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郁子は店に入れない。あの義兄と顔を合わせるなんてとんでもないと思う。
(私、何しに来たのかしら…… 来たからって何もできないのに)
なごみ亭の前の道路は広い。近くに止めて店を眺めていた。自分の目で店を見ているだけ。
(やっぱりどこかに頼まないとだめなのね)
中途半端な仕事をして消えてしまった興信所より頼りになるところを。そのジェロームと言う男の顔さえ知らないままだ。
諦めてエンジンをかけた。発進しようとした時になごみ亭の入口が開いた。ジャンバーを来た男が出てくる。
(あれって……)
普通より茶色の髪。でも染めているだけかもしれない。ゆっくり車を前進させる。どこかに用でもあるのだろう、ひどく速足で歩いている。その男を見ることに集中していたから、その後ろか走ってくる男に気づかずにいた。
「ジェイ! 待てって、ジェイ! 俺も行く」
腕を掴んだ手をジェイは振り切った。
「なんで!? 俺だって1人になりたい時があるって思わないの!?」
「ジェイ……」
その声に心が折れそうになる。けれど今日は意地を張らずにいられなかった。聞いてはいけないと思うから口には出さないが、自分だけ何かから除け者にされているようで。
(でも…… 蓮を困らせるのはいやだ…… 今日だけだから)
「蓮、俺は蓮を困らせたいわけじゃないよ。ただたまには1人で外を歩きたい。そんなに長い時間じゃないから。20分くらいしたら帰ってくる。それくらいいいでしょ?」
拒めない。それさえだめだと言ったらさすがに問い詰められるだろう。
「分かったよ。そうだな、お前の言うのも尤もだと思う。悪かった」
ジェイはちょっとほっとした。これ以上揉めたら本格的なケンカになりそうな気がしていた。
「ありがとう。そんなに遠くには行かないよ」
ちゃんと蓮が戻っていくのを見る。蓮は何度か振り返った。ジェイに黙ってつけていこうとも思った。
(ジェイ、そんなに信用できないか?)
でも確かに自分は後をつける気だ。それを見つかれば完全に信用を無くすことくらい分かっている。だからとうとう店に入った。
ジェイはそれを見届けて前に歩き始めた。
(いいよね? ホントにたまにだもん。その辺歩くだけだし)
本当は行き先など決めていない。最近は1人で歩いたこともない。
(ビデオ屋さん…… 喫茶店。どっちにしよう)
せいぜいそんな場所しか思いつかない。20分くらいで戻らなくちゃならない。
(お兄様が追いかけた。『ジェイ』って怒鳴っていた。あの男なのね?)
迷いつつゆっくり走らせていたが、後ろの車から短くクラクションを鳴らされてしまった。その音でジェイが振り向いた。思わず窓を開けていた。
「あなた! 私、河野の家の者です、会いに来たの!」
(河野の家?)
ここには横断歩道がない。ジェイは先の方にある横断歩道を指差した。郁子は頷いて横断歩道のちょっと先に車をとめた。
(河野の家って、お母さんの家のことだよね? そう言えばどうしておかあさん、ずっと俺のとこにいるんだろう?)
誰だか分からないが、いろんなことが分かるような気がした。ジェイはその車に向かって急いだ。
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