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「――薄木」  十数メートルは離れただろうか。  聞こえるはずのなかった声が分かったように、薄木は振り返った。  いきたい場所に行くんだよな。  笑った薄木はひらひらと手を振る。またね、と、その口は動いたろうか。僕が何とかうなずくと、薄木もまたうなずいた。  その姿を最後まで見送って、どのくらいたっただろうか。  ひらりと、白い雪が頬にとまる。その冷たさを追った手はじんわりと、ないはずの熱を感じた。  僕は息を吐いた。  いつの間にか陽は消えて、今日が終わりを迎えにかかっている。寒さはない。身体の奥が熱い。鼻の奥が痛い。  薄木はいつから気づいていたんだろう。いつからそんなことを思っていたんだろう。  僕は明日が好きじゃなかった。僕ひとりで明日に立つのが怖かったから。でも、だって、僕は薄木が望んだ明日で、ちゃんと息ができるだろうか。  滲んだ視界では泡までは追えていない。遠い青の合間で、僕は薄木が溶けるのを見ていない。  ――大丈夫。  薄木はひとりで潜らなかった。これは別れの挨拶じゃない。糸を結び続けるための言葉。  口を開くと、冷たい空気が肺に広がる。  薄木がそうしてくれたように、僕も届けるから。薄木がくれた明日から、いつか、届けに行くから。だからそれまで、待ってて。 「じゃあ、また明日」  息で震えた喉が、ちくりと痛んだ。
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