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かけひき
「本日から本部に戻りました相沢です。殆どの人は仕事をしたことがあると思う、新しく入ってきた人は初めまして。ここの部長を務めることになりました。
まだまだ未熟者ですがどうぞ宜しく」
社員が群がっている。
「相沢さんお帰りなさい。昇級おめでとうございます」
「ありがとう。ただいま」
私は遠くから眺めた。
このふわふわする気持ちは何だろう。
懐かしい笑顔に抱き締めてお帰りなさいと言いたい。
早く帰ってドラマ見ようと思ってたのに。
時計のカチカチという秒針の音がやけに耳障りだ。
一人また一人と挨拶をして帰っていき、これは残業は免れないだけでなく、最後の一人になってしまう。
パソコンと5時間近くにらめっこをしていて腰が痛い。ため息が漏れる。
「っ…痛てて」
パラパラとファイルをめくりあるページに目を通していた。
ここと、ここを訂正して計算し直す。
あと今日はここまで終わらせたら帰ろう。
視線をふとあげると目の前に湯気のたったコーヒーが置かれた。
黒いスーツが見える。
あの人だったらいいのにと思い顔を上げた。
「お疲れ様。頑張ってるな」
奥の席から表れたのは相沢部長。
缶コーヒーミルキー激甘という商品を私にくれた。
とても温かい。
「相沢さん。ありがとうございます」
よっしゃとガッツポーズをとった。
そして有り難く珈琲をすすった。
相沢さんが帰ってきて一ヶ月が経った。
激甘のこの珈琲がお気に入りで、昔一緒に営業に行ってた頃は相沢さんがよく買ってくれた。
「ふぅ温まります。今日も冷えますね」
「あぁ。風邪には気をつけろよ。遅くまでよくやってるよなぁ。終わりそうか」
「ええ、ここまで終わらせたら帰ります」
相変わらずの仏頂面で見下げている。
沈黙がしばらく続き気まずい雰囲気が流れる。
何か話さないと。
この前わからなかった仕事を聞いておこう。
「あのっ、ここ教えて頂けませんか」
「ここか、ここはだな」
屈んでパソコンのマウスを握り、手際の良い操作を見ていた。
少し長くなった髪が少し私の頬にあたり、背中にはネクタイと体温が伝わってくる。
横顔を眺めていた。近くて心臓が激しく動く。
「やっぱり俺は怖いか?」
へ?みたいな気の抜けた声がでた。
「俺は元々怖い面してるし、表情が乏しくよく怖いって言われるんだよな。
自分にはそんな意識なんて全くないんだが。
新人の時は俺が怖いから喋りづらかっただろう?」
パソコンから目を動かさず言った。
「俺、後輩とか部下に圧力かけてんじゃないかと思って。それで皆やりにくいんじゃないか。
この間、新人が怖いから聞きにくいって言ってたの聞いて。ちょっと傷ついた」
落ち込みを誤魔化そうとしない。
いつもどおり笑い飛ばしてくれない。
「そんなことないです。むしろ私は相沢さんのそういうとこも好きです」
「浅田は優しいな」
彼は目を細めて穏やかな笑みを浮かべた。
「憎まれ口も褒め言葉も遠慮なく言ってくれるのは浅田だけだ」
頭をワシャワシャと撫でられる。
今私はすごいことをさらっと言った。
助詞を間違えた。
一気に頭が真っ白になった。
「社内の雰囲気を悪くしてるのは俺だ」
「私のヒーローです。
ピンチの時はいつも助けてくれて、顔は正直怖いけど仕事はできるし、取引先では評判いいんですよ」
彼は驚いたように目を開き、それからそっぽを向いた。
