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王府の日常
墨の仕える姫はとても穏やかな方だ。
墨の足音に気が付いたらしい姫は、眺めていた書から顔を上げて、きょとんと墨を迎えた。
ここは王府の祠堂の中、姫の自室だ。
「読書ですか?」
姫は微笑んで頷いた。
姫奴として王府の祠堂に入ったその日から、墨は女官の官服を着ることとなった。
墨染の姫奴の官服もあるにはあるが、まずは女官の衣装に慣れろと命じられたのだ。
女官の長い上着の隙間に、暗器を仕込む。
墨の得意の暗器は簪と峨嵋刺である。
王族の傍に仕えるものとして、その身を守る武器を持つのは当然のことだ。
それを仕込むには児童が着る袖や裾の短い衣装より、女性の服の方が楽だ。
ただ、裾の扱いが難しく、慣れるまで時間がかかった。
墨染の姫奴としての衣を平装にする裁可は、半年を待たなければならなかった。
それだけ、墨は行儀見習いに時間がかかってしまったのだ。
姫奴に選ばれてから早三年経つ。
現在、天籟国の女性王族は、国王を含めて四人、それぞれが姫奴を持っている。
はじめは祠堂の奥で武術の鍛錬に明け暮れた。
元々覃家で武術には触れていたが、ここまで錚は隙間を縫って、墨の『姫奴』としての教育に当たった。
暗器や武具のたしなみは覃家である程度身に着けたといっても、『姫奴』が求められるものとは異なる。
それを叩きこまれている、敏のような同年代の者はいない。
他の姫奴は誓約の通り自分の姫に影のように付き添い、墨とはあまり顔を合わせない。
「あら、墨殿、もういらしていたのですね」
ひょっこりと顔を覗かせた女官は、姫付の筆頭女官だ。
彼女はひとつの木箱を大事そうに抱えている。
「……大荷物だな」
「ふふふ、特別な日ですもの」
女官は鼻歌交じりで答えた。
あれは正装用の冠が入っている箱のはずだ。
姫が冠を被る時は儀式や、自室を出る時だ。
その中でも正装時の冠は、陛下にお目見えするか祭祀に参加する時にのみ使う。
「陛下のお目見えがあるのか? 何も聞いていないが……」
「ありませんよ」
女官はそれでも嬉しそうだ。
「墨殿。姫様はもう十四歳になられます」
「それは知ってる」
ふふふ、と女官は含み笑いをして、墨をうんと年下の子供を見るように横目で見た。
「縁談がまとまりそうなんですよ」
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