1話 序章【大崩落と巫女修養】

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1話 序章【大崩落と巫女修養】

 東谷(ひがしたに)で最も高い、壱乃峰(いちのみね)の森は、樹々の(みどり) 一色に 彩られて。  初夏のそよ風に枝葉を鳴らし(こずえ)を揺らせる 樹々(きぎ)(うた)い、(かぜ)()う かのよう。  東谷川は 緩やかな弧を描き、その水源である壱乃峰上部の天然林から、すり鉢状の地形を形成する東谷の、中央を流れる。  神木(しんぼく)、と呼ばれる アカマツ巨樹の枯死木(こしぼく)は、壱乃峰の頂上にあり、この森の生命活動を見守っているかのよう。  壱乃峰の中腹にまで至る この森には、あらゆる樹種の大木が ひしめき合い、その脇にある、小規模ながらも 高く太く育ったスギの人工林がある以外は、人間が手を加えた形跡も無く。  しかし、密生(みっせい)している樹々の枝葉に(さえぎ)られた日光は林床(りんしょう)にまでは(ほとん)ど届かず、咲き誇る花たちの彩りを見る事は、できない。  その上部から中腹が急峻(きゅうしゅん)となっている地形とも相まって、何者をも寄せ付けない雰囲気の、壱乃峰の森。  神木から 少し下った(ところ)には、すらりと背が高く 美しい立ち姿の ヒノキの高木(こうぼく)が生育していて、この そよ風に、さらさらとした綺麗な葉音を(かな)でながら、ヒノキの良い香りを漂わせている。  峰乃 桧(みねの ひのき)は、森の唄による祈祷(きとう)で 森の安寧(あんねい)を祈る今朝の お(つと)めを終えると、()(もの)としている 自らの葉が付いた枝先を仕舞(しま)い、身支度を整える。 5618abdf-c2de-47aa-befc-e30c9c266ead  見目麗(みめうるわ)しい美人である峰乃 桧の その一挙手 一投足(いちきょしゅ いちとうそく)は、優雅で華麗であり、補助をしている 巫女候補(みここうほ)()った椿(つばき)が、その仕草に見惚(みと)れてしまうほど。  ヒノキの枝先を1本出しとした 頭頂の前天冠(まえてんかん)を付け直し、(そで)が無く 首周りを四角に開けた貫頭衣型(かんとういがた)千早(ちはや)を整えると、峰乃 桧は、それら 唄に秀でる樹の巫女の装束(しょうぞく)を 初夏の陽光に(きら)めかせ、次の お務めへと出立(しゅったつ)した。  椿を(ともな)い、木漏れ日が差し込む ブナやトチノキの高木の間を縫うように開かれた獣道(けものみち)を、歩く。  この森の、生命活動の梶取(かじと)りをするための、視察と情報収集を。 「椿。 高台(たかだい)までの この天然林は、いつも通り安心して()ていられるのですが。。。」 「はい、そうですね・・・ 峰乃 桧様。  暗い森のアバレギ三羽烏(さんばがらす)は、私もずっと気になってて… 心配でなりません。」  高台より、壱乃峰の上部を(のぞ)む。  ヒノキの高木から少し離れて、天然林の木漏れ日を頂いているツバキの低木が。  峰乃 桧の隣には、ヒノキに似た しかし優雅とは言い難い枝振りのサワラ高木が、林内に暗い影を落としている。  このサワラ高木を頂点として 左下にはイヌシデ、右下にはカラスザンショウが、無造作に枝葉を伸ばし 三角形の木陰を形成している。  アバレギ三羽烏と呼ばれている これらの樹々の木陰で生育する樹種は、十分な光合成もできず、また、あまりに暗すぎる林床(りんしょう)には 稚樹(ちじゅ)や草花もあまり見られない状態が続いていた。 「・・・ヤマアジサイが告げてくれたように、大きな雨雲が近づいてまいりました。  椿、そろそろ戻る事と、致しましょう。」 「はい、峰乃 桧様。 ・・・恵みの雨と、なれば良いのですが。。。」  雨量調整の祈祷を行うため、足早に暗い森の中を通過し、峰乃 桧と椿が居所(いどころ)辿(たど)り着いた頃には、辺りは どんよりと曇り、参乃峰(さんのみね)では すでに梅雨入りを告げる大雨が降り始めていた。  (まれ)に見られる集中豪雨の、合間。  ”何か”を察知した、リスやネズミたち小動物に続いて、鳥たちが。  次に、サルの群れや、隊列を整えたイノシシが。  続いて、親子で小グループを編成したカモシカが、続々と壱乃峰を後にした。  最後に、その様子を見届けたツキノワグマの(おさ)は、祈祷の儀式を終えてなお 山の神へ祈り続けている、峰乃 桧の居所(いどころ)へと。 「・・・すまないが、我々 獣衆(けものしゅう)は、壱乃峰の森を離れさせてもらう。  もはや この森で、我々が生きて行けるとは、到底思えんのでな。」 「…仕方ありません。  私達(わたくしたち) 樹々も、充分な木の実の振舞いが出来るとは言い難い状態です。」 「・・・弐乃峰(にのみね)の、アバレギの居ないブナ林でしたら、今秋の実りは豊作となりそうだと、弐乃峰の巫女より(うかが)っております。」 「…そうかい。 ならば皆には、わしから伝えとくとしよう。」 「・・・最後まで、いろいろと有難うな。  わしら獣衆だけが逃げる格好になっちまって・・・すまない。」 「・・・構いません。  身動き(かな)わず、森と生死を共にするのが、私達 樹々の宿命なのですから。」 「どうか、お達者で。  もし、生きながらえる事が出来たなら、またお逢い致しましょう。。。」  獣衆が去ってしまった壱乃峰の森は、不気味なほどの静寂につつまれ、断続的に降る雨の音だけが、聞こえている。  峰乃 桧は、不吉な予感に(さいな)まれつつも、樹々の、森の安寧を祈り続けていたが、この雨は一向に止む気配を見せない。  …これで何度目だろう。  雷雲を伴った漆黒(しっこく)の雨雲の帯が近付くにつれ、風雨は より強まる。  足元の ぬかるみは (すで)に立っていることも困難な程に(ひど)くなり、谷筋(たにすじ)に向かって流れ出す鉄砲水(てっぽうみず)は、その勢いを増すばかり。  プチ…ブチッ。 ブチリ ブチブチ ブツリ。  樹々の根が引きちぎられる悲鳴を 暴風雨の中に聞き取った峰乃 桧は、これが限界と判断し、記憶(きおく)種子(しゅし)代替(だいが)わり』を結実(けつじつ)。  大急ぎで、必要最低限の巫女知識(みこちしき)だけを 記憶の種子に込めると、それらを(にぎ)(こぶし)に似た形状の球果(きゅうか)に詰め、種子がこぼれ落ちないよう 球果の隙間を閉じた。  すぐに訪れた突風は、その球果が付いた枝先ごと引きちぎり、椿に向けて吹き飛ばす。 「椿! 生き残る事が出来る 巫女候補は、貴女(あなた)だけ。  どうかこれを、受け取って。。。」  その悲痛な叫び声は すぐに、その根元から始まった崩落(ほうらく)轟音(ごうおん)()き消された。  隣のサワラも、根元が崩落し、(かたむ)く。  その力枝(ちからえだ)は あまりに太く 長く、樹の傾きは勢いを増し、回転を伴って、峰乃 桧をも()ぎ倒した。  その(こずえ)を殴り倒されたかのように、峰乃 桧は 峰の下部に向かって倒れ、根返(ねがえ)りした。  それを発端として、樹の根が土を(つか)む力を失った土壌は地盤ごと崩れだし、大木は次々と倒されていく。  イヌシデは、黒く おどろしい紋様(もんよう)樹皮(じゅひ)(まと)った幹と、小さな葉が密生し 長く伸び過ぎた枝で、樹々を踏み潰すかのように倒れ、急峻な斜面を滑落(かつらく)した。  カラスザンショウは、鋭い(とげ)が多く生えた枝で、周囲の樹々を傷つけながら()ぎ倒した。  倒木の衝撃も相まって、崩落は連鎖反応のように、広範囲の土壌を地盤ごと えぐり取り、流出した土砂や倒木は土石流(どせきりゅう)となって、壱乃峰の上部を崩壊させた。  (なが)く降り続いた雨が止み、雲の切れ間から天高く上った太陽から陽光が差し込む頃には 崩落は(おさ)まり、壱乃峰は 再び静寂につつまれた。  豊かな天然林の樹々の根が土壌をしっかりと掴んでいたため、椿の居所までは崩落を(まぬが)れたが、少し離れた処に()ったはずの 美しいヒノキの高木は跡形も無く、むき出しになった岩盤だけが 見えている。  椿は、おそるおそる その両目を開き、 「良かった。。。 まだ、生きてる。」 