「そんなに誉められても何も出ないぞ。
浅田とはそろそろ縁も腐り出したな。
お互いに五年経ったからな」
そうじゃない。
なあなあでフワッと終わってしまう。
今まで話す時間なんていくらでもあったのに。
「雑談はこのへんにして、続きをやるぞ。
早く終わらせて帰ろう。これはこうすると」
この時間が終わらなければいいのに。
「相沢さんがいないと生きていけません」
相沢さんが振り向き目があった。
「…は?」
「だから、相沢さんのことがきっと好きなんです」
言ってしまった。とっさに目を逸らして椅子から立ち上がった。
「珈琲ごちそうさまでした。もうこんな時間。
そろそろ私帰ります。
教えてくださりありがとうございました」
資料整理の終わったファイルをテキパキと倉庫に直しに背を向けた。
「お疲れさまでした」
「待て」
何か逆鱗に触れてしまったような気がしてならない。低く静かな声が背中から聞こえた。
「さっき何て言った?」
ひやりと冷たい汗が背中を落ちていく。
「お疲れさまでした?」
恐る恐る振り向くとパソコンに向かう相沢さんは背を向けたまま。
「そのまえだ」
静かな部屋に心臓の音が鳴り響いている。
「好きと言ったな。それは本当、なのか?」
一際声が低く大きくなった。そして、彼はしかめっ面のまま振り向いた。
「はい」
唇を噛みしめて表情を伺う。恥ずかしくて顔を直視出来ない。
しばらく相沢さんは考えこんだあと私を見た。
「はー。ったく、俺が最初に言おうと思ってたんだが。女に先に言わせる奴があるか」
相沢さんの顔がほころんだ。
状況を把握できずに紅潮した頬を押さえた。
「最初に何を言おうと」
相沢さんは私の額にデコピンした。
「うっせぇ…そのちっこい頭で考えろ、馬鹿。
帰ろう、夕食奢ってやるから」
パソコンの電源を落とし、鞄を持って出口に手をかけた。
私の様子に気がつき顔を覗き込む。
「どうした」
「いえ、なんでも」
「…俺と帰るの嫌か」
「そうじゃなくて。相沢さんが本当に私の事が好きなのか信じられなくて。
私達って付き合うってことでいいのかなと」
すると私を抱き寄せた。
「そんなことか。心配しなくていい。
俺が愛してやる。今までも、そしてこれから。
それと、俺の彼女になるなら下の名前“渉”って呼んでくれないか」
抱き締めたまま頭の上から声がして、相沢さんの声と呼吸音しか聞こえなくて死にそう。
「部長じゃ駄目でしょうか」
「駄目だ」
即答されて何も言えない。
「渉さん」
「声が聞こえないぞ?もう一度だ」
「っはい!渉さん」
彼は満足げに微笑んだ。
「これは教育しがいがあるな。既に一度同棲してるし、実質交際期間は一年以上か。ここまで長かった」
彼は汗ばんだ私の手を繋いだ。
「愛してるよ」
いつもは見せないその笑顔に瞬殺される。
効果音つけるならぐはっかもしれない。
「あの、幸子さんって誰ですか」
「なんで知ってるんだ?俺の母だ。たまに上京してご飯を作って旅行してから帰る。
きっと気が合うだろう。今度会わせる」
会わせてもらえるってことはいずれは結婚も。
次の日、おばさま代表の本間さんが昼の席で騒いでいた。
「悲報よ。相沢部長って華の独身じゃない。
なのに彼女出来たらしい」
「え、本当。超ショック」
明らかに落胆した雰囲気が漂う。
「あのお弁当は彼女が作ってるらしいのよ」
「明らかに卵焼きとか手作りだもんね」
私は耳が赤くならないように頷いた。
「でもちょっと下手くそよねぇ。だって形悪いし焦げてるもの。由佳ちゃんもそう思わない?」
