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溺愛注意報、憧れの部長がヘタレすぎる
「おはよう」
キリッとした声が響き渡る。そのすぐ後に、おはようございますという声が連鎖的に聞こえる。
「これは経理に回してくれ」指示が飛び交う。
「おはよう」
顔を上げるとそこに顔があった。
「お、おはようございます。昨日の頼まれてた資料の作成が終わりました。」
彼は微笑んだ。
「よくやった。時間がかかっただろう。お疲れ様。よく出来る部下だよ。」
資料を手に取ると、奥の席に向かった。
周りの女性社員が一斉に椅子を寄せあった。
「やっぱり、相沢部長格好いいよね。急に垢抜けた感じ。」
「本当に。あの人と結婚できたら玉の輿ですよね」
「由佳は?」
私は唐突に話題を振られてギクリとした。
「私かぁ。私も憧れてる」
「もう、ザできる男って感じじゃない。いいなぁ。」
皆憧れの眼差しで奥のデスクでパソコンと向かい合っている部長を見ている。さらさらの黒髪が綺麗に整えられている。
仕事はできるし、顔も性格もいい。きっと素晴らしい生活してるんだろうな。
朝起きてシャワー浴びて、美味しい生ハムと食パンを食べてと、誰もが考えているだろう。
私は空になったカップにコーヒーを入れに給湯室に向かった。
その後ろを呼び止められた。
「浅田、俺のコーヒーも入れてくれないか」
「かしこまりました」
皆の視線が私に集まり、こそこそと耳打ちをしてくる。
「由佳、いいなぁ。名前呼んでもらえてさぁ」
私はすかさず返した。
「遥だってこの前呼ばれてたじゃない。」
「それは違うって。資料の訂正を頼まれてたの。私のミス」
私は給湯室に入ると、部長専用のマグカップを取り出した。
コーヒーを入れてデスクに持っていくと彼は顔を上げた。
「お疲れ様。ありがとう。仕事は順調に進んでるか。」
「あ、はい。」
机の上には皆に見えないようにメモが書いてあった。
「いつものカフェで待っていて。」
私が頷くと満足そうにコーヒーを飲んだ。
「待たせた。」
部長は席に着かずに伝票を取るとレジに向かった。
「キャラメルコーヒー好きだよな。いつも同じのじゃないか」
そう言って笑った。
「いいんです。好きなんで」
初めてのデートで飲んだときに美味しかった。
ふわりと手が重なり、手を引き駅に向かっている。
「渉さん、会社の隣ですよ」
「いいじゃないか。ばれても。それとも、恥ずかしいのか。」
「こっちは必死に隠してるのに。皆に恨まれて友情どころじゃありませんよ。裏切り者呼ばわりされる。」
彼は立ち止まった。
「それは大変だ。なら、俺が守ってあげよう。」
「そんな簡単なことじゃないんです。女の友情って複雑なんですよ」
「はぁ、そんな顔をするな」
暗がりの街灯の下ではさらに悲しそうに見える。
私の頬を撫でるとと呟いた。
「そんな顔してると幸せが逃げていくぞ」
少し言いすぎた。「十分幸せです。今も」
彼は少し顔を赤らめた。
満員電車は本当にいつもうんざりする。
「こっちに」
電車の扉の前に私を立たせた。前に立つと、向き直った。
「危ないからな」
がたんと電車が揺れた。彼の顔が近い。
思わず目を逸らすと、それに気がついた。
「どうした。」
「あ、いえ。」
じっと見つめている。
「何考えてる」
厚い胸板と白い清潔なyシャツが目前にある。
「仕事の失敗ならいってみろ」
「違いますよ」
「だったら何だよ。俺のことじっと見つめて」
こんなこと口が裂けても言えない。て、いうか言ったらやばい。
このスマートな部長、実は裏の顔があるんです。
今日の昼食のときのこと。
「えーそれ相沢さんが作ったんですかぁ。尊敬します」
「そんなことないよ。有り合わせのものだから」
「さっすが、節約上手」
女子社員に囲まれていた。
でも、そうじゃない。彼はお弁当は冷凍だし、お惣菜買ってきて詰めている。それに私が部屋に通い出したときのこと。
クローゼットにシャツがかけられていた。
「ただいま、って渉さん。洗濯はしたんですか」
「うーん一週間はしてないな。纏めてやれば大丈夫だろう」
「これ皺寄っちゃうじゃないですか。」
スーツは何着か持っているけどクローゼットにかかっている。
