズに応えるべく派遣されたんですよ。これは仕事なんです」 「そうか」 トレーを運んでいると、若い男性が大通りの向こうから歩いてくる。 あのサラサラの黒髪は見覚えがある。 咄嗟にトレーで顔を隠す。 「こちらはドキドキミートボールでございます」 彼はチラリと一瞥して通りすぎた。 ほっと胸を撫で下ろした。 ふと顔を上げるとさっきの人が戻ってきた。 「浅田先輩じゃないですか」 やっぱりばれたか。高畑くんはにこりと笑った。 「声で分かりました。どうしてここに」 「仕事。高畑くん、このことは秘密で。うちの上司しか知らないの」 高畑くんは驚いたように笑う。 「そーいうわけですね。了解。ここでご飯食べても? サービスしてくださいよ」 私が頷くと彼はスッと中に入った。 するとメイドが色めき立った。 「イケメンじゃない。子犬系的な」 彼の周りには忽ちメイドが集まった。 高畑くんは案内され席に着こうとした。 その時、重大なミスに気がつき頭を抱えた。 「あっ」 背中合わせの席でバッタリ二人は出会ってしまった。 「君は高畑くんだったか」 「相沢係長。どうして」 気まずそうに二人はうつむいた。 「俺、実はメイド喫茶が好きなんだ」 「お、俺もです。偶然ですね」 二人はその後黙って席に着いた。 すぐに厨房からお呼びがかかりどうすべきかパニックだけど、私は知り合いではないように振る舞った。 すると小太りの男性がお店に入ってきた。 「太田様お帰りなさいませ」 女の子達が声を揃えた。太田は真っ直ぐに私のところにきた。 「ゆかたん、お待たせ。ゆかたんの為に来てるんだよ」 二人の顔がひきつる。あちゃー見せてしまった。 「お帰りなさいませ太田様」 「ゆかたんには弘くんと呼んで欲しいな」 彼はドスリと席に座った。 「今日はカレーライス頼もうかな。ゆかたん特製のゆかたんビームを頂戴」 「かしこまりました」 私はオーダーをとり、厨房に戻った。 オーダーを伝え、ほぼほぼレトルトのカレーライスを手に太田さんの元に戻った。 「弘くんお待たせしました。それでは、お待ちかねのゆかたんビーム」 「うわーやられた」 この茶番をノリノリでぶりっこしてやるしかないのだ。仕事なんだから。 「ゆかたん特製のカレーは特別美味しいよ」 「よかった。ごゆっくり」 私は笑顔がひきつらないように気をつけて、トレーを運んだ。 「太田というよりふとだじゃん」と裏で言われていたことを思い出した。 運んでいると服の裾を捕まれた。 「おい、大丈夫なのか」 二人が心配そうに見上げている。 「心配です。こんなとこでいつまでやるんですか」 「来週で終わりだけど」 二人は同時に溜め息をついた。 「隙が多すぎる」 「男のことがわかっていない」 「思わせ振りな態度をとると付け上がるぞ」 「そうそう。ストーカーになるかもしれないし」 「そこんとこ大丈夫なのか」 口々に言ってくる。 「ええと、そんな私なんか特に若くて可愛くないんで心配は不要なのでは」 二人は顔を見合わせた。 「さっきも別の客にちょっかいかけられてたし」 「もしかして、誘えるのではと思われている」 「チョロい女だと思われている可能性が高い」 交互に意見を言い合う二人は昨日までいがみ合っていたとは思えない。 「だから」 「つまり」 「気をつけてほしいってこと」 私は二人の雰囲気に気圧されて頷くことしか出来ない。 「わかってますって」 二人は昼食をとるとすんなり帰っていった。 「この企画のリーダーになってくれないか」 超特大プロジェクトの企画であり、責任者に抜擢された。 「私がですか。まだそんな」 「君に期待しているからこそ、一度任せてみたい」 「でも」 部長は資料を手渡した。 「そんなこと言わずに、何でも挑戦してみて。若いうちはいくらでも失敗していいんだから。任せたよ」 「はい」 こんなわけで、8人中6人は私の年下で後輩を引き連れてのプロジェクトを任された。気が重くて朝から溜め息が漏れる。 「というわけで、企画説明は以上です。それでは、意見を出して下さい」 「スパンが短すぎて不可能です。 それに向こうの方々との打ち合わせはいつになるんですか。 こちらが段取りを決めておかなければ向こうも動けませんよね」 「確かにその通りですね」 ホワイトボードに書き込む。 次々と意見を出されて、会議は進んだけれど全くまとまらなかった。 