16人が本棚に入れています
本棚に追加
六方(ろっぽ)、狐の女将に会う
十三と六方は連れ立って、公園の出口に向かいました。
「ところで、お腹空きません? 帰りに居酒屋でも寄りませんか」
「この世にあって、ちゃんと人間の経営している店なら、行ってもいい」
六方が呟きます
「そうじゃない居酒屋を僕は知りませんよ。それにしても六方さんと飲むなんて、ゼミの歓迎会以来じゃないですか。飲む機会なんて、しょっちゅうあるのに」
「君は飲み会とか好きだものね」
六方はため息をついて、首を左右に振りました。
「私は一人で飲むのが好きなのさ」
それでも十三が先に立って歩き出すと、文句を言わずについて来たのでした。
十三の声が裏返りました。
「六方さん。六方さんが変なこと言うからですよ」
彼の目の前には小料理屋がありました。
場所は「森林公園」と名付けられた旧林業試験場跡公園の敷地内、公園の外側を走る一般道路沿いでした。
どうして十三が大声を上げているかといえば、昨日通った時には、この場所に小料理屋なんて無かったからです。
そもそも公園の敷地内に、一般の飲食店が建つわけがありません。
六方は眉を寄せて、彼の指差す先を凝視しています。
その表情からは、例によって驚きや恐れなどの感情は読み取れませんでした。
十三は少し話題を変えてみることにしました。
「何て読むんですかね。 はちおまん? いや、はちびまん、かなあ」
看板と暖簾には、「八尾萬」と書かれていました。
「でも、『やおまん』じゃあないですね、きっと。……八百屋みたいで変ですから」
六方は返事もせず、目を細めて店の看板を眺めています。
ふいに、低いけれどもよく通る女性の声がしました。
「ひい、ふう、みい、よう、いつ、む、なな、や、の『や』に、尾っぽの『お』、万屋の『よろず』で、『やおよろず』と訓んで下さいまし」
気がつけば、いつ中から出てきたのか暖簾の下に、和服姿の女将とおぼしき人物が立っておりました。
「寄っていらっしゃいませんか、学生さん。温まっていかれたら良いですよ」
細面で色白の女性は、そう言って目を細めました。
十三は声を落として、六方の耳に囁きました。
「綺麗な女将さんですね」
「あなたが、女将? ずいぶんとお若いですね」
六方の声に、女将はぱっと顔を明るくしました。
「これでも学生さんより、一回りも上ですよ」
そう言いながらも、滑らかなほほに手を当てます。
「どうしましょう。入ってみたい気はあるんですけど。僕、こういうお店はテレビドラマでしか見たことなくって。ちょっと気後れしちゃいますね」
「うちはそんな、お高い店ではありませんよ」
「そうですか? じゃ、ちょっと寄ってみますか、六方さん」
女将に続いて店に入ろうとする彼を、六方は肘をつかんで止めました。
最初のコメントを投稿しよう!