と(ひと)()ちると、視線を足元から頭上にあるブナの大木の枝葉から差し込む木漏れ日に移し、 「ありがとうございました。 おかげで、助かりました。」 と、感謝した。  しかし、その足元より下部の斜面は、まだ幼く見える容姿の椿には あまりに過酷な、惨状(さんじょう)となっていた。  椿は、まだ震えが止まらない右手に握られた ヒノキの枝先に、ひときわ大きな球果が付いているのを見ると、すぐさま記憶の種子『代替わり』を紐解(ひもと)き、山の神から授かったばかりの 受容体(じゅようたい)(かい)して、巫女知識(みこちしき)を その身に宿し、受け継いだ。  神界(しんかい)では、椿の様子を見守っていた 山の神が、この集中豪雨の最後となる雷雲に宿された天雷(てんらい)に、その神力(しんりょく)を込めている。 「椿よ。 ()の やんごとなき事由(じゆう)から、其方(そなた)を 樹の巫女と、(いた)す。  『峰乃 椿(みねの つばき)』を拝命(はいめい)し、此の災厄からの復興を ()の役目と、せよ。」  すでに日は傾き、雷雲は弐乃峰を通過し 壱乃峰に迫っていた。  山の神からの、天の声を聞き取った 椿は、たどたどしくも 懸命に、例外の儀式となった『拝命(はいめい)()』を()り行うため、その身に宿した 峰乃 桧の記憶を反芻(はんすう)する。 「・・・()かります、峰乃 桧様。   これから何が起きるのか。 私が どうすれば()いのかが。」 「これが… 巫女知識なのですね。  そして、これから降るは、恵みの雨。  (すべ)てを洗い流し、此の災厄を浄化してくれる。。。」  そう (ひと)(つぶや)きながら 椿は、すぐに、壱乃峰の頂上にある 神木(しんぼく)(もと)へと(いた)ると、雷雲に向かって両手を広げた。  徐々に強まる風雨を、椿は全身に浴び、泥にまみれた巫女候補の装束は その紅白の花が咲くかのような美しさと、輝きを取り戻していく。  直上(ちょくじょう)の雷雲から鳴り響く雷鳴(らいめい)が、天雷を宿していることを告げると、椿は、天を(あお)いで右手を()げた。  神木に、天雷。  天雷に込められた神力の光が 椿を包むと、椿は、峰乃 椿の拝命と 復興のお役目を、山の神から授かる。  恵みの雨は ひと晩降り続き、天雷による神木の炎を消し去り、樹々が浴びた泥水を洗い流し、この災厄を浄化した。   翌、早朝。 雨が上がり、すっきりと晴れ渡った この森は、()だ静寂の中に。  その記憶を留めたまま巫女と()った 峰乃 椿は、朝日が昇るとともに 高台にまで足を運び、崩落箇所(ほうらくかしょ)の惨状を目の当たりにした。  樹々の翠 一色に彩られていた森は壊滅し、おびただしい泥水の中には 巨大な一枚岩だけが、残されていた。  横倒しになった アバレギの倒木は、樹の巫女や、巫女候補と成っていた 生命力に(あふ)れる樹々や、豊作を願い 森の生命活動を懸命に支えていた者達までをも、全て薙ぎ倒した。  土石流は、それらの倒木もろとも、豊かだった森林土壌を えぐり取り、峰の裾野(すその)へと流出させた。  峰乃 椿は、しばらく絶句したのち、ひとすじの涙が その頬を伝う感覚に自我を取り戻し、重苦しくも その口を開いた。 「だい・・・ ほう…らく。。。  …そう、大崩落(だいほうらく)としか、言えない。」 「皆、居なくなってしまった。  何もかも、無くなってしまった。 でも、大平岩(おおひらいわ)だけは。。。」  その言葉通り、壱乃峰の上部は、頂上の巨大な枯死木(こしぼく)尾根筋(おねすじ)のアカマツ林、そして 木漏れ日差し込む天然林を除いて、その中央部分が崩壊していた。  中腹は、流出した土砂が堆積(たいせき)して、かつての急峻な地形は、緩斜面(かんしゃめん)へと変化していた。  その中央、むき出しになった深層(しんそう)の土壌や泥水の中には、大平岩。  大崩落を(まぬが)れた、峰の上部から続く 天然林やスギ林の下部では、コナラの母樹(ぼじゅ)や ホオノキ巨樹などの、稚樹(ちじゅ)が生き残っているのを見る事が出来る。 「…まだ、救いの道は、残されている。  この子たちを移植できれば。。。」  