「ええ」
ズキリとする。
「きっと若い彼女をもらったのよ。今までろくに家事もしてなかったんだわ」
そんなことないわ、ただ卵焼きは作って来なかったんじゃと言えない。
「色気が増したわよね。今まではただの仏頂面だったのに。
相沢さん推しは物好きといわれて、佐伯、新井、高畑派はアニメの主人公を好きになるタイプって言われてて」
「男も女も恋をすれば変わるものよ」
「あらやだー遠山さんってば。分かってるわね」
大盛り上がりだった。その間内心はヒヤヒヤしていたことは誰にも知られていない。はず。
暗い廊下を歩いていると窓ガラスの先に花が咲いた。
こんな季節になったんだと実感する。
このオフィス街の都会にも河川敷では花火まつりをやるもんなんだ。
景色をみるのはいつ以来だろう。ひたすらに追い付こうと誰にも負けないように走ってきた。
目の前で開く大きな花は暗闇にキラキラと煌めいて散った。
「綺麗だ」
ガラス越しに目があった。
「お疲れ様です」
彼は音も立てずに後ろに立っていた。
「こんな時間まで残ってたんだな。
折角だから、バルコニーで見よう」
まだスーツをよれなく着こなしている。
二人でバルコニーに出ると、より近くに花火が見える。
それから暫く黙って花火を見上げていた。
どれくらいの時間が経っただろう。お腹が音を立てそうになった。
そろそろ帰ろうかとした時、相沢さんが僅かにこっちを向き口を開いた。
花火のおとに紛れ声が消える。
私は首をかしげて「なんて?」と聞き返す。
向こうも口パクにしか見えていないだろう。
彼は一瞬顔をそらし頭をかいた。もう一度口が動く。
「だから」
丁度いいタイミングで花が咲いた。
なんか面白くなってきた。目の前で手を合わせて「もう一度言って」とジェスチャーをする。
「わざとなのか」
耳元にグッと口が近づく。
「何度も言わせるなよ、馬鹿。好きだ」
耳に熱い息がかかる。
ストレートな愛の言葉ほど効くものはない。
私はハグで彼に応えた。手を繋いで暗闇を二人で帰った。
柚子がいい物件を見つけたといい出ていって一人になると、再び相沢さんがこの部屋に来た。
総務には同棲することは流石にばれたが、周囲には黙っててくれた。
電気をつけ夕食は何にするか考えていると、ジャケットを脱いだ彼が背後に立った。
冷蔵庫の間に挟まれるような形になる。
「おかえりのキスはないのか」
新婚のようで気恥ずかしい。
実際は厳密に言うとまだプロポーズも受けていない。
「ほら、恥ずかしがらずに」
彼は目を細めた。身長差のある彼が少しだけ屈んでくれて、背伸びをして唇を合わせた。
恋をしているときこそ、恋愛を上手く描けるんです。
小説家がテレビで言っていた。
「仕事上、弊害がありまずいから俺達の関係は隠そう。二人きりでの出張とかは許されなくなるだろうし、色々と面倒事が増える」
「確かにそうですよね」
恋愛をすっ飛ばして同棲だし。なんだか寂しいけれどしょうがない。
色々と困ることがあり社内恋愛は大変だ。
「なんだか浮かない顔ねぇ」
城崎がまじまじと顔をみてくる。
「ん、ちょっとね」
内線が鳴る。
「浅田です」
「もしもし、俺だけど」
この声は。平静を装う。
「もうすぐ帰る。昼食終わったら、この間のレポート会議室に運んでおいてくれるか」
「はい」
会社の前の信号の音が電話越しに聞こえる。
「ええと、それと。今晩はおでんがいい」
「分かりました。それでは」
ドキドキと心臓の音が鳴る。
