下足痕、略してゲソコン

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 出勤し同僚にこの話をしてみたところ、実に面白くない答えが返ってきた。 「それ、建築段階で大工さんが天井の板踏んだだけだと思いますよ」 「はぁ?」 「天井の板だって元々は地面に置いてあったもんじゃないですか。大工さんがそれを踏んだだけの話だと思いますよ。建築年数経ってる古い家屋だとよくあるみたいっス」 「あるんだ、そういうこと」 「忍者が歩いていると思ってたんだけどな……」 「なぁに言ってるんですか。漫画じゃないんですから……」 馬鹿にされてしまった。でも、仕方ない…… 本当に馬鹿なことを言ってしまったのだから。  その日の帰り、いつものように半額弁当を買いにスーパーマーケットに足を運ぶと、偶然にも大家に遭遇してしまった。500円の焼肉弁当(半額シール貼済)を同時に手を取った刹那のことである。 「あ、お久しぶりです」 「どうも」 半額弁当の取り合いは戦争だ。特にコストパフォーマンス抜群1000kcal超えの焼肉弁当は人気の一品だ。私は大家と言葉を交わす一瞬のスキを突いて買い物カゴの中に放り込んだ。大家は恨めしそうな顔をしながら半額シールの貼られた助六寿司とイカリングワンパックを自分の買い物カゴの中に放り込んだ。私はそれを見て不快そうな顔をしてしまった。  別に大家と近所のスーパーマーケットで会ったところで何を話すわけでもない。私は一礼だけして酒のツマミのある乾物コーナーに向かおうとした。その瞬間「足跡」のことを思い出してしまった。 「あ、大家さん? ちょっといいですか?」 「何か?」 「実は天井のことなんですけど」 私は大家に天井の足跡のことを説明した。大家は先程の焼肉弁当を取られて機嫌が悪いのか終始仏頂面で私の話に耳を傾けていた。翌日「家賃値上げ」の通知がポストに入っていないことを祈るのみだ。 「ああ、うちのアパートも築40年と長いですからね。私も建築の立ち会いをした時は若かった…… 40年、色んなことがありましたね。警察の張り込みで数年貸したこともありましたし、斜向いのアパートから監視される対象になったこともありました」 悪いが思い出話に付き合う義理はない。私は乾物コーナーに行きたいのだが、話が終わる気配はない。 「家賃を三ヶ月滞納して、取り立てに行ったら土下座してきた子もいましてね…… そうしたら相手が『土下座を強要してきた』って逆に訴えて来ましてね…… 言った言わないの争いになった末に自殺されてしまっ…… あ……」 急に言い澱んだ。と、言ってもほぼ答えは言っているみたいなものだ。もし、私の部屋で過去に自殺があったとしたら恐ろしい話だ。家賃の値下げの交渉を…… って、それより前に退去の検討だ。気味が悪い。 「もしかして、事故物件なんじゃ」 「あ、いえ……」 とは言え、事故物件であったとしても、通告義務があるのは事故物件となった次の入居者までだ。いつ事故物件になったかは知らないが私の前に何人か入居者(最低でも一人)を挟んでワンクッション置くだけでも通告義務は無くなってしまう。私は大人になり「知らぬが仏」として割り切ることにした。そもそも、家賃が他の部屋と変わらない時点で私の部屋は事故物件ではないだろう。別の部屋のことだろうと思うことにした。 「すいませんね。変なこと言ってしまって…… 何も出ませんしね」 私が入居してからの4~5年の間、何かが「出た」ということはない。あるとすれば「足跡」ぐらいだが、大工がを天井の板を踏んでいたと言う結論が出ている。問題はないだろう。 私はもう「気にしない」ことにした。
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