3話【樹の巫女『峰乃 橅』、拝命。】

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3話【樹の巫女『峰乃 橅』、拝命。】

 東谷街道(ひがしたにかいどう)の道端は、スミレの花に 彩られて。  大平岩(おおひらいわ)を囲む 桜並木や、街道沿いの樹々も、そのつぼみや新芽を広げようとする頃。  瑞樹(みずき)瑞貴(みずき)は、優雅な枝が ほんのり緑がかった、大きな山桜に向かって、歩を進める。 「・・・奉納舞(ほうのうま)いの際は、  『祝詞(のりと)が書かれた木簡(もっかん)は、素養(そよう)を満たした巫女候補(みここうほ)が持ち、奉納舞いの補助と()す。』 と、峰乃 椿(みねの つばき)様から お話し頂きました。」 「それでは 山桜さんが、そのお(つと)めを なさるのですね。  素養を満たし、特に舞いに秀でておられるのは、山桜師匠だけですし。」 「ふふっ。 瑞貴、()巫女知識(みこちしき)修養(しゅうよう)をしているわね。  今日は、その御願いも、しに行くのですよ。」 「そうですか。。。  奥山流 峰乃派(おくやまりゅう みねのは)の今後の事についてもお話しするのですから・・・ 長いお話しとなりそうですね。」 「ええ。 ですから瑞貴は、お稽古場(けいこば)で待っていてね。  さくらちゃんは 勿論(もちろん)のこと、栃実(とちみ)さんと… (まい)さんも おいでると思いますから、私と山桜さんのお話しが長引いても、淋しくは無いでしょうね。」 「うんっ! そうですね、お母様・・・。  あぁ! 山桜さん、もう新芽とお花のつぼみを、広げはじめてる! きれいですね、お母様。」 「そうですね、瑞貴。 いつ見ても、躍動感あふれる 優雅な枝振り。  『山桜流 枝葉舞派(やまざくらりゅう しようまいは)』を象徴しているかのよう。。。」  その根張りまでもが優雅で力強いヤマザクラの巨樹に掲げられた、とても大きく達筆で『 山 桜 流 』と書かれた木彫りの看板を ちらりとみると、瑞樹は、すぐ隣の格子戸(こうしど)を開けた。 「御免下(ごめんくだ)さいませ。 山桜師匠は、おいでますでしょうか?  奥山流 峰乃派の、家元 瑞樹ですが、今後の事につきまして、お話しに参りました。」  古流の家元らしく、あまりに丁寧な言葉づかいで 瑞樹が挨拶すると、すぐに 山桜が顔をのぞかせる。 「ようこそ、山桜流へ。  瑞樹さん、その娘、もしかして… みーちゃん!? お久しぶりね!」 「さぁさぁ、どうぞ 奥座敷(おくざしき)へ。  みーちゃんは、お稽古場(けいこば)に行っててね。 栃実と 舞も、もう()ますから。  私達(わたくしたち)、これから大事なお話しを しますので。。。」  お稽古場から出てきた栃実が、瑞貴に抱きつくのを 微笑ましく見ると、山桜と 瑞樹は 奥座敷で、家元同士の会談を 開始した。 「まずは、瑞樹さん。 巫女拝命(みこはいめい)、おめでとう!  すぐにでも、峰乃 椿(みねの つばき)様に (なら)う事に、なるんでしょ?」 「・・・それでは、桜の舞いと、奥山流は。。。」 「いつもながら、お話が早くて 助かります、山桜さん。  ()ずは、桜の舞いですが・・・。」 「瑞樹さん。 (わたくし)が… (すべ)て 引き受けるわ!  勿論、奉納舞いの際には、木簡を持つ お務めも しますから。」 「…眠りの唄を 聴いて、思ったのよ。  舞いの披露は、そろそろ若手に世代交代する 頃合(ころあ)いなんだ、って。」 「今春からは、私は もう、舞い手には ならず、桜の舞いの 準備や進行役の総てに、専念しますから。  ・・・だから、瑞樹さんは 巫女拝命にだけ、専念しなさいな。」 「山桜さん・・・ 有難う。 では、宜しくお願い致しますね。」 「早速ですが、桜の舞いでは、奥山流からは… 舞と、今春より修養を始めたばかりですが… 瑞貴も、舞台に立たせようと思います。」 「あらまぁ! みーちゃん、もう そんなに大きくなったのね。  ウチの さくらも… いえ、栃実にとっても、善い刺激になるんじゃないかしらねぇ。」 「…では、桜の舞いは、そのように進めると しまして。  瑞樹さん。 やはり、奥山流は。。。」 「・・・お察しの通り、私の代で、途絶(とだ)える事と なります。  舞いの家元と 巫女拝命の両立は 有り得ませんし、また、後継となる 師範代(しはんだい)も、()りませんので。」 「そうなるわねぇ。。。 舞なら、師範代と なれるかも知れなかったけれど・・・。  あの通り、舞いの巫女を目指して 突っ走ってるからねぇ・・・。」 「・・・解りました! 舞いの修養の場は、山桜流が受け継ぎましょう!」 「有難うございます。 ・・・それでは、奥山流の 舞いに関しましては、種子貯蔵庫(シードバンク)に、私の記憶の種子を 保管しておきますので。  山桜さんが、古流の後継者に相応(ふさわ)しい人材が現れた と思われましたら、それを紐解(ひもと)いて下さい。」 「了解です・・・。  まぁ、そのうち みーちゃんが、独学で舞いのお稽古して、後継になる方が、早いかも知れない ですけどね。」 「ふふっ… そうですね。  それと・・・ 修養の場と、種子貯蔵庫と()えば・・・巫女知識の修養の場は。。。」 「瑞樹さん。 遠慮なんて、()らないわよ!  私達(わたくしたち)の 仲じゃない。 今後の維持管理も、山桜流で受け継ぎますよ!」 