とまぁ、実は表は完璧な部長で憧れの的だけれど、だらし無いったらありゃしない。家事だけはどうしても苦手なのだ。これが彼の秘密。
それに、こういう男の人って大人を出してきそうだけど、そうじゃない。
テレビを見ていると急に抱き着いてきた。
「どうしたんですか」
背中に顔を埋めている。
「頼むから二人きりの時は敬語はやめてくれよ。
あー、もう何もやりたくない。部長もやめたい。皆に常に何でもできるエリートだって期待されてて失敗できないし。取引先には俺が怒られるし。
もう、泣きたい。」
ソファの膝の上で泣き言を1時間近く言う。これが皆の憧れの部長ですか。
玄関の電気を点けた。同棲を始めて非常に困ったことがある。
私は今朝出て行った時に確認しなかったけれど、私が朝食を作っている間に起きてきた彼はいつも布団を畳まない。しかしそこは本題ではない。
「布団畳んでって言ったのに」
寝室の入口に立っている彼のシルエットが見える。
「いいんだよ。畳まなくて」
私はまたいつもの言い訳が始まったかと思った。
いつものパターンに持ち込まれた。そう思った頃には遅い。
「いつでも押し倒せるからいい」
気付けば布団の上にいた。首筋を舌でなぞりながら耳を噛む。
「もうちょっと性欲抑えてよ。」
熱く荒い息が聞こえる。
「無理。俺はいつでもしたい。全然足りない。側にいると毎日でもしたい。」
唇にゆっくりと舌を這わせた。
「今日はしていいか。」
寝返りを打つと、カーテンが全開であることに気がついた。
「ご飯食べてない。カーテン開いてるし。疲れてるの。ご飯食べて早く寝たい。」
このような抗議の声はいつもキスで黙らせる。
冷静沈着な部長は家に帰ると野獣化する。止める方法は今のところない。
「焦らすなよ。4日もおあずけくらってんのにまだ待たせるつもり。」
はだけているシャツの前が見える。
「疲れてるの」
「わかってるよ」
優しい声で制される。
「わかってない」
少し強い口調で言うと、優しく抱きしめてきた。
「悪かったよ。機嫌直してくれ。その代わりにギュッとさせて。」
黙って抱き着かれていると、どこか頼りない声が漏れてきた。
「俺を駄目になるくらい甘やかしてくれ。
お前がいないと生きられないくらいに。」
頭を撫でると、目を閉じた。年上なのにこれじゃまるで子供だ。
「もういい?」
「まだ駄目だ。離したくない」
さすがに4日は長いか。ふて腐れている。
「したくないんじゃないの。ごめん」
顔を上げた彼の唇に唇を押し当てた。
一瞬驚いたように目を開いたが、嬉しそうにしている。
「いいんだな。」
忽ちスカートやブラウスに手が伸びる。
「じゃあ、足腰立たなくなるまで一日中やろうか、俺は全然出来るよ。四日分の相手してくれよ。」
今にも襲われそうな予感がした。
「駄目」
「今誘っておいてそれはないだろ。生殺しだぞ」
肩を押し返すと不満気に口を尖らせた。
「待てないって言ってるだろ。」
上から被さり、背中に密着してくる。
「相手の了承なしにするのはいくら恋人でも駄目ですよ」
頬を膨らませると、両手で頬をつまんだ。
「じゃあ、その気にさせたらいい。」
額にキスをした。それから唇と耳に優しく口づける。
「耳弱いよな。いつも甘い声がでてる。この声聞けるのも俺だけだな。
俺の服、脱がしてくれ。」
目の前の白いシャツが薄暗い部屋で反射している。
「んーまだいいって言ってません。その気じゃ」
「とろけた顔してまだその気じゃないと言うんだな?」
ボタンに手をかけると彼は目を細めた。
ボタンを一つ一つ外していると、ふいに視界が塞がれた。
唇に熱い感触が伝わる。
「可愛すぎ。俺の服脱がすのに真面目な顔して。何度煽ったら気が済むんだ」
その後はお察しの通り。
この週末の後のこと。
「由佳、これ頼めるか」
「会社では上の名前で呼んでって言ったじゃないですか。」
「悪い。うっかりだ」
その顔には微笑が含まれている。
「わざと私の反応を楽しんでるでしょう。」
「そういうとこだぞ」
意味が分からず首を捻る私を横目に口元に微笑を残したまま彼は席に戻った。
彼はいつものいがみ合いのように見せておきながら、すぐプンプン怒ったり拗ねたりするのが可愛くて見たくなるからちょっかいをかけるのだと夕食のときに言った。
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