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選ばれし者
「ここは……女媧の祠堂……?」
墨の記憶は祠堂の光に射抜かれたところで途切れている。
「左様。覃家の中央に建てた祠堂じゃ」
ほほほ、と老爺は嬉しそうに笑った。
「祠堂なのに化け物が出た……」
「なあに。あれは神の手、神の意志を叶えるべく伸びた手じゃ」
老爺の姿は見えない。
よく見ようと目を凝らせば凝らすほど、ビリビリと肌の表面が痛む。
「……何故」
「この祠堂は雷公が封じられた地じゃ。女媧は雷公を助け、瓢箪の種を得た」
その話は墨も知っていた。老爺が先を促すように黙り込んだので、墨は口を開いた。
「雷公は己を閉じ込めた女媧の父に怒り狂い、地上を水で満たした。
雷公の瓢箪は見る見るうちに伸び、女媧とその兄であり夫である伏羲は瓢箪に守られ洪水から生き延びた。
最後、水が引いた時、その地に国を拓いた。それが天籟国……女媧と伏羲の子が王統を継いでいる」
「そうじゃそうじゃ」
老爺の声は嬉しそうに頷いた。
「覃家の子よ。此度はそなたが選ばれた」
「え……?」
「宿命じゃ。そなたも覃家の子、一族の定めは聞いておろう」
この老爺は何者だ。
声は確かにするのに、全く輪郭が見えない。
目を凝らそうとするたび、腹の底に落ちついた例の衝動が首をもたげる。
身の内を食い荒らそうとするその衝動に、墨は無意識のうちに身を竦ませた。
ほ、ほ、ほ。と朗らかに老爺は笑う。
「覃家は王府に勤める。武官として王統の傍で影のように寄り添い、守る者じゃ。代々その血を守り、よう、あれ等の子を守ったな」
「なに……を……」
「畏れるでない。覃家の子よ、そなたは選ばれた。──姫奴に」
姫奴。
その言葉が耳朶を打つと同時に、墨は鞭で撃たれたように身を竦ませた。
胸が急激に締め上げられ、骨が軋むのを感じる。
息が出来ない……──腹の底の衝動が急速に動きを活性化する。
あれは、だめだ。怖い。
「守るのだ。天籟の姫を、女媧の血を継ぐ神の子を。そなたは選ばれた、この雷公にな」
「う、うわぁああああああああああああああああああ!!」
衝動が背骨を駆け上がり、脳天を灼いた。
激しい熱が鋭い痛みで墨の体を引き裂くようだ。
身もだえする幼い体を、鎖が縛り付ける。
視界が黒と赤に乱暴に染め抜かれ、地面にしがみついた爪の際にはじわりと血がにじむ。
「特別な奴隷ぞ。──光栄に思い、励めよ」
老爺の声は墨の咆哮でかき消えた。
「その前に、生きて目を覚ませば、の」
その不吉な予言を、墨は忘我の隅で聞いた。
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