「何から何まで、山桜さんには お世話になる格好となってしまい、申し訳ございません。 …では、宜しくお願い致しますね。  その代わり と云っては何ですが、種子貯蔵庫の情報や 私の書物は、どうぞ御自由に お使い下さい。」 「はい。 そうさせて もらいますわ。 ・・・あぁ、最後に ひとつだけ。  古流ならではの 舞踊(ぶよう)や作法は、早めに伝授してしまって下さいな。  ウチの指導じゃ、どうしてもアバンギャルドに なってしまいますから。。。」  その一方、お稽古場では、巫女実生(みこみしょう)の三人娘が、いつものように仲良く会話に花を咲かせている。 「みーちゃぁ~ん!! 来てくれて 良かったー♪  さくらちゃん、いま お昼寝中でねー。 代わりに みーちゃんを。。。」 「と… 栃 姉様(とち ねえさま)!?  あんまり騒ぐと、さくらちゃんが起きちゃいますよぅー。」 「よく眠ってるから、だいじょぶ!  さくらちゃん、寝たら なかなか起きないし。」 「まさに、眠り姫ね。 …寝る子は 育つ、かな?」 「舞 姉様(まい ねえさま)も!  今日は、お稽古… じゃ、なさそうですね。 どのような、ご用事ですか?」 「瑞樹さん、巫女を拝命なさるでしょう? そうしたら、今後の修養とか…。  どうしたら良いかを、聞きに来たんだけど。。。  みぃ。 ちょっと、話 聞いてくれる? とっちは、いつも通り あんなだし。」  栃実は ずっと、さくらの寝顔を見て、緩みきった表情でいる。 「わたしで良ければ。  舞 姉様のお役に立てるのでしたら、喜んでお(うかが)いしますわ。」 「…それじゃぁ、話すね。 実は、知識の素養が、ここんとこ伸び悩んでて。。。  書いてある事は 大体は分かるんだけど、んーと…何て言うか。。。  深い理解にまでは到らない、というか…。  頭ん中で、ハッキリとイメージ出来ないと言うか。。。」 「舞 姉様。 そのお悩みは、わりと簡単に解決出来るかと思います。  お母様の受け売りですけど、『互いに、学び合う』事こそが、知識の修養。  ですから、わたしや、栃 姉様も一緒に 学び合えば良いだけの事、だと思いますよ?」 「・・・うん! そっかぁ! ありがとね、みぃ。」 「はいっ! …良かった、いつもの舞 姉様だ。  でも… そのためには、今後の修養の場が どうなるかを確認するのが、先決では? と、思います。」 「うん、私も それが先決では? と、思います。」  いつの間にか会話に加わった栃実は、さくらに向けていた 緩んだ表情はそのままに、瑞貴へと向き直ると、こう(たず)ねた。 「そーいや、みーちゃんは、今日は なんで山桜流に?  ただ瑞樹さんに くっついて来た訳じゃ、ないんでしょ?」 「はい。 わたしなりに 予想していた、お母様たちのお話しと、今後の修養がどうなるのかを、早く聞きたくて まいりました。  それに 山桜師匠には、今後 お世話になるでしょうから、ご挨拶しておきたいと 思いまして。」 「あらあら、大した先見(せんけん)(めい)ね、みーちゃん。  さすがは『森の予言者』とも云われる、瑞樹さんの娘ってとこかしら。  (みんな)! (おおむ)ね、みーちゃんの予想通りよ。  舞いの修養の場は、山桜流が受け継ぎます!」 「はいっ、分かりました! でも、山桜師匠の ご負担が…。」 「あっはっは! 平気よ、栃実。  舞なんて、しょっちゅう ウチに()(びた)ってるじゃない。  そこに、みーちゃんが加わるくらいでしょ? むしろ、(にぎ)やかになる分、楽しみで仕方ないくらいよ!」 「んー。 山桜師匠が そう(おっしゃ)るなら。。。  みーちゃん、ようこそ、山桜流へ!」 「はいっ! 山桜師匠、これから お世話になります。  よろしくお願いいたしますっ!!」 「宜しく、みーちゃん。  舞いの修養を始めたばかりで流派が変わるなんて事、そうそう無いけど…。  これからどうすれば善いかは、瑞樹さんにお話ししてもらってね。」 「私も、改めて。 これから 宜しくお願い致します、山桜師匠!」 「宜しく、舞。 そぅねぇ… 舞には。。。  ウチは、古流ほど かしこまらなくても善いけど。。。  まぁ、節度は守って下さいな。 詳しくは、おいおい教えて行くとして…。」 「先ずは 瑞樹さんに、古流ならではの 舞踊や作法を、早めに伝授してもらいなさいな。  山桜流の舞いは、夏祭りが終わってから…で、よろしいかな? 瑞樹さんも。」 「えぇ、そのように なさって頂ければ、結構です。  舞さん、私にも巫女拝命の修養がございますので、その合間に…となりますが、奥山流 峰乃派につきまして、出来る限りの伝授を致したいと思います。」 「はいっ! 私も頑張りますので、宜しくお願い致しますっ! 瑞樹師匠!」 「では、舞いの修養については、そのように致すとして、もうひとつ。  巫女知識の修養の場は、これまで通り、となります。」 「ただ、種子貯蔵庫や 瑞樹さんの書物の 今後の維持管理を、山桜流で受け継ぐ事にしたんだけど… これは、みーちゃんの方が 詳しそうね。  桜の舞いが終わったら、いろいろ教えて下さいな、瑞貴先生。」  いたずらっぽく笑いながら、瑞樹に軽く目配せしてから 瑞貴にそう伝えた山桜の後ろで、栃実が目をキラキラと輝かせながら、こう続けた。 「じゃぁ、これからも… これまで以上に、三人 一緒だね♪」  栃実が 瑞貴に抱きつき、舞も一緒になって喜んでいると、さくらも目覚めて、笑いながら手を叩いている。 