と つぶやいて、峰乃 椿は、中腹から イチョウ並木などが在った 峰の下部へと、視線を移す。  東谷川には濁流が流れ、東谷街道は壊滅していた。  その中に、たった2本の、大きな樹。  高木で枝振りの優雅なヤマザクラが残り、その根元には、土石流で傷ついたと思われる大きな樹洞(じゅどう)が。  銀杏(ぎんなん)を振舞ってくれていたイチョウ並木は全て薙ぎ倒され、その母樹である大きなイチョウの樹が。 「山桜さん・・・ おかみさん。。。 ()かった、ご無事で。。。」  ・・・人間(ニンゲン)の、声が聞こえる。  峰の裾野(すその)の、倒木が堆積した箇所(かしょ)では、(こずえ)の折れたヒノキの高木をはじめ、コナラやスギや、ブナやトチノキなど、人間に有用な材木となる樹種の、収奪(しゅうだつ)が始まっていた。 「峰乃…桧 さま・・・。  昇天(しょうてん)も叶わず、ご神木も残らないとは。。。  もう・・・これ以上、見たくない。。。」  涙ながらに居所に戻った 峰乃 椿は、ブナの大木に、再度 感謝の意を伝えると、巫女候補の装束(しょうぞく)のまま ()(もの)である鏑鈴(かぶらすず)も持たずに、山の神への奉納舞(ほうのうま)いを()って、犠牲となった樹々への鎮魂(ちんこん)と、この災厄(さいやく)からの復興を誓った。 「皆、どうか安らかに お眠り下さい。。。」 「舞いにのみ秀でる 私が出来る事は、いまは、舞うことだけ。  装束も採り物も無く、この想いは届かないかもしれませんが。。。」 「山の神様!  私が担うは、お役目も お務めも、大崩落からの復興!」 「必ずや… どれだけ掛かっても・・・ 絶対に!  成し遂げます、たとえ この身が果てようとも!!」  ~季節は(めぐ)り、本著の執筆現在では、峰乃 椿様をはじめ 皆様のご尽力(じんりょく)により、大崩落の箇所は、流出した土壌も(おおむ)ね回復し、木の実を振舞う樹種の結実をも 見る事が出来るようになりました。  土石流に流されたイチョウ並木も、銀杏(ぎんなん)を収穫できるまでに回復し、東谷街道は、元の(にぎ)わいを取り戻しました。  復興が完遂(かんすい)した、と判断なされた峰乃 椿様は その記念として、祭典や神事(しんじ)の舞台となっております 大平岩の周りに、サクラの苗木を植樹なされました。  壱乃峰を背景に、舞台の後ろをぐるりと半円状に取り囲む この桜並木の復興記念植樹は、大崩落からの復興のみならず、樹々の実りや森の安寧(あんねい)の象徴とも、成りゆくことでしょう。  以上をもちまして、これまで口伝(くでん)であった 大崩落の発生から復興記念植樹までを、巫女候補筆頭(みここうほひっとう)である、(わたくし) 瑞樹(みずき)文責(ぶんせき)により、書物に書きしたため、後世に残すものと、致します。  その書物の背表紙には、瑞樹の丁寧な文字で 『大崩落について、その主因。』と、書かれている。  それらの書物は、このブナの大樹(たいじゅ)の木陰にある、豊富な巫女知識を有する種子貯蔵庫(シードバンク)に整然と並べられ、巫女実生(みこみしょう)たちの 修養(しゅうよう)の場となっていた。  そして いまは、仲良く寄り添う二人の巫女実生が、巫女知識の修養をしている。  栃実(とちみ)が書物を持ち、(まい)が読み手となって、この大崩落の書物を読み終えたところで、舞は栃実に話しかけた。 「・・・何度 読み返しても、怖くて厳しい お話ね。。。」 「そうね。。。  でも…そのおかげで、いまの私達が ()るのよね。」 「…ねぇ、舞。 やっぱ、峰乃 椿様って・・・すごいよね。  当代の巫女として、あの小さな御身体(おからだ)からは想像できないほどエネルギッシュに、ここまでの復興を成し遂げたんだもの。」 「そうだね、とっち。  ご指示を下されるお姿も凛々(りり)しかったけど、ほら、ここの… 復興を ご決意なさったところなんて、読むたびに感動しちゃうなぁ~。」 「でも… だからこそ! 私は、いつも思ってるの。  『峰乃 椿様みたいな、素敵な 樹の巫女になりたいっ!』 ってね。」 「私もよ、舞。  …でもまずは、瑞樹さんみたいな、巫女候補に成らなきゃ、だねっ!  