1. 素晴らしい世界

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帰り際トイレに立った哉芽が席に戻ってきた時に 静真の席の後ろを通り、静真の読んでいた雑誌を 不意に覗きこんだ。 「俺もこれ読んだ」 小さな声でつぶやいて、 静真が、え? と、聞き返す前に哉芽はさっと 自分の席に戻ってしまった。 自分へ向けられた言葉だったのか? ただの一人言だったのか分からず 静真は少し戸惑って、自分より頭ひとつ分くらい 小さな哉芽のことを見つめた。 哉芽はせっせと帰る準備をしていて、静真の方を ちっとも見ようとしなかった。 やっぱり一人言だったんだ、と思ったけれど もう一度声が聞いてみたくて声をかけた。 「これ、10巻が来週発売なんだよ」 その言葉に哉芽が上着に袖を通しながら 静真を見た。 「知ってるよ」 そう言って少しだけ口の端で笑った。 「全巻持ってるもん」 「じゃぁさ、買ったら10巻貸してよ」 静真も笑って言った。 「いいよ」 「やった。じゃぁ11巻は俺が買うよ」 「……? 俺も買うよ?」 「あー違う違う! 2冊も要らないじゃん 俺たち兄弟になったら一緒に住むんだから」 哉芽は、ほんの少し目を大きくして そっか、と嬉しそうに笑って言った。 「…… 分かった!」 家に帰った後で、静真は母親から 普通はお兄ちゃんが買ってあげるのよ なんて言われたけれど、静真はピンとこなかった。 ー だって、次いつ会えるかも分からないのに 俺が買ったら貸してやるまでアイツを待たせる 事になる 小学生にとって、好きな漫画を発売日当日に 手に入れて読むのは、とても重要なイベント なのだ。 静真なりに気を使っての発言だった。 そして、なにより、哉芽が静真の提案を 嬉しそうな顔で聞いてくれた。 それが全てだった。 公園で母親とはぐれた野良猫を見つけて 追いかけて、駐車場の隅に追い詰めた事がある 時間をかけて、間合いをつめて、、 やっと触れることができた時の興奮に似ている。 警戒心で自分の世界に逃げ込んでいた少年は 次会ったとき、嘘みたいに肩の力が抜けていて ニンマリ笑って紙袋に入った漫画を貸してくれた。
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