「あらあら。 さくらも、嬉しいのかい? …それじゃ、瑞樹さん。」 「…はい。 皆さん、詳しいお話しは 『銀杏屋(ぎんなんや) ひがしたに』で お昼にしながら、ゆっくりお伝えする事と、致しましょうか。」  手短に挨拶を済ませると、山桜と さくらを残して、瑞樹は 巫女実生の三人娘を連れて、街道向かいの『銀杏屋 ひがしたに』へと。  山桜との会談の内容を、ほぼ そのままに伝え、種子貯蔵庫や書物の維持管理について 話し合う。  同じ流派の門下生となった、舞 栃実 瑞貴は、 『誰かが巫女に成る際には、全力で支援する!』 という約束もし、絆を深め合う。  瑞樹は、その様子を見守りながら 安堵(あんど)し、 「()の森の未来は、貴女たちに 託しますね。」 と、(ひと)()ちた。  茶店(ちゃみせ)の後ろ、イチョウ並木の向こうには、大平岩の広場と 復興記念植樹の桜並木。  その桜の花は つぼみが(ふく)らみ、桜の舞いが近いことを告げていた。  桜の舞い、当日。 「皆様、大変永らくお待たせ致しました。  これより、桜の舞い 開演に先立ちまして、峰乃 椿様より、(こと)()(たまわ)りたいと存じます。」 「はい。 ()ずは、今春も 桜の舞いを開催する事が出来、大変嬉しく思います。  皆様のご尽力のお陰様で、今春をもちまして 此の壱乃峰の復興は完遂し、其の復興記念植樹となる 桜並木も、こうして満開の美しい花を咲かせられるまでに、育ちました。  山の神様への感謝と 万感の思いを胸に、桜の舞いを開演と致したく存じます!」 「峰乃 椿様、有難うございました。  それでは 早速ですが、今春の舞い手の紹介と 披露の順を、お知らせ致します。」 「私事で恐縮ですが… 山桜流 枝葉舞派からは、栃実だけが舞いを披露する事とさせて頂きました。  (これ)は、(わたくし)が このように祭典の準備や進行役のお務めに専念し、舞いの披露は 若手に世代交代する頃合いと、考えたが(ゆえ)でございます。」 「続きまして、奥山流 峰乃派より、瑞貴! 舞!  …古流もまた同様に、若手による舞いの披露となります。  なお、瑞貴は、古流の家元 瑞樹師匠の娘であり、今春より舞いを披露する事となりました。。。」 (栃実・・・ そう、「いつでも、だいじょぶ!」ね。 では、始めましょう!)      「それでは、只今 申し上げました順に、舞いの披露へと移りたいと思います。  先ずは、山桜流 栃実によります、お題目は『新緑に(またた)く』!」  栃実に続いて 瑞貴が『新緑の輝き』を、そして 舞が『新緑の(きら)めき』を舞うも・・・ 観客の温かい拍手に、どうにか やりきった感触は得たものの、自らの未熟さを痛感した、舞いの披露。 「もっと お稽古して、もっともっと上手になろうね!!!」 と、巫女実生の三人は誓い、その絆を深め合っている(ところ)で。。。  ザッ・・・と強めに吹いた風は、桜の花びらを青空に舞い散らせ、これを頃合いと察した山桜は、舞台上から皆に告げた。 「ここで、皆様に、重大なお知らせが ございます。  峰乃 椿様より、お話し頂きたく存じます。」 「はい。 眠りの唄にて すでにお知らせ致しました通り、樹の巫女は、巫女候補筆頭 瑞樹へと代替わりする事と成ります。  しきたりに(のっと)り、これより、次代の巫女による 単身での奉納舞いを披露(ひろう)致したく存じます。  では・・・ 瑞樹。」 「・・・はい、峰乃 椿様。  次代の巫女は勿論、巫女候補筆頭として、そして奥山流 峰乃派の家元の名に恥じぬ 最後の奉納舞いを、披露させて頂く所存です。」  風は吹き止み、しん…と静まり返った舞台上を彩る桜吹雪に迎えられ、瑞樹は、舞台の中央へ。  すでに奉納舞いを始めているかのような その一挙手(いちきょしゅ) 一投足(いちとうそく)は、まさに 優雅。  皆に向けて深々と一礼をしたのち、瑞樹は、『若葉の舞い』を舞う。  しっかりと大地に根ざした足さばきは、ほぼ不動なれど、その(わず)かな動きに追随(ついずい)して、緋袴(ひばかま)が揺れて。  白衣(しらぎぬ)(そで)は、しなやかな腕の振りに合わせ、枝葉が風になびくがごとく、舞う。  広げた(てのひら)(こう)は、春の陽光に輝く若葉を表現しつつ、ひらり、ふわりと。  その、あまりに優雅で幻想的な奉納舞いを舞い終えると、瑞樹は いつもの優しい微笑みを たたえながら、再度 深々と一礼したのち、舞台の端で奉納舞いを見届けていた舞い手を招いた。  ”合わせ”とも呼ばれる、桜の舞い 神事『春の舞い』。  シャンッ と鏑鈴を鳴らした峰乃 椿は、山の神への奉納舞いを()って、この森の様子を伝達する。  次代の巫女と成る瑞樹は、これに倣いつつ、皆に向けて優雅な舞いを披露する。  巫女実生の 舞 栃実 瑞貴は、舞い手として 彩りを添える。  そして春の舞いの最後には、舞い手は一斉に掌を天にかざして、春の暖かな陽光を浴び、山の神への感謝を表した。 「・・・以上を もちまして、舞いの披露は、終演となります。  最後に、峰乃 椿様より、山祭りの舞い手 一次選考の審査結果を発表して頂き、桜の舞い 終了と致したく存じます。」 「はい・・・ 今春は、舞い手が巫女実生のみで あったこともあり…。  残念ながら、一次選考の通過者は、ございませんでした。  