私は、これからライブとかあって大変だけど、舞は・・・。」 「・・・大崩落の、復興の処ですね。 修養、お疲れ様。  やはり、口伝では伝わり難いと思いましたので、こうして書物に書きしたため、のちの(いまし)め と致したのですよ。  今では、こうして修養の助力とも成り、何よりです。」 「姉様(ねえさま)たち、知識の お勉強?」  その、ブナの大樹のように優しく 修養のねぎらいの言葉をかけた、瑞樹の後ろから おずおずと顔だけ出した瑞貴(みずき)が、舞と栃実に(たず)ねた。  舞と 栃実は、それぞれ  「そうよ、みぃ。 いま、大崩落からの復興のとこ、読み返しててね。  改めて 気合を入れ直してたの。」 「あ、みーちゃん! 私もよ。  …ねぇ、舞。 みーちゃんには、もっと怖くない お話の方が、良くない!?」 と応えると、瑞樹は、 「ふふっ、そうですね。  この()、巫女修養を始めたばかりでしょ? ですからまずは、修養全体のお話を、読んでやって下さいね。」 と、優しく微笑みながら、瑞貴の修養への参加を(うなが)した。 「それでは、(わたくし)は、舞いのお稽古(けいこ)支度(したく)(まい)りますので。  栃実さん、舞さん、宜しくお願い致しますね。」  そう言い残した瑞樹の後ろ姿を見ると、栃実は、書棚(しょだな)に並ぶ中から『巫女候補と成るための、修養』の書物を選び、手にしていた それと入れ替える。  ちょこん、と正座をしながら待つ 瑞貴の前に、並んで座った栃実が書物を開き、舞は、瑞貴に語りかけるかのように、それを要約しながら 読み始めた。 【巫女候補(みここうほ)とは】  山の神様に仕える高位の巫女(みこ) 峰乃様(みねのさま)()ることを、(こころざ)す者たちのことです。  初結実(はつけつじつ)の春から その秋に それを迎えるまでに、()ずは巫女実生(みこみしょう)となるか否かを選択し、巫女候補と成るために必要な素養(そよう)を身に着けるための 巫女修養(みこしゅうよう)を始めます。  巫女実生とは、『実生(みしょう)』 すなわち、発芽や芽生えと()った、開始や始まりを連想させ やがて成長して大樹となりゆく事から名付けられた、巫女候補と成る事を目指して 修養を行っている者の事です。  巫女実生となる事を選択した者は、その証として、修養や祭典の際には、巫女候補と同様の 巫女装束(みこしょうぞく)を着用します。  また、巫女候補は、他の樹々の指標ともなる存在ですので、その樹体を健全に成長させ、美しい葉音を奏で唄い、優雅な枝振りで風に舞う事も、修養に含まれます。 【巫女候補の 装束(しょうぞく)】  純白の白衣(しらぎぬ)と真紅の緋袴(ひばかま)を着用し、その長い黒髪を和紙で(たば)ね、紅白の水引(みずひき)で しばって髪留(かみど)めとします。  装束の着付けも 勿論(もちろん)の事、修養でしっかりと身に着けておかねばなりません。 【素養を満たした巫女候補と成る】  巫女修養が修了するときは、巫女知識(みこちしき)と森林知識を学び(おさ)め、そして お唄 舞い 知識 の素養の基本を満たし、さらに そのいずれかの素養に秀でたとき、となります。  峰乃様は いつも貴女(あなた)たちを見守っていますので、その素養を満たしたときはすぐに知らせてくれます。  では、素養を満たした巫女候補が、出来る事とは。。。 ・記憶(きおく)種子(しゅし)を、結実(けつじつ)する。  峰乃様を拝命(はいめい)する際には、これまでの記憶を抹消(まっしょう)されてしまいますので、その記憶を自らの種子に込め 他の者に受け継ぐ事が出来る『記憶の種子』を結実させる事が出来るようになります。 ・記憶の種子の、受容体(じゅようたい)を 授かる。  記憶の種子を紐解(ひもと)き、その身に宿すためには、受容体が必要となります。  巫女候補の素養を満たした際に、山の神様から 受容体を授かります。 【巫女候補の お(つと)め】  素養を満たした巫女候補と成った者には、相応のお務めがあります。  桜の舞い 夏祭り 山祭り 祭典にて、舞い手や歌い手となるのはもちろんのこと、これら祭典の開催準備や 当日の進行役をも務めます。  