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橙色の背がすぅっと振り返る。
片手が上がる。
指が周平を、いや、周平の背後の海を指す。
「明りがいる」
「………」
「新しい日が射し込まん。
明りがなけりゃ、話にならん。
……兄ちゃん、火、あんのか」
「……ねぇよ」
「…そうか」
マッチが海風にころりと転げる。
じいさんはどこまでも静かに応じて、
また周平に背を向けた。
そうか、の一言が周平の耳に染み込んだ。
目の前の背中が別の背中と重なった。
『俺、ここを出る』
数年前、周平は両親にそう告げた。
『大学行って、就職する』。
網の手入れをしていた親父はその手を全く休めぬまま、ただ静かに『そうか』と言った。
周平に見えたのは背中だけだった。
周平は宣言通り大学に受かり、
そのまま東京の会社に就職した。
年末で帰省した周平を、
両親は近所から帰ったかのように出迎えた。
周平も、帰ったら聞こうと思っていたことを聞きそびれた。トランプも役には立たなかった。
じいさんの背中が遠ざかる。
「スマホなら」
周平は声を上げていた。
「…スマホのライトなら、あんぞ。
明りがほしいだけなら」
なんで呼びとめてんだろう、と思った。
なんでこのじいさんと親父の背中を重ねたんだろう。全く似ていない。
でも親父の背中は小さくなった。
周平がこの町を出た時より、
少しだけじいさんになっていた。
だからかえって訊けなかったのだ。
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