にやけるのを抑えるのが大変だ。
私たちの関係は秘密なんだから。
内線でイチャイチャしてると思われたら困る。
ふと、横をみると後輩がじっとこちらを見ていた。
「誰と話していたんですか。すごく楽しそうでしたね」
「いや、同期の子。久しぶりで」
「いいですね、私もたまに同期の友人とごはんに行きますよ」
遠山さんがやってきた。
「由佳ちゃん今から行く?」
いつも遠山さんと影山ちゃん同期と後輩、パートさんとランチに行っている。
「あっ、今日は約束してて。ありがとうございます」
「そっか、じゃあ後でね」
皆が部屋を出たのを見計らい、隣のビルの屋上に向かう。
見晴らしがよく、一般に解放されているガーデンになっている。
スーツの後ろ姿を見つけて駆け寄る。
「お疲れ様です」
朝に見送ってから直接取引先に顔を見せていたために、会社では初めて会う。
「ふぅ、疲れた。お腹空いたな」
私が持ってきたお弁当を一つ渡す。
「ありがと」
「卵焼き焦がしちゃった」
「そんなの気にしない。美味しい」
私だけ抜け駆けしているみたい。
今頃、皆は愚痴大会で盛り上がってるんだろうな。優越感と罪悪感。
彼の横顔を見れているだけでいい。
「パートさん達と食べてきても良かったんだぞ。俺がお弁当を取り忘れたんだし」
わざわざ届けさせて悪いと思っているんだな。
「いいんです。一緒にいたいから」
彼は少しだけ照れた。
「由佳の笑顔を見るとなんだか回復する。
午後も頑張ろうって」
ポカポカと日差しを浴びてお弁当を食べた。
「ほい」
ミルクティーとチョコレートをくれた。
「元気を出すにはこれだろう」
相沢さんは缶コーヒーを開けた。
自分のを買うのと同時に買ってくれたんだ。
その瞬間は私のことだけを考えていた。
「何ニヤニヤしてるんだ」
「なんでも」
「なんだ」
彼は私をじっと見る。
「可愛いなと」
彼は顔を背けた。
「それは君の方だろう。スカートで張り切って」
今晩の夕食のために、スカートをはいたのはばれていた。
「楽しみです」
「楽しみだな。それより、俺的には会社の男達にスカートを見られていると思うとなんだかモヤモヤする」
「なんですかそれ」
私が笑うとムッとした。すぐにいつもの顔に戻った。
「嫉妬、か」
二人で会社に戻っているとエレベーターは二人きりだった。
なんだか緊張する。
「午後の会議は白熱しそうですね」
横目で見て、そうだなと呟いた。
ネクタイと襟を整えた彼は私に近づき、そっとキスをした。
「ちょっと、扉が開いたらどうするんです」
熱い顔を抑えて言う。彼はニヤリと笑うと前を向いた。その瞬間、扉が開き同期の三人が入ってきた。
「おー、由佳っち。相沢部長お疲れ様です」
挨拶するとすぐに相沢さんを視界から消したように話しかけてくる。
「ねぇ、今晩どう?私と優衣、浜田君がくるし。あとはもろもろ」
「あー、えーと今日はちょっと先客がいて」
「いーじゃんね」
どうしよう。断りにくいな。
「ほらほら、由佳っちいこーよ。高収入のビジネスマン呼んでるから」
「それってつまり?合コン」
「うん。人数足りなくて。この通りお願い。由佳っち可愛いし。頼むよー」
会話が丸聞こえじゃん。なかなか諦めてくれない。
「向こう持ちだよ。来ない理由がないじゃん。今度こそ彼氏を」
エレベーターが到着した。
「悪いが、居酒屋で俺と会議だから」
相沢さんはそれだけ言うと出ていった。絶対に怒ってたよね。
三人はそっかーそれはしょうがないわ。頑張ってねと他人事のように離れていった。追いかけて隣を歩く。