舞い手の皆さんには、より一層の精進を 期待しております。」 「さて、此のような場合は・・・ (なら)わしに(のっと)りまして、舞いの素養を満たした巫女候補より代役を立て、山祭りでの舞い手と致し、其の発表は、これまで通り 山祭りの前日と、致します。」  初夏。 巫女実生たちは、三者三様の修養に励んでいた。  桜の舞いでの、舞い手の落選を重く受け止めた 舞は、古流の舞いの伝授も相まって、特に舞いの修養に励む。  日に日に、『代々の巫女と成る者が、神事にて 山の神様への奉納舞いを舞っていた 基本形であり、風に身を任せ、枝葉を優雅に風に乗せて 舞う。』という”古流ならではの舞いや作法”を身に着けて行き・・・梅雨が明ける頃。  瑞樹は、 「貴女には、比類なき 舞いの素質と才能があります。  今後は山桜流にて、それを昇華するべき。 きっと、舞いに秀でる巫女候補と成れるでしょう。」 と舞を評し、その伝授を終えた。  母譲りの 超理解力の才能を発揮しはじめた瑞貴は、すぐ近くの稽古場で舞いの修養に励む 舞の情熱に感化され、 「わたしは、知の巫女に成りたい!」 と思うようになり、知識の修養に励んでいる。  開花や葉が茂りゆく様子を観察しながら、樹々の特徴や生命活動、森林生態系の知識を習得する。  梅雨には、恵みの雨の行方や 樹々が森林土壌を護り育むこと、巫女知識として祭典や神事に関する事柄も、次々と理解し習得していった。  よく学ぶ瑞貴の様子を (かたわ)らで見守っていた瑞樹は、ある日、母娘二人きりになる頃合いを見計らい、通常の知識の修養では明かされない事柄について話すことにした。 「~瑞貴も、巫女を志すのであれば、森の生命活動の辛いお話も 知っておかねばなりません。  それは… 『アバレギ((あば)())』の、お話。  ただし、他の者がアバレギの事を知ってしまうと、それに転化する樹が現れてしまうかもしれないので、壱乃峰(いちのみね)の皆には 適期が来るまで話さず、そっと胸にしまっておいて下さい。。。」 「『大崩落(だいほうらく)』より以前には、この壱乃峰にも アバレギが()て。」 「それらは、自らが大きく成長する事しか考えず、自分勝手に枝葉を伸ばして、周りの樹々への日光をも(さえぎ)り続けた結果、樹々の樹勢(じゅせい)は衰え根が土壌を保持できなくなり、大崩落が起きたと、私は考えています。」 「今後 このような災厄が起きないためにも、瑞貴がもっと大きくなったら。  この壱乃峰を アバレギのない森に。 そして瑞貴には 森の調和を第一に考え、良い方向に導く存在に成ってもらいたい。。。」  大人気のアイドル”とっち”として、幅広く芸能活動をしている 栃実。  『巫女修養で、素養を身に着ける』よりも、『パフォーマンス能力の向上』が重要と考えた 師匠の山桜は、とっちがメインとしている 歌やダンスなどのライブパフォーマンスの機会を、そのまま 唄や舞いの修養としている。  山桜の 『好きこそ ものの 上手なれ』 『色んな事を 楽しんで』といった指導の言葉を体現するかのように、とっちは いつも楽しげに その抜群の歌唱力を披露する。  新緑のソロライブ、写真集『恵みの雨』の撮影、夏服のモデル・・・。  そろそろ、夏祭りに向けて お唄の修養も、始めよう♪  街道に面した山桜流の稽古場で、楽しげに歌う栃実の葉音に誘われて、街道沿いの樹々からは セミが鳴き始める。  やがてその歌声は、夏の虫たちや 樹々の葉音とも一体となって、合唱のような心地よい音を奏でていた。。。 「みんなぁ~! 楽しんでるぅ~!?」 「次は・・・ オ ト ナ ☆ の、魅力満載っ!!  山桜師匠の お唄を、お届けしちゃいまぁーすっ!」  今夏も、歌の祭典 夏祭りは、とっちのソロライブ状態!  その圧倒的な歌唱力のため、他にエントリーが無かった…というよりは、皆、歌い手になるより ”とっちのライブが見たい” のが、本音。  とっち本人も、壱乃峰の皆の想いを紡いだ『樹々の唄』を、皆の代表として歌えることに大きな喜びを感じている。  大平岩の舞台の端では、とっちのサポート役をしている 舞が見守り、観客席では、とっちのライブパフォーマンスが大好きな 瑞貴が、熱い声援を送っている。  その二人にサインを送ると、とっちは、次の唄の紹介を。 「続いては・・・ 親友の 舞! 妹的存在の 瑞貴! そして私 とっちの巫女実生 三人が、想いを込めた お唄です!  みんなぁ~! まだまだ盛り上がって いくよぉ~♪」   大盛り上がりの とっちソロライブも、終盤を迎えた頃。  峰乃 椿と瑞樹は、山祭りでの歌い手と 舞い手について、話していた。 「栃実さん・・・でしょうか? 山祭りの歌い手は。  舞い手は、山桜師匠に務めて頂き・・・ 山桜流の師弟にて、山祭り祭典を担って頂いては、いかがでしょう?」 「私も、同じ考えです。  …瑞樹、私に倣う、巫女のお務めの修養は、もう充分と云ったところでしょうか。  …とても頼もしく思いますよ。」 「有難うございます、峰乃 椿様。」 「ところで、貴女の巫女装束と 採り物である扇の出来具合は、いかが?  知の巫女装束は、参考となるものが少ないと されていますが。。。」 「お心遣い頂き、恐縮です。  お陰様で、試作が一式 出来上がったところでございます。」 「まぁ! それはそれは… 完成披露を、楽しみにしていますよ。。。」  他の樹々に先んじて、ケヤキの葉が色づき始めた、初秋の頃。  