1人が本棚に入れています
本棚に追加
おしぼり
パチン、と指を鳴らす音で目が覚めた。
あれ?眠っていた?
珈琲の香りが鼻をくすぐる。
ここは、喫茶店か?昭和レトロな雰囲気だ。
テーブルを挟んだ向かいの席には美女がいた。微笑みながらこちらを見つめている。
そうだ。
僕は今日、婚活パーティーに参加したのだった。そこで目の前の美女……確か名前は石原はるかって言ったっけ……と意気投合し、カップルとなった。じゃあせっかくなのでお茶でも飲みましょうということになって、会場近くにあったこの店に入ったのだ。それなのに眠っていた?どうして?
不思議に思っていると、はるかさんが「ねえ、知ってる?」と話し始める。
「昔、ある実験でね。被験者に、熱々のアイロンを散々見せるんだって。そのあとで目隠しして、腕に冷たいスプーンをあてると、被験者はその部分に火傷を負ったって話」
聞いたことがある。その被験者は暗示にかかって、冷たいスプーンのことをアイロンだと思い込んでいたのだ。いかに人間の思い込みの力がすごいかがわかる実験だ。
「知ってるよ。プラセボ効果もそんな感じでしょ。偽薬でも思い込んでいれば効果が現れる、みたいな」
「そうね」
はるかさんの視線はテーブルの上に注がれる。そこにはおしぼりがあった。くるくると筒状に丸められている。それは僕の癖だった。手を拭いたあと、無意識のうちにそうしてしまうのだ。彼女はそれを見つめながら、
「私もね、あなたに暗示を掛けたの」
「え?暗示?どんな?」
「そのおしぼりみたいに、筒状のものなら何でも、ダイナマイトだと思い込むようにしたの。だいたい5分くらいで導火線が燃え尽きる設定でね」
「は?」
「正確に言うと……」
彼女はちらりと小さな腕時計を見てから、
「あと4分15秒で爆発よ」
冗談にしてはぶっ飛んでいる。そもそも出会って間もない相手にこんなことを言うものだろうか。それなら僕は本当に暗示にかかっているのか?と考えていて思い当たった。先ほどまで眠っていたことに。そして目覚めたきっかけはパチンと指を鳴らす音。それってまさしく催眠術師が術をかけたときの状況そのものじゃないか。
「あの……本当にそんな暗示を?」
もちろんよとはるかさんはすまし顔で言った。
最初のコメントを投稿しよう!