「誰のせいで居酒屋になったんだか」
ポツリと呟く。
「それは、でも行きたかったバーに行きましょうよ」
「そんなの男女で行ったら怪しまれるだろう」
ふいと席に向かった。
女性更衣室で、制服から着替えながら皆でゆっくり雑談をする。
盛り上がれば一時間近く話しているときもある。
「この間、大森さんの名札が山下になっててビックリした」
「ほんと、いつの間に結婚したのってかんじ」
本間さんの前ではタブーではないかと思うんだけど、本間さんもいつも楽しそうに話している。
「この中からも気がついたら結婚してるかも」
「裏切り者ー」
「そういえば、浅田さんって彼氏いるの?」
これは嘘つく理由もない。お誘いの抑止になるらしい。
「うん、いる」
「どんな人?」
「うーん、寡黙な人。だけど、あれはこーだとかうるさい時もあるよ」
「そっか、うちの彼氏は束縛がきつくて」
ほら、マウントとられた。
「いっつも、何してるとか聞いてくるわけ。それに飲み会には極力行かないでほしいとか。皆はない?」
束縛なんて全くない。私って愛されているのかな。
「私も、連絡が少し遅くなっただけで催促される」
悩みがそれぞれあるんだな。
「由佳ちゃん。ぶっちゃけ誰?」
皆の視線があつまる。
「それはちょっと」
「あー、彼女いるけど名前伏せてるのって板垣さんと井上さんじゃん。
下田さんはないかー浅田さんの十個上だし。
あとは、相沢部長か」
心臓が止まるかと思った。
「なわけないじゃんね、高畑君は年下か、絡んでたよね」
「高畑さんって篠原さんと付き合ってるんだよ。知らなかったの」
「あの二人お似合いだもんね。佐伯さんでは」
そろそろ否定モードになる。
「高校のときのクラスメイトだし皆知らないよ。言っても」
「なーんだ、社内かと」
心底がっかりした顔を見せた。
「わたし、佐伯さんと付き合ってるんです」
場の空気が固まり、一斉に声の主に振り向いた。
モテ男の佐伯と付き合えるのはどんなやつだろう。
口紅を塗り直している影山ちゃんだった。
数人が影山ちゃんを取り囲む。
「いつから?」
「先週から」
こんにゃろ、相沢さんが好きだったんじゃないの。
すんなり乗り換えやがって。
こういうところが影山ちゃんの薄情なところだ。
「それでそれで、どんな感じで」
「えーと、佐伯さんと同じプロジェクトやってて。
私が失恋して落ち込んでいたところに、そんなやつほっておいたらいい。俺と付き合う?みたいな」
「うわ、佐伯パワー」
色めき立った。
「さすが佐伯だけある。言うことが違うわ」
「で、どうなの?」
「とっても優しくて紳士的ですよ。
いつもレディファーストで、扉開けてくれたり道路側を歩いたり。ただ、本命かどうかはわからない。
連絡はマメにくれないし、ご飯は小綺麗な居酒屋だし。高いところではないよね。
ディナーというより飲み会みたいな。
キス以上の進展はないし。
私最優先じゃないっていうか、プライベートは持っていて、テリトリーには入れてくれない」
全員が耳を澄ませて、おば様方は前のめりで聞いていたが、皆が首をかしげる。
「それってどうなんだろう。本命が別にいるってこと?」
「んーわからない」
「あいつはモテ男だからなー」
既婚の先輩達が頷く。
「顔と性格は好青年を絵に描いたような感じで、それなのに壁はなくて誰にでも優しくて気さく。
怪しいなー。それとなく、皆調査してみようか。
私は同期の高野君に聞いてみるし」