奥山流 峰乃派の 舞いの稽古場には、峰乃 椿の立会いのもと、山桜と さくら、瑞貴 舞 栃実が集い、瑞樹が制作した 巫女装束の完成披露が行われようとしていた。  山桜の呼び込みの声に応じ、奥座敷の引き戸がスッと開かれると・・・ あまりに神々しいまでの、知の巫女装束を(まと)った 瑞樹が現れた。 e1a129b9-5387-40b7-a0b5-0a2b79d9f4ec  巫女装束の基本である 緋袴(ひばかま)白衣(しらぎぬ)、その上半身には、知の巫女特有の(そで)が付いた千早(ちはや)が纏われている。  書物【知識に秀でる 樹の巫女の、装束と採り物】に記述された巫女装束は完全に再現され、前合わせの千早の胸部は 装飾が施された胸紐で結び留められている。  木簡(もっかん)を入れる袖は もちろん、奉納舞いにも使えるよう全体的に頑強(がんきょう)仕立(した)てに仕上がり、胸下で結び留められた朱色の胸紐(むなひも)は、舞いの躍動感を演出することを物語っている。  頭部の天冠(てんかん)の装飾には、主軸(しゅじく)と その左右に大きなブナの葉が あしらわれ、()(もの)である(おうぎ)もまた、祝詞(のりと)奏上(そうじょう)奉納舞(ほうのうま)いに相応しい、華美(かび)な仕上がりとなっていた。 「・・・見事な出来栄えですよ、瑞樹。  これ程までに素晴らしいものを創りだせる瑞樹になら、安心して この森を託すことができると、確信いたしました。  さぁ、奉納舞いを舞う姿を、ここに集う皆にも 見せて差し上げなさい。」  峰乃 椿の賞賛と(いざな)いに応えて、瑞樹は 舞台に上がり、奉納舞いを。  その、あまりに優雅で美しい舞い姿に、皆は見入ってしまっていた。。。  秋の実りでは、采配はもちろんのこと、木の実の振舞いの開始までを、瑞樹は 峰乃 椿が考える通りに、滞りなく進めた。  峰乃 椿は、瑞樹の巫女拝命の修養が修了したと判断し、 「()の森の総てを、瑞樹に託します。」 と 瑞樹に告げると、自身の『記憶の種子』の結実に専念するため、壱乃峰上部の居所(いどころ)へと戻った。  眼下に広がる、大崩落の跡地が 木の実を振舞う樹々が生育できるまでに回復した光景を眺めながら、峰乃 椿は 安堵(あんど)した面持ちで、これまでの事を思い返す。  壱乃峰中腹の緩斜面となったところに視線を移すと、(にぎ)わいを見せる東谷街道と、神事の舞台とした 大平岩。  その周りを半円状に囲んでいる復興記念植樹の桜の葉は、(あか)く染まっている。 「山の神様・・・ ここまで、来ることができました。  椿は 昇天(しょうてん)したのちは、このまま『土に(かえ)り、微力ながら 次代の樹々が生長(せいちょう)する(いしずえ)と成る』ことを選択致します。」  シャン… と鏑鈴を鳴らし、その想いを山の神に伝達すると、峰乃 椿は、通常は抹消される、巫女拝命(みこはいめい)以前の記憶をも 種子に込めるために。  最期となる 大輪のユキツバキの花を、その小さな全身いっぱいに 咲かせた。  やがて結実される たくさんの大きな椿の記憶の種子に込められた、その あまりに膨大で貴重な想いや情報は、皆へと託され 受け継がれて行くことだろう。  高台の少し上に生育する ブナの若木は、この秋に初めて実をつけたとは思えないほどに、立派な木の実を多く結実し、森の動物たちに振舞われた。  瑞貴は「知の巫女に成る!」とばかりに よく学び、修養で習得した森林知識は、こうして初結実や、初めての 木の実の振舞いにも、活かすことができた。  瑞樹は、瑞貴をねぎらうと、「()いものを、見せてあげましょう。」と、種子貯蔵庫(シードバンク)に連れ出した。 「瑞貴、知識の修養と 初結実、本当によく頑張りましたね。  学ぶことは、楽しいでしょう?」 「はい、とても・・・。 でも、お母様。  こうして季は巡り、事が進むにつれ… お母様の巫女拝命が近づく。  わたしは 今は、それが嬉しくもあり… 淋しくもあるのです。。。」 「そう・・・。 それでは、瑞貴にだけ理解できる、善いものを見せてあげましょう。  学ぶことが楽しいと思える瑞貴になら、きっと宝物のように思える、素敵な光景です。」 「そのあとに、私の大切なものを、瑞貴に託しましょう。  ほら、こうすれば、瑞貴は ずっと私と共に居られるのだから・・・ もう、淋しくない… でしょ?」  瞳にうっすらと涙を浮かべた瑞貴を なだめると、瑞樹は、いつもより優しく穏やかな微笑みを たたえながら、ひときわ大きなブナの『記憶の種子』を手にした。 「瑞貴は、この森の()(すえ)について 考えたことは、あるかしら?  それと、私達 樹々の生命活動は、何のために懸命に行われているのでしょう?  森林知識についての口伝にも語られていなかった その(かい)の ひとつが、この記憶の種子に込められていました。。。」  瑞樹が 記憶の種子を紐解(ひもと)くと、瑞貴の眼前に 美しい森の中の光景が浮かび上がった。  程よく差し込む木漏れ日を受けて、様々な樹々の葉は 生命力に満ちた輝きを放つ。  緩やかに 穏やかに せせらぐ川の向こうには、陽光 煌(ようこう きら)めく 開けた空間が。  遥か以前から そこに()るだろう 朽ちた倒木からは、新たな樹が芽生え、若木が生育している。  風にそよぐ樹々の枝葉が、歌声にも似た葉音を奏でた。 「素敵な、森の中・・・。 