1

5/7
前へ
/10ページ
次へ
橙色の背がすぅっと振り返る。 片手が上がる。 指が周平を、いや、周平の背後の海を指す。 「(あか)りがいる」 「………」 「新しい日が射し込まん。 明りがなけりゃ、話にならん。 ……兄ちゃん、火、あんのか」 「……ねぇよ」 「…そうか」 マッチが海風にころりと転げる。 じいさんはどこまでも静かに応じて、 また周平に背を向けた。 そうか、の一言が周平の耳に染み込んだ。 目の前の背中が別の背中と重なった。 『俺、ここを出る』 数年前、周平は両親にそう告げた。 『大学行って、就職する』。 網の手入れをしていた親父はその手を全く休めぬまま、ただ静かに『そうか』と言った。 周平に見えたのは背中だけだった。 周平は宣言通り大学に受かり、 そのまま東京の会社に就職した。 年末で帰省した周平を、 両親は近所から帰ったかのように出迎えた。 周平も、帰ったら聞こうと思っていたことを聞きそびれた。トランプも役には立たなかった。 じいさんの背中が遠ざかる。 「スマホなら」 周平は声を上げていた。 「…スマホのライトなら、あんぞ。 明りがほしいだけなら」 なんで呼びとめてんだろう、と思った。 なんでこのじいさんと親父の背中を重ねたんだろう。全く似ていない。 でも親父の背中は小さくなった。 周平がこの町を出た時より、 少しだけじいさんになっていた。 だからかえって訊けなかったのだ。
/10ページ

最初のコメントを投稿しよう!

2人が本棚に入れています
本棚に追加