高野。聞きたくない名前だ。
その後、それぞれ大嶋さんと木下くんに聞くという人を募集した。
「ねぇ、由佳ちゃんは直属の上司なんだから相沢部長に聞いてみて」
「了解」
彼は教えてくれるだろうか。
そして、結局はバーに行くことになった。
落ち着いた半個室の薄暗い照明の店だった。
「ここなら大丈夫だろう」
料理とお酒を頼み、久しぶりの外食だから何を話していいかわからない。
食べながら他愛もない会話を交わすも弾まず沈黙が続く。
「なんですぐ断らなかった」
指でウイスキーの氷を回した。
何て答えればいいんだろう。上手く断れなくて。
「それは」
「同期と仲良くするのもいいが、俺のことも」
遮るように彼はそこまで言うと無言になった。それから何を話してもお酒を飲み反応も薄かった。
いつもよりペースが早い。
そして、強い酒を頼んでいる。
「ちょっと、もう少しペース落とした方が」
「うん」
気のない返事。
あっという間にベロベロに酔いつぶれてしまった。
「帰りますよ」
「ん、ああ」
肩を貸してあげる。お会計はいつも俺が出すからと言うけれど、代わりに済ませる。
これを歩いて連れて帰るのは無理だな。
タクシーを止め、押し込んで部屋に連れて帰る。
ちょっとだけ意識を取り戻した彼をソファに座らせる。
「お水飲んで」
コップの水を渡すも、うつらうつらとしていて服に溢してしまった。
一気に飲むと息をついた。
「…情けない」
珍しく落ち込んでいた。
「束縛したいわけじゃない」
ぐしゃっと前髪をかきあげる。
「俺の大嫌いな俺の部分が出てくる、また同じことを」
その姿を見てられなくて頭を抱き締めた。
「大丈夫。落ち着いて下さい」
彼はぎゅっと服を掴む。
「そんなことで嫌いになると思いました?
むしろ嬉しいです。相沢さんが本気だと知れたので」
はっとしてすぐに笑った。
「ならないな。もっと嫌なこと沢山言ったもんな」
二人の笑い声が重なる。
「上においで」
猫なで声でドキリとする。向かい合って膝の上に座る。
「佐伯さんと影山ちゃん付き合ったらしいですよ」
「そうか」
首筋に柔らかい唇が這う。
「本気だと思いますか」
「佐伯は、あーいう男だ。のらりくらりしていて、だけど、股はかけるやつじゃない。
仕事も人柄も信用している。
なんていうか、彼女の本気度を見てるんだ。
自分と付き合うのは人気者の隣にいられる優越感でなのか、本当に好きなのか。
つまり、あえて引いておいて様子を伺い、彼女の方からのアプローチを待っている。
そうすることで構ってもらえない影山さんは佐伯のことが気になって仕方がなくなるはずだろう」
「面倒ですね。恋愛てのは」
指が唇に優しく触れる。
「だから面白い」
ソファに押し倒される。
「俺たちもずっとすれ違っていた。恋の駆け引き(ゲーム)は頭脳戦」
すーと指が服を撫でる。
「目をそらすな、いまは俺だけを見ろ」
低い声で熱い息があたる。
額に唇が落ちる。アルコールの匂いがした。
「シてもらえると思ったか?」
意地悪だ。
「唇にほしいって顔してる」
本当に欲しいのは貴方の方の癖に。
「今日はちょっと遅くなりそう」
「気をつけて帰ってきて。時間は気にしなくていい、俺もどっかで食べてくる」
「ごめんね」
今日は私が当番だったのに夕食を作らない罪悪感があるし、それに今から行くのは柚子から誘われた合コン。
「ねぇねぇ由佳、人数合わせで来て。お願い」
「私は彼氏いるし」
「お願い。医者がいるから絶対狙い目なの!