広くて、穏やかで、元気で。。。  こんなに素敵な光景は、これまで見たことがないですし、書物にも記されていませんでした。  お母様、この森は、どこにあるのでしょう?」 「何処にも無い・・・と、言うべきかしら。  この光景は、『極相林(きょくそうりん)』と()って、森の行く末の… 理想の姿を表したもの。  きっと、この理想郷を夢見た先人が、その想いを込められたのでしょうね。」  瑞樹は、少し離れた書棚に視線を移すと、瑞貴に語りかけた。 「瑞貴は もう気付いていると思いますが、この書棚の書物を使った知識の修養にて習得する内容は、基礎編に過ぎません。」 「書棚の奥には、特別な者にしか理解できない、紐解くことを許されない、陰書(いんじょ)や 発展編の書物が在り、極相林について(まと)めた書物は、発展編に含まれています。  ・・・瑞貴。 私の大切な… いえ、皆にとっても大切な知識や口伝を記した これら書物の総ては、貴女に受け継ごうと思います。」 「えっ・・・ でも、お母様。 わたしには まだ。。。」 「大丈夫ですよ。 瑞貴の持つ、知識に秀でる素養ならば、総てを理解できるでしょう。  それに… 私には、知識や口伝を書物化する事しか、出来なかった。  瑞貴には、これらを皆のために役立て、この森を より善い方へと導いてもらいたいのです。。。」  瑞樹は 瞳を閉じ、胸の前で両手を祈るように組むと、その手の内に記憶の種子『瑞樹』を、結実した。 「・・・瑞貴、これを 貴女に託します。」 「お母様の、記憶の種子…。  でも わたしにはまだ受容体が無く、この身に宿すことができません。。。」 「瑞貴。 どうか、一つの事に とらわれないで。  私の素養を受け継ぐ方法は、この種子を紐解き その身に宿す事だけではありません。  この種子は、受容体と同じような働きをしてくれて、書棚の奥へと至る見えない扉を開いてくれます。」 「そして… 私が書きしたためた書物の内容は、この種子の容量を遥かに凌駕(りょうが)していますから、瑞貴は この種子を紐解くことが出来ずとも、私の総てを込めた これらの書物を理解することで、私の知識の素養を その身に宿し受け継ぐ事が出来るのです。」  瑞貴が手にした種子には、未だ巫女実生の瑞貴にとっては(まばゆ)いばかりの、瑞樹が身に着けた あまりに高い素養や知識、これまでの経験や記憶が、込められていた。  これを凌駕する、書物とは。。。  壱乃峰の樹々の誰よりも早く冬支度を終えた瑞樹は、種子貯蔵庫に新たに貯蔵された 峰乃 椿の記憶の種子を確認すると、巫女を拝命するための最後の準備として、書棚の整頓に取り掛かった。  手早くそれらを終えると、最後に(ふところ)から取り出した書簡(しょかん)を陰書書棚に仕舞(しま)い、安らかな微笑みを浮かべながら一息つくと、足早に 大平岩の広場へと向かった。  これから発表される、山祭り祭典での、舞い手と歌い手。  峰乃 椿様を、お待たせする訳には行かない。  その頃、山桜流の稽古場では、山桜が巫女実生たちに、舞い手と歌い手の 前日発表の意義と、心構えについて指導していた。  門下生の、大きな緊張と少しの期待に引き締まった表情を確認すると、山桜は さくらを抱き上げ、一同は広場へと向かった。  大平岩の広場には、冬支度を終えた皆が集う。  瑞樹の挨拶の後、峰乃 椿は 凛とした面持ちで告げた。 「舞い手は、(なら)わしに(のっと)り 代役としまして…。  唯一 舞いの素養を満たした巫女候補であります、山桜師匠!  歌い手は・・・最も お唄の素養に秀でております、栃実!  山祭り祭典は、山桜流の師弟にて、担って頂きます!」  わずかな どよめきの後に起こった、皆の拍手に後押しされて、山桜と栃実は峰乃 椿に一礼すると、皆に向き直った。 「先達(せんだっ)て、世代交代を…と申し上げましたが、此度(こたび)事由(じゆう)により舞い手を務めさせて頂く事となりました。  さて、(わたくし)とて 山桜流の家元であり、巫女候補。  すでに祭典にて披露いたす舞いは、仕上がっております(ゆえ)、皆様ご安心下さいな。」 「えっと・・・ 歌い手にお選びいただき… すっごく嬉しいです!  しかも、山桜師匠と一緒に披露できるなんて・・・。  皆様も、どうぞ お楽しみになさって下さい!」 「それでは 山桜師匠、祭典準備の梶取(かじと)り共々 宜しくお願い致します。  私は、昇天の準備がございますので、(これ)にて失礼致します。」  峰乃 椿は、その居所へ。  さくらを舞に預けた山桜は、巫女候補の お務めである、広場と大平岩の冬支度を兼ねた、祭典準備の進行役を。  居合わせた皆も手伝い、舞台は整えられ 広場は()き清められた。  山桜は皆をねぎらうと、栃実と共に舞台となる大平岩の前に立ち、 「栃実の お唄の稽古を行いますので、どうぞ観ていって下さいな。」 と告げると、稽古とは思えない程の、栃実の抜群の歌唱力が披露された。  高台の少し上の、瑞樹と瑞貴の居所まで、かすかに栃実の歌声が聞こえる。 「明日の祭典が、楽しみね。」  と、拝命準備の介添(かいぞ)えをする瑞貴に話しかけると、瑞樹は 神具(しんぐ)()った天冠(てんかん)を装着した。 「お母様、すごくきれい。。。  わたし、祭典も楽しみですけど、お母様の奉納舞いも、すごく楽しみなのです。」  と瑞貴が応える。  