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自分がどうしたいのか。あの男を呼び寄せてなにをするのか。郁子にもよく分かっていない。けれど自分のこの苛立ちをぶつけたい。なにもかもあの男のせいなのだから。なんの権利があって河野家に入り込んできたのか、その目的を知りたい。河野家に近づくな、どこかに行って二度と戻ってくるな、それを言いたい。
(なぜ私だけが苦労しなくちゃならないの? 知りもしない男のせいで、どうしてこんな思いをしなきゃいけないの? あの人は、お義兄さまはそんな男のために私を侮辱したんだわ…… そんな男のために)
そこに隠れている自分の思いに気づくことはなく、それは郁子にも周りにも幸いなことだった。
ジェイは横断歩道できちんと信号を待っている。他の人たちは車が来ないのをいいことにさっさと渡っているが。
(なにしてるの? さっさと渡んなさいよ!)
ジェイから目が離れない。何しろ目的以外は他が見えなくなる郁子だから、周りのことなどに頓着ない。
反対側からは晶子と佐々木夫妻が楽し気に喋りながら歩いてきた。
「あら、ジェイだわ」
「どの人ですか?」
「ほら、向こうの横断歩道の信号で立っているでしょ。彼よ」
ちょっと遠めだが歩道の左側で青になるのを待っているのが見える。
「この寒いのに買物かしら?」
少し晶子が速足になる。買物につき合うつもりだ。信号が変わった。ジェイが渡り始めて、反対側の車から女性が降り立った。
「あれは……?」
「奥さま! 郁子さんですよ!」
「え!?」
「遅いわ! 信号なんて誰も守ってなかったでしょう!」
「ごめんなさい、でもちゃんと守らないと。あの、河野の家って、お母さんの住んでいる家のことですか?」
「そうよ! とろくさいのね、あなた」
郁子はじっくりとジェイを見た。上から下まで何度も視線が上下する。
(ま、可愛いのね。男のくせに)
「どんなご用ですか? 河野さんの家の方、ほとんど知っているつもりだったんですけど、どなたですか?」
「車の中で話したいから乗ってくれない?」
「でも無断でここを離れること出来なくて」
「あのね! 私は寒いの。あなたのせいで風邪引くなんて冗談じゃないわ!」
ジェイは高圧的にものを言われるのが苦手だ。ケンカになるのがいやだ。
「乗ります、話だけなら」
郁子は急に思いついた。嫌がらせがしたい。
(どこか連れて行こう。遠くの山の中でも下ろして放っておけばいいわ)
ひどく短絡的だ。
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