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「……ん、れん」
遠くから声が聞こえる。肩が撫でられ腕をそっと掴まれた。
「れん。起きて、蓮」
言葉が形を作り始め、目を開けた。
「よく寝てたね。ここ最高だよね! 俺もぐっすり寝ちゃった。森下さんが来たの。もうすぐ食事だから部屋に戻ってくださいって。点滴もあるからって」
空とジェイの声が全てだったから蓮は幸せだと思った。他に何も要らないと。
「こうやって暮らせたらいいな」
ジェイが微笑む。
「そうだね。いいと思うよ」
車椅子で部屋に戻った。
「お迎えに行こうと思っていたところですよ。起きたばかりでしょう? 食べられそうになったらナースコールを押してください。お持ちしますから。食べることを義務だと思わなくていいんですよ」
車椅子に座ったまま熱と血圧を測られる。
「落ち着いてますね、良かった! もしサンルームで点滴を受けたかったらそうしますよ。点滴はお食事の後です」
森下さんが出て行って、ジェイは食事のことを蓮と話そうかと迷ったが、やめた。
(義務、そう思わなくていいって言ってた。蓮が食べたくなったら考えればいいんだ)
蓮はジェイが急さないでくれているのが嬉しかった。自分がこんなに素直であることにも驚いている。多分この空間のおかげだ。日常から切り離されている。
沈み込む気持ちはいつの間にか消えていた。
「点滴の時は向こうに行くでしょう?」
あえて食事のことは飛ばした。点滴は食事の後だ。受けるということは食べるということ。
ジェイも自分が変化していることに気づかずにいる。ちゃんと先を考えている。蓮の気持ちが自分の中心になっている。
「そうだな…… そうしたい。ここで天井見てるより、雨が降ってくるのを見てる方がいい」
「そうだよね。俺もそのほうがいいって思うよ。自然の中で点滴受けるって、不思議な感覚だよ、きっと」
ごく自然に言葉が出た。
「じゃ、さっさと食べて行くか」
ナースコールを押して間もなく食事が運ばれてきた。湯気が立っている。
「美味そうだ」
「ほんと!?」
箸をつけて食べ始める。いつものように嫌々ではない。スープは残してしまったが他はあらかた食べた。スープはそのまま冷蔵庫へ。飲みたくなったらジェイに頼む。考えてデザートにも手を出した。シロップ煮のフルーツ。食べ始めると、ほんのりの甘さとそれぞれのフルーツの味のバランスがいい。甘いものが気持ちを落ち着かせてくれた。
食事には30分はかかった。けれど、食べた。気分も悪くない。ジェイは極力大げさに騒がないように頑張った。その方がいいような気がする。心の中で思う。
(頑張ったね! こんなに食べられて良かった!)
普段より食べた効果なのか、一時間もしない内に気持ちがうずうずしてくる。
「歩いて行きたいんだけどな」
「だめだよ、許可が出るまでそれは我慢して」
「歩きたいんだよ」
「……じゃ、この中で。それはだめって言われてないし」
「この知能犯め」
笑いながらベッドから出る。
「ついでにトイレだ」
「中についてかなくて大丈夫?」
「頭を出してみろ」
素直に頭を差し出すと、コン! と拳骨。そんなに強くないがジェイはパッと離れた。
「ひどいよ! 冗談で言ったのに」
「お前のは冗談に聞こえないんだ。トイレは放っといてくれ」
「……はい」
その返事の仕方で分かった。
(こいつ…… 本気だったな?)
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