母娘は寄り添って、瑞樹の奉納舞いや思い出を語らいながら、巫女拝命の準備を整えた。 「()の儀式は、(これ)まで樹体(じゅたい)を成長させて頂いた陽光への感謝と共に、私達(わたくしたち)が冬季の休眠に()くために、(しば)しのお別れを告げるためのものでございます。」  峰乃 椿の立会いの(もと)、壱乃峰の山影(やまかげ)に夕日が落ち 最後の光を放つ(さま)を皆で見届けると、瑞樹は、山祭り祭典の開始を告げた。  程なく月光に照らされた舞台上で始まる、樹々の唄と 木の葉の舞いの、披露。  栃実が美しい葉音で歌い上げる 樹々の唄に乗せて、山桜が 木の葉の舞いを躍動感あふれる優雅な枝振りで、舞う。  愛弟子と師匠による息の合った 唄と舞いの披露は、祭典に彩りを添えた。 「続きましては、山の神様への感謝をお伝え頂く、奉納舞(ほうのうま)い!  樹の巫女が代替わりなされる 此度(こたび)の奉納舞いは、当代の峰乃 椿様と、次代の巫女と成る瑞樹の、合わせで舞われます!」  峰乃 椿は舞台に上がると、凛々しさの中に僅かな安堵をたたえた表情で、月光を仰ぐ。  朱色の胸紐を結び留めた瑞樹は、木簡(もっかん)を舞台端の山桜に預け、採り物の扇を開いて持つと、峰乃 椿と共に深々と一礼する。  舞いに秀でる巫女装束の峰乃 椿と、知識に秀でる巫女装束の瑞樹は、(そろ)って静かに奉納舞いを舞い始めた。  ユキツバキ独特の樹形を活かした枝葉の振り様と 足さばきで、懸命に奉納舞いを舞いながら、峰乃 椿は、復興のお役目の完遂と 代替わりし昇天する謝辞(しゃじ)を、山の神へと伝える。  瑞樹は、山の神への感謝を表しながらも、奥山流 峰乃派 最後の家元として、奉納舞いの基本形となる、風に身を任せ 枝葉を優雅に風に乗せる舞踊を、舞う。  峰乃 椿の鏑鈴が鳴らされ、瑞樹の扇が(ひるがえ)ったのを合図に、皆で森の唄を歌い出す。  森の唄に込められた皆の想いは、樹の巫女の奉納舞いによって(こと)()へと昇華され、山の神へと伝達された。  奉納舞いを舞い終えた峰乃 椿は、皆が見届ける中、(ひと)り 舞台の中央最前へと歩み寄ると、月明かりに照らされた 大崩落の跡地を見つめる。  月光を仰ぎ 鏑鈴を天にかざすと、峰乃 椿は 山の神へと、自らの お役目完遂の言の葉を献上した。  そして皆へと向き直ると、安堵(あんど)した表情で、 「皆様のご尽力のお陰様で、大崩落からの復興は成されました。 皆、本当に…有難う。。。  (これ)(もっ)て、私のお役目は完遂となり・・・ 樹の巫女 峰乃 椿を退任、瑞樹へと代替わりし・・・ 椿は、昇天(しょうてん)致します!」 と告げると、峰乃 椿は、皆からの感謝の言葉と大きな拍手を受けながら、舞台端に控える、瑞樹と山桜の処へと。 「瑞樹。 其方(そなた)は 知識に秀でる巫女と成るが(ゆえ)、この頃合いにて 山の神様への謝辞の祝詞(のりと)を、(みやび)なる言の葉として奏上(そうじょう)することとなります。  そのつもりで、皆には その想いを、お伝えなさい。」  峰乃 椿に(こた)えて 一礼するかのように(うなづ)いた瑞樹の扇の上には、のちに祝詞(のりと)(しる)すための木簡(もっかん)が載せられている。  皆が、知の巫女装束の美しさと 優雅な歩様に感嘆の声を上げる中、瑞樹は、舞台の中央最前へと歩み寄った。 「…皆様。 (わたくし)、巫女候補筆頭 瑞樹は、此度(こたび)の 代替わりに()り、知識に秀でる樹の巫女を、拝命する事と相成(あいな)りました。  豊かに回復した()の森を(まも)り、日々のお務めと、お役目の完遂に、精一杯尽力いたす所存でございます。」  瑞樹の新任挨拶に続いて、山桜は、峰乃 椿と瑞樹に最期のお別れを告げる事を、皆に(うなが)した。  皆が清々しい笑顔で、瑞樹に期待の言葉をかける中、瑞貴だけは無言で、淋しげな表情のままでいた。  そして、皆に、巫女の代替わりの儀式となる『拝命(はいめい)()』が()り行われる事が告げられると、瑞樹を伴い、峰乃 椿は その居所へと歩んで行った。。。  月光は、大崩落(だいほうらく)跡地の少し上の、花も実もすべて落として 優雅な枝ぶりと独特な樹形(じゅけい)だけを残した 1本のユキツバキの樹を、(まばゆ)く照らしている。  峰乃 椿の居所に(いた)った瑞樹が、そこから一段下の山肌(やまはだ)に立つと、峰乃 椿は、参乃峰(さんのみね)から ゆっくりと近づく雷雲(らいうん)を見ながら、瑞樹に 右手を天にかざすよう(うなが)した。 cd769bf9-31a7-4d8e-97e1-10a2c6d61e31 「・・・天雷(てんらい)を、()()げた右手に(たまわ)った巫女は 昇天し、山の神様の住まう神界(しんかい)へと、()されます。」 「はい、峰乃 椿様。  そして(これ)は、山の神様への降雷(こうらい)の合図となる、でしたね。」   「・・・安堵(あんど)しました。  ()の 昇天の仕方(しかた)()って、瑞樹への巫女拝命の修養は、(すべ)て完了となります。」 「瑞樹への代替(だいが)わりの天雷(てんらい)は、神具(しんぐ)である天冠(てんかん)にて賜りますので・・・ その挙げた右手は もう()ろして結構ですよ。」  代替わりする二人の巫女が 互いに向き合うと、辺りは再び静寂に包まれた。  峰乃 椿は、お役目の完遂からの安堵と、昇天への(よろこ)びの表情で。  瑞樹は、自らの記憶の抹消(まっしょう)を 覚悟した表情で、代替わりの天雷を待つ。  