由佳来ないとパーになっちゃう」
「えー」
「友人の一生のお願いだから」
結局断りきれずに行くことになった。
向こうはイケメンばかりだと聞いて少しだけワクワクした。
参加する女子のあとの二人は大学のときの友人だ。
「柚子といいます。この子は友達の由佳とあゆみ、真奈です」
前に座った少しだけチャラい男の横に見慣れた顔があった。柚子に肘でつつかれる。
「ちょっと由佳、あれ、相沢さんじゃない」
「は?」
さっき家でわかれたはずの相沢さんがいた。
「自己紹介しましょうか。僕は平川勇二といいます。仕事はコンピュータ系をやっています」
爽やかな眼鏡の男性が促す。
一人ずつ自己紹介が始まった。
「ええと、相沢渉です。35です」
柚子の大学時代の友達である真奈ちゃんが言う。
「なんのお仕事してるんですか~」
「企画経営や取引先と打ち合わせなどをおこなっています」
平川さんが相沢さんの肩を叩く。
「渉は一応、部長らしいから責任感は重いけどお給料はいいと思う」
へぇーと女性陣から声が上がる。
誰よあの眼鏡の好青年は。知らなかった。
もう一人の石田さんは派手なアクセサリーをつけて、喋り方も明らかにチャラい。
全員が自己紹介を終え、私と柚子と相沢さんの三人はきっと居心地の悪さを感じていたはず。
「ドリンクバーとってくる」
女性陣はドリンクバーへと向かった。
「みんな誰が良かった?」
「真奈は相沢さんかな~」
まさか自分達の上司だとは思わなかった。
「なんか誠実そうで、スーツも決まってるし、歳上の落ち着いた男性って感じ。時計もセンス良かったし」
柚子が笑いをこらえている。
「平川さんもいいと思うんだけど。
石田さんはチャラくってちょっと無理。
でもねぇ、ぶっちゃけると知り合いなんだよね」
「えー誰々?」
知らない二人が興味津々に寄ってきた。
「会社の同僚」
「へぇ、いつもあんな感じ?」
「まぁね。でも、彼女いそうなんだけどな。謎のベールに包まれている」
その通りです。
「弁当を自分で作るとは思えないし、最近匂いが変わったっていうか。柔軟剤?」
「いいよー真奈もいるし」
「は?いたの」
「うん、二人」
「三股じゃん」
「駄目駄目、倫理的にアウト」
私が止めると三人は笑った。あゆみちゃんが言う。
「由佳ちゃん固いんだから、一夜の関係でもいいじゃないこの際さ」
「そうそう、アプローチかけちゃおうかな。身体だけの関係でもいいし。
夜はどんな感じなんだろうね、優しいのかドSなのか。焦らしてくるタイプかもね」
真奈ちゃんの言葉に想像してしまう。
「はぁ、いいわけないじゃん」
「必死ね。もしかして、由佳って相沢さん狙いなの」
柚子がニヤニヤしている。
「ち、違うわよ。仮にも上司なんだから」
「へぇー上司なんだ」
後で相沢さんを問い詰めてやらないと。
あゆみちゃんは鏡を見ながら呟いた。
「でも、私は本気で彼氏を探しに来てるからねー。
今夜は絶対いい人見つけて連絡とる」
私たちはそれぞれ飲み物を取って席に戻った。
相沢さんがどことなく不機嫌だ。
私にしか気がつかない程、わずかだけど。
「ここで王様ゲームやります。ここに割りばしを用意したので、一斉に引いて王様が言ったことをやるって感じで」
「いや、ちょっと俺はそんな歳じゃないし」
相沢さんと平川さんが首を横にふった。
「合コンでやらなくでどうするんだよ。盛り上がるからさ。ほれ、これで」
お箸の入っていた袋に番号を書き出した。
後で聞いたことだけど、この三人は大学の時の友達らしい。
「王様だれだ」
「俺だ。じゃあ、5番と7番がポッキーゲーム」
よりにもよって石田さん。
「由佳ちゃんじゃん。じゃあ、俺が咥えてるから」
相沢さんが目を細めて、眉間に皺を寄せた。
ポッキーを食べて行くと、柚子たちがもっと行けると囃し立てる。
戸惑っていると不意に石田さんがポッキーを食べ進め触れそうになったから、思わず口をはなした。
「由佳ちゃんあざといな。緊張しながら食べるんだから」