会議は明日に再度行うことになったから、それまでにスムーズに進むように資料集めをしないと。 「お疲れ様です」 向かいの席になつっこい笑顔があった。 「高畑くん、帰ったんじゃなかったの」 「いえ。たまたま忘れ物を取りに来たら浅田さんがいたので。難しい案件らしいですね。俺で良ければ手伝いましょうか」 「ありがとう」 会議用の資料を作ったり、企画案の練り直しを手伝ってもらった。 「これで、明日は大丈夫ですね」 「うん。ありがとう助かった。遅くなったし、うちでご飯でも食べていく?献立は決めてあるから」 「あれ、城﨑さんと住んでるって言ってませんでした?」 「うん。柚子は出張で外泊だから」 はっと気がついた。まずい。 これじゃ、積極的に家に誘ってるみたいじゃない。 「あ、いや。やめとこうか。高畑くんの家から遠いし、近くのカフェでも」 うまく誤魔化せたか。顔を窺うと高畑くんはいつも通りだった。 「いえ、うちでも大丈夫です。 図々しいですけど一人暮らしなので、どうしても買った惣菜やお弁当ばっかりになってしまって。 是非手料理を食べたいです。食べたら帰りますんで」 そんなこと言われたら断れないよね。私から提案したし、このまま帰らせるわけにもいかない。 「わかった。付き合わせたお礼に」 「やった」 足りない材料をスーパーで買い一緒に家に帰った。 部屋の中に招き入れる。まさか人を入れるとは思ってなくてパジャマは脱ぎっぱなしだし、物も出しっぱなしだ。 女の二人暮らしってこんなもん。 「汚くてごめんね」 ソファの上の服をハンガーにかける。 「いえ」 「すぐ作るから待ってて」 高畑くんをソファに座らせて準備をする。 「なんだか新婚みたいですね」 「またそんな冗談を言って」 前にホテルであんなことがあって、意識しちゃう。 高畑くんは美味しそうにご飯を食べてくれた。 犬みたいだな。思わず吹き出してしまう。 「何笑ってるんですか」 「いや、美味しそうに食べるなあって」 「とても美味しいです」 ペットにほしい。 「おかわりお願いします」 「よく食べるね」 お茶碗をもらい、ご飯をよそう。おかわりってそれも犬みたい。 「こんな上手だったんですね。毎日食べたいくらい。 僕の為に毎日作ってくれたらいいな」 それって、プロポーズじゃん。お味噌汁を毎日作ってくれみたいな。 考えすぎか。赤面を隠すように、キッチンに向かう。気まずい。 何か言わないと。 「浅田先輩に話があります。僕はそのために家に来たんです」 妙に真面目なトーンになった。 「どうしたの」 食後の珈琲を持って向かいの席に座った。 「篠崎さんと真剣に付き合うことにしました。彼女に対して中途半端な気持ちは失礼だと思って」 どんな顔をしてなんて言ってあげればいいんだろう。 「そっか、良かったね」 高畑くんは顔を上げて私を見た。 その目は何処か寂しげだった。 「ご馳走さまでした。美味しかったです」 食器を片付けると彼はジャケットを着た。 「お疲れ様でした。帰りますね」 鞄を手に取り玄関まで見送る。 「手伝ってくれてありがとう。それと、大事な話をしてくれて嬉しかった」 靴を履いた彼は顔を上げると私を見つめた。 「篠崎さんと仲良くしていたのは先輩に嫉妬して欲しかったんです。早くしないとって。引き止めてほしかった。でも、決意が決まりました。 僕のことを好きになることはこれからも絶対ないと思うんです。 浅田さんを好きになってしまったんで、しょうがないんです。 だから、僕は身を引きます。 好きな人の恋を応援するのが男ですから」 そして触れるように優しいキスをした。 「最後だから許して」 掠れた声が耳元に残る。 目の前で扉がしまっていく。 午後の会議に向かおうとしていると、後輩達が隣の部屋に入っていくのを見た。 部屋を間違えたのかな。 それに、もうすぐ会議だってのに遅れてしまう。 一言声をかけようと部屋に近づくと部屋の中から声が聞こえた。 「正直、浅田先輩ってこの企画向いてないと思うんだよね。だって服のセンスとか壊滅的だし、リーダーっぽくなくてグダグダだし」 「浅田先輩って本当役立たず」 「今回のプロジェクトは駄目かもしれないな」 やっぱりそうだ。纏められていなかった。 私を押し退けるようにして、部屋に人が入っていった。 「すみません。この部屋予約していたのですが、間違っていませんか」 彼らは目をパチクリして、慌てて扉に向かった。 