やがて、山の神が神力(しんりょく)を込めた 代替わりの天雷を宿した雷雲が、弐乃峰(にのみね)に至る頃。  二人の巫女は 視線を合わせると、声を(そろ)えて、山の神へと 拝命の儀の開始を告げた。 「・・・此れより、拝命の儀を、()り行います!!」  峰乃 椿は 鏑鈴(かぶらすず)を左手に持ち替えると、瑞樹の頭頂(とうちょう)の天冠へと向ける。  そのまま、無言で うなづき合うと、二人の巫女は 天を(あお)いだ。  すぐにも 壱乃峰(いちのみね)に至った、代替わりの天雷を宿した雷雲へと向けて、峰乃 椿は右手を()げる。  代替わりの天雷が、峰乃 椿の居所の ユキツバキの樹に直撃すると、その本流から分かたれた 破壊の側撃雷(そくげきらい)は、峰乃 椿の挙げた右手へと移る。  破壊の側撃雷は、峰乃 椿の身体を流れて、ユキツバキの樹との 生命の同調を断ち切ると、左手の鏑鈴を破壊する。  鏑鈴が向けられていた、瑞樹の天冠へと移った 破壊の側撃雷は、巫女としての知識や素養は そのままに、瑞樹の記憶を抹消した。  この間に分離した、天雷の本流に込められた 再生の神力(しんりょく)の一つは、峰乃 椿を その姿のまま御霊(みたま)へと変化(へんげ)し昇天させ、もう一つは、瑞樹を 神格化した樹の巫女へと再生する。  再生の神力を授かった 瑞樹の身体は不老となり、その神具である 扇と天冠には、神力がみなぎる。  扇は、祝詞(のりと)奏上(そうじょう)奉納舞(ほうのうま)いを、山の神に届く(こと)()へと昇華(しょうか)させる。  天冠は 巫女に、山の神からの 天の声を聞く能力を授ける。  儀式の最後には、山の神から その役目と巫女の名を授かり、瑞樹は、樹の巫女『峰乃 橅(みねの ぶな)』を拝命した。 「・・・頭の中に、霧が… かかったみたい。。。  つい先程の事さえ・・・思い出せない。 ・・・この お声は、山の神様?  そう・・・ いま、わたしが… せねばならないことは。。。」  (うつろ)ろな瞳のまま、峰乃 橅は扇を天にかざすと、拝命した巫女の名と授かったお役目を復唱し、誓いの 言の葉を献上する。 「其の樹種名(じゅしゅめい)を 樹の巫女の御名(みな)と成す、との しきたりに(のっと)り、樹の巫女 峰乃 橅の名を、拝命致しました。」 「授かりし お役目でございます、 『復興した壱乃峰(いちのみね)の森が、(さら)なる発展を()げ、極相林(きょくそうりん)を目指すための、人材の出現の手助けと、()布石(ふせき)となる。』 ことは、()の身の(すべ)てを(ささ)げて()()げる事を、誓います。」  拝命の儀を終え、皆の待つ大平岩の広場へと戻った峰乃 橅は、授かったお役目を皆に伝えると、 「此の森の目指す処は、回復から 調和を保つ事へと転換いたします。  新たな道を歩むためには道標(みちしるべ)が必要となりますが、先人の教えを紐解くことで道標と成すべく、知の巫女として尽力いたす所存でございます。  蓄積された知識は森の調和へと役立て、皆で手を取り合い、此の森をより善い方へと導いて行きましょう。」 と、皆にも協力を仰いだ。  峰乃 橅は、優しい口調で とつとつと語ったが、その表情に これまでの優しい微笑は無く、無表情になっていた。  山祭りは、神事『神憑(かみがか)り』へと移り、山の神からの言の葉を賜る。  参乃峰を過ぎて、弐乃峰から(とどろ)雪起(ゆきお)こしの雷鳴(らいめい)は、山祭りの終了を告げると、皆を居所へと(いざな)った。  高台に(ひと)(たたず)む 瑞貴を照らす月光は、すぐにでも雷雲(らいうん)(さえぎ)られようとしている。  瑞貴は、すでに無人となった大平岩の広場を じっと見つめながら、今季の出来事と 母の変わり果てた表情を思い返していた。 「お母様の記憶、本当に… 無くなっちゃったのかな。。。」  と つぶやくと、瑞貴は ようやく、すぐ近くに迫る人影と その足音に気付く。  月光を浴びて純白に輝く 高位の装束を(まと)った巫女は、高台に居る一人の少女の姿を認めると、優しく声をかけた。 「ブナの娘よ。 間もなく皆、冬季の休眠に()く事となります。  此処(ここ)に居ては、充分な休眠を得られませんよ?  さぁ、貴女も、居所へと お戻りなさいね。」  瑞貴は、少しの間、無言で涙を流しながら 心の中でつぶやくと、峰乃 橅に返答した。 (ごめんなさい、お母様。 わたしは、初めて… (うそ)を言います。) 「…すみません。 峰乃 橅様の お心遣(こころづか)いに、うれし涙を。。。」  二度と、母と()うことは出来ないと実感した瑞貴は、あふれる涙をこらえながら、居所へと戻る。  峰乃 橅は、瑞貴をなだめながら、そのすぐ近くの居所へと戻ると、再度 壱乃峰の樹々を見渡し、皆が休眠の準備を整えた事を、見届けた。  すでに月光を遮った 漆黒(しっこく)の雷雲は、壱乃峰を(おお)っている。  峰乃 橅は、天に(かか)げた扇を(ひるがえ)すと、短い祝詞(のりと)を山の神へと奏上(そうじょう)した。  壱乃峰に、天雷(てんらい)。  初冠雪(はつかんせつ)は、壱乃峰の森を、樹々を、純白に染め上げた。  樹々が眠る森の中は静まり返り、眠りの唄の歌声以外は、何も聞こえない。
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