石田さんは笑った。
「次は王様だーれだ」
「わたしだ」
柚子が手を上げた。
「じゃあ、3と4が次の次のターンまで手を繋ぐ。
これあゆみ達だと笑っちゃうよね」
あ、やばい。まただ。相沢さんの方を怖くて見れない。
「私」
「由佳ばっかりじゃん、ある意味当たり」
4番がすっと手を上げた。
「俺だ」
相沢さんが耳の上部分を赤くさせている。
「おー、渉か。由佳ちゃんと手つなぎ緊張してるのか」
「違うし」
手を差し出された手を握ると少し汗ばんでいた。
暴露話や仕事の愚痴でひとしきり盛り上がると
食べ物が運ばれてきた。
「ちょっとだけ休憩しようか」
「賛成。じゃあ、席交代しようよ。
まだ相沢さんとは話してないし」
真奈ちゃんが立ち上がると右回りに回転することになった。
「あ、そこの二人はまだニターン終わってないから繋いだままで」
手の平が熱くて肩が触れあってしんどい。
隣で真奈ちゃんが相沢さんに話しかけている。
平川さんが隣の席にきた。
「浅田さん、二人でお話したいと思ってたんですよ」
「ありがとうございます」
平川さんは真面目なタイプなんだろうな。
「お酒得意ですか」
「いや、あんまり」
「お水入れてきましょうか」
スーツも決まってるし、食事を取り分けてくれたり、さりげなく机を拭いたり飲み物の注文をとったりする。
相沢さんとは正反対で彼はとても気が利くし紳士的だ。
趣味の映画の話や学生時代の研究の話をして盛り上がった。
「唐突に言って恥ずかしいんですが、俺と今度食事でもいかがですか」
手を強く握られ、チラリと見ると相沢さんは真奈ちゃんの話を相槌を打って聴いていた。
「えーと、とても嬉しいんですけど」
これは彼氏がいると言うべきだろうか。
勝手に期待させても悪いし。
見つめる平川さんと私の間にす、とビールのジョッキが入った。
「ちょっといい。俺も浅田さんと喋ってみたい。
早速二人でデート行くなんてずるいぞ」
平川さんの頬が緩んだ。
「渉、邪魔するなよ。手を握ってるくせに。
相当酔ってんな」
恋人繋ぎされた手はしっかりと握られたままだ。
力がぎゅっと入る。これは酔ってないな。
「ひどーい、相沢さん私の話聞いてなかったんですね。真奈は脈なしってことですか」
「うん。ごめん」
真奈ちゃんは膨れたふりをして、石田さんの方に行ってしまった。
「じゃあ、俺は柚子さんとこに行くよ。
気が向いたら連絡して」
メモを手渡され、平川さんに心の中で土下座をしながら相沢さんと二人きりの席に着いた。
「どういうことか説明してくれ」
「相沢さんこそですよ。友達と飲むって言ってたのに」
「それは間違ってないだろう。
君は俺がいる身なのに黙って合コンに来たんだぞ」
「それは相沢さんも言えるじゃないですか。
これは柚子が医者がいるからって人数会わせにお願いされたの。医者がいるなんて嘘じゃない」
「はぁ城崎が頼んだのか。
ったく、彼氏いるの知ってるのに。
石田はあぁ見えて医者だぞ」
「ええ、ほんとですか。人は見た目によりませんね」
「まぁいい。お持ち帰りなんて持っての外だし隙を見せるなよ、心配だから」
体温が急上昇し熱い。
「わかってますよ」
石田さんが私の方を見た。
「ねぇねぇ、由佳ちゃんだっけ?
俺も話してみたいんだけど。ちょっといい?
君、大人しそうだよね。すごい尽くしてくれそう。
仕事で夜勤とか多いんだけど、支えてくれる人がいいんだよね。
でも、彼氏いるんでしょ」
「ええ、ええと。そうですね」
「なんだ俺密かに由佳ちゃんのこと気になってたのに、残念。そこの彼とずっと手を繋いだままだし」
三人で向かい合っていたが何も口に出せなかった。
「え…と。それは」
「涉さ、嘘つくの下手すぎ。来たときから気づいてたんだけど」
「すまん」
「他の人には言わないであげるから」
結局、家に帰るまで何も話せなかった。
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