これらは 神事にもつながる祭典ですので、しきたりに(のっと)った、円滑な進行が要求されます。  夏祭りの後には、樹々の唄の歌詞を皆で共有する お務めがあり、その歌詞は、山祭りでの 森の唄となります。  また、当代の巫女である峰乃様の お務めに(なら)う事も含め、神事をお手伝いし 峰乃様の手助けとなる事もあります。 【巫女修養(みこしゅうよう)とは】  素養を満たした巫女候補に成るため、これらの素養を身に着ける事です。  お唄 舞い 知識 の素養の基本を満たし、さらに そのいずれかの素養に秀でる必要があります。  これらの素養は、峰乃様が 山祭りにて、私たち樹々が健在であることを山の神様にお伝えするためのものですから、善く学び修め、峰乃様にも倣うと善いでしょう。  なお、ここで”身に着けた素養”は、巫女拝命(みこはいめい)の際に記憶を無くしても、その身に宿る事と成ります。 【お唄の修養】  『特に唄に秀でる 樹の巫女は、自らの葉が付いた枝先を折り持ち、森の唄を、その類稀(たぐいまれ)なる 心地良い葉音に乗せて歌う。』  との慣わしに(のっと)り、修養にて身に着けます。  近代では、峰乃 桧(みねの ひのき)様が、お唄に秀でる樹の巫女でありました。 【舞いの修養】  『特に舞いに秀でる 樹の巫女は、鏑鈴(かぶらすず)を持ち、奉納舞(ほうのうま)いを その優雅なる枝葉の舞いを()って、舞う。』  との慣わしに則り、修養にて身に着けます。  奉納舞いにつきましては、祭典では巫女実生(みこみしょう)も舞台上で舞う事と成りますから、善く精進する事と致しましょう。  当代の、峰乃 椿(みねの つばき)様が、舞いに秀でる樹の巫女でございます。 【知識の修養】  『特に知識に秀でる 樹の巫女は、(おうぎ)を持ち、祝詞(のりと)を、(みやび)なる(こと)()として、山の神様に奏上(そうじょう)する。』  との慣わしに則り、修養にて身に着けます。  知識の修養のみ、巫女知識(みこちしき)森林知識(しんりんちしき)の、二つの知識を学び修める必要があります。  巫女知識は、祭典や神事、東谷の成り立ちや歴史、気候 風土(きこう ふうど)に関する知識を。  森林知識は、壱乃峰(いちのみね)の森全体の生命活動の梶取(かじと)りをするための知識を、学び修める事と成ります。  近代では、知識に秀でる 樹の巫女は現れておりませんが、それに相応しい功績を残した巫女候補は、知の巫女に成る事が出来ると、(うかが)っております。 「…すてきなお話を 選んでいただき、有難うございます。 栃 姉様(とち ねえさま)。  舞 姉様(まい ねえさま)も、いつも通り()かりやすい朗読と、きれいな お声。  わたしも、姉様たちみたいに、なりたいです。。。」  にこり、と微笑んだ瑞貴の表情に、栃実は、ぱたりと書物を閉じると 舞に預け、瑞貴を その豊か過ぎる胸に抱きしめる。 「ん~、みーちゃぁ~ん♪♪ カワイィ~♡♡♡  だいじょぶ だいじょぶ!! (かしこ)い みーちゃんなら、すぐよ、すぐ!  何たって みーちゃんは、巫女候補筆頭 瑞樹さんの娘なんだから!」 (とっち、ってば… 相変わらず・・・。) 「そ、そうよ、みぃ! 私も、いろいろと教えて下さってる 瑞樹さんには、とっても憧れてるの。」 「舞いの家元でありながら、次代の巫女筆頭!  さらに、口伝を書物化までなさって。   そんな素敵な瑞樹さまに、(なら)えるなんて。。。  あぁ、やっぱり… 憧れの大樹だわぁ~!」  敬愛する姉様たちに可愛がられて、少し気恥しそうに微笑む 瑞貴。  その隣で、キラキラと目を輝かせる、舞と 栃実。  新芽を芽吹かせ始めたばかりの ブナの大樹は、愛娘(まなむすめ)愛弟子(まなでし)を 教え導き、この森の(すべ)てをも、優しく(まも)っているかのよう。  そして その(かたわ)らには、マルバマンサクの花が、この森に春の訪れを告げていた。
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