愛しくて

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愛しくて

   途中で止めて誰が犯人か、それで激論を交わした。始めは「こっちが犯人だろ」「こっちだよ!」とくだらないケンカっぽいものだったのが、だんだん高じて本格的な議論になっていった。続きを見れば良さそうなものだが、こういう頑固さでは互いに譲らない部分がある。蓮は理詰めで解いていくし、ジェイは表情や喋り方に拘っている。 「さっきのとこ、あの女の人、急に目を逸らしたでしょ? 辛そうな顔してた。まだ出てないけどなんかわけがあるんだよ、だからつい殺しちゃったんだ」 「違うな。彼女は利用されているだけだ。その利用しているヤツが犯人なんだよ。つまりあの男だ」 「違うって。だってあの男の人、そこまで頭良くないと思う!」  10分くらい言い合って、やっと続きを見た。結果は全く違っていた。どう見ても殺人にしか見えなかったが、何人も容疑者が浮かぶようないくつもの偶然が重なった事故だった。 「こんなことがあるんだな。俺もお前も外れだ」 「蓮、自信たっぷりだったのにね」 「外れたあああ! くそっ、悔しい! でもお前に負けたんじゃなくて良かった」  とたんにジェイが膨れっ面になる。すかさず言ってみる。 「30円」  覚えているだろうか。ミニイベント、記憶にあるだろうか。 「入院してるときはやめてよ!」  胸を撫で下ろす。真剣な顔で言っているからいつも以上に髪をぐしゃぐしゃした。 「なにすんの!? ひどいよ、俺をオモチャにして!」 「そうか、オモチャか」 (俺は……欲張ってるな。結婚のことを思い出してくれた。披露宴を。ならいいじゃないか…… 何が消えたのかジェイにだって分からないんだ。変な探りを入れるより一緒にいることを楽しめば…… それでいいと思えよ) 自分に言い聞かせる。  失くしたものが分かったとして、それで何が変わるだろう。普通の物忘れじゃない。結婚を思い出したのは奇跡だったと思う。それまでも何度か戻ってきた記憶があったが、それは果たして全てが戻ってきているのだろうか。 (ゆっくり、そう言っていた。進行はゆっくりのはずだ、そう言ってたじゃないか。……でも……突然坂を転がり落ちるように記憶が滑り落ちていく可能性も無くは無い……)  可能性を幾つも言われた。 『でも、あくまでも可能性ですから』  あの言葉に縋り付く。まだいい方だ、そう思っていくしかない。人格障害は幼くなっていく一方だがそれで安定している。 (可能性…… 多重人格…… 完全記憶喪失…… 進行が進む一方だったら警察にも届け出て……)  ある日、買い物に出てそのまま帰ってこれなくなる可能性もあるのだ、そのために警察と連携を取っておく…… (誰かと一緒じゃないと外に出ないのは本能的に自衛してるんだろうか)  膨れているジェイを手繰り寄せる。自分に無理をさせたくなくて、ジェイはされるがままになってくれる。唇を近づけるとジェイが迎え入れてくれた。味わう、愛しいものの唇を。 (まだだ。まだ俺のジェイだ。まだ大丈夫)  膨れっ面のジェイが可愛い。文句を言うジェイが可愛い。幼くなったって構わない。自分に依存していたって構わない…… (いい…… 俺さえ忘れないでくれれば。……忘れても俺は愛していく。そして何度でも愛させて見せる) -その7- 完    
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