「あ、すみません。隣のA−4室と間違えました。失礼します」 恥ずかしそうな仕草で出口から出た。 「面と向かって言った方がいいんではないですか。それに全て責任者任せでは駄目ですよ。 あなた方も担当者の一人なんですから」 高畑くんが庇ってくれたんだ。彼らに気づかれないように会議室に入った。 それから会議は終わり、デスクに戻った。 なんとか企画案は纏められた。これで一歩前進した。まだほんの少しだけど。 すると部長が側にきて、私の手元を覗き込んだ。 「企画はうまく進んでいるか」 「はい、なんとか」 資料を手に取り私を見た。 彼は眉にシワを寄せた。 「企画はぱっとしないね。困るよ、もう一月もないんだから」 「申し訳ありません。先方に伝えます」 「まだその段階か。先が思いやられる。 このままで期間内に終わるのだろうか。 君には期待していた分がっかりだ」 「必ずやご期待に添えるよう」 彼は私の言葉を切って背を向けた。 「もういい。言い訳はいいから行ってきなさい」 何でこんなに上手くいかないんだろう。 何度取引先にはも頭を下げてお願いをした。 「ここは妥協出来ない。 この話はなかったことにしてくれませんか。 この条件で私達も飲むわけにはいかないのです。 リスクも伴っているわけですし」 「そこをなんとかお願いします」 この方の首を縦に振らせないと話が始まらない。 「明日また来て下さい。今日はこの話は一度保留にしましょう」 白紙に戻ってしまう。 とぼとぼと帰路についた。ムシャクシャする。 行き詰まった。気分転換に家の近くのバーに入った。 店内は薄暗くて、仕切りがありほぼ個室状態だ。 飲み物を頼んで一息ついているとなんだか考え込んでしまう。 私じゃ駄目だ。役に立たない。 皆の言うことも一理どころか百理ある。 分かってる分かってるけど。 悔しい。色々言われるのも全部自分のせいだ。 分かってるのに力不足で何も出来ない自分自身が悔しい。 しょっぱいのを手で拭い、ズルズルと鼻水をすする。 「お隣いいですか」 答える前に席を引き隣にかけた。 こんな時に声をかけるなんてタイミングの悪い男。 泣き顔を見られないように背けていると静かに飲み始めた。 「彼女に俺と同じのをあげて下さい」 「でも私、人と飲む気分じゃなくて。ごめんなさい」 「別にいい。 女性が泣いていたから口説くつもりではあったけれど、君の隣に居るだけだから気にしないでくれ」 変な人だな、顔をこっそり覗くと切れ長の綺麗な目がこちらを見ていた。息が止まる。 「こんなとこでメソメソしているやつを見かけて声をかけない訳がないだろう」 「なんでここに」 「実は明日、本部に戻ってくるというサプライズだったのに。お前のせいで台無しだ。 ほら、泣いてないで飲め」 そう言いカクテルを口に運んだ。 私、泣いているのに安心してる。 「おかえりなさい」 大きな手が頭を撫でる。 「泣き虫。リーダーなんだから泣いてちゃ駄目だ。 ほら、鼻水をふけ」 「ありがどうございまず」 前髪を上げているのが新鮮でぽーっと見てしまう。 スーツも仕事用というより、少しお洒落なものだ。 ごしごしと涙と鼻水をふく。 「誰かと約束ですか」 「いや、たまたま飲みに来たら浅田の背中を見つけて」 「そうですか」 カランと氷が回る。 「仕事のことだろう。話なら聞いてやる」 「上司や後輩達には迷惑かけるし、取引先とも中々話が進まず。うまくいかなくて」 彼はゆっくりと瞬きをした。 「周りに頼る要領の良さも覚えなくてはな。 まずは落ち着いて、周りの意見も聞いてみるといい。適材適所とも言うだろう」 それから何の話をしていたか覚えていないけれど、かなり話をした。 何杯もワインやウイスキーをあおった。 空になったグラスをカウンターに載せると、店員を呼んだ。 「彼女と会計一緒で。これでお願いします」 クレジットカードを手渡すと上着を着た。 「ほら、明日も頑張るために寝る。帰るぞ」 お店の前に出るとコートが風でヒラヒラと動く。 「ありがとうございました。 おかげでちょっとだけ元気が出ました」 私の顔を見て僅かに微笑んだ。今日初めての笑顔だ。 「よかった。その顔ができたら上出来だ」 「ご馳走さまです。おやすみなさい」 「おやすみ」 別れると家に帰った。
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