王府の日常

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「はぁ!?」 「まぁ、墨殿たら、はしたない」 「まだ姉姫様たちの縁談もまだだ!」 「ええ。私の姫様が一等お美しいのですから、当然です」  女官は自慢げに、姫の髪を丁寧にくしけずり、編み込む。  簡単な結髪ならば墨も出来るが、手の込んだものは女官たちの腕前に敵わない。 「今日は写真家の老師(せんせい)がいらっしゃるんですよ」 「……写真……?」 「お相手に姫様の御写真をお送りするんですって!」  上機嫌そのものの女官に反して、墨はむっつりと黙り込んだ。  墨が仕える姫は天籟国の天を支える神聖なる姫だ。  今までも神子に就かなかった妹姫たちが大清や周辺国に嫁ぎ、衝突を回避してきた歴史がある。  だが。 「いま、大清は戦争があったばかり。姫を迎え入れる準備があるとは思えない」  大陸を治めた大清の威信は最早地に落ちたも同然だ。  大英帝国と、阿片をめぐる貿易摩擦を由来とした阿片戦争を。  日本との間でも甲午戦争が起き、どちらも敗戦した。  大英帝国との敗戦は墨が生まれる前のことだが、甲午戦争についてはこの間終戦の一報がもたらされたばかりだ。  大清は、朝鮮の宗主権を失い、日本への多額の賠償金と領土の分割を余儀なくされ、ようやく戦争は終わりを告げた。  長く続いた大清の朝鮮支配が、島国によって終わりを告げたことは、墨にとって驚きと恐怖を伴う出来事だった。  そんな状態の大清の愛新覚羅家が天籟国の姫を迎え入れるとは思えなかった。  女官も墨の内心を理解してだろう、にんまりと笑った。 「もっといいところですよ。姫様をお迎えされるのは」 「いいところ?」  墨は周辺の地図を頭に思い浮かべる。  いいところ……今の流れでいえば、日本の天皇家だろうか。だが、とても閉鎖的だと聞く。  周辺国に結婚適齢期の王族は果たしていただろうか?  答えを促すために女官を見上げれば、彼女はゆっくりと時間を使って答えた。 「クリークヴァルト公国の大公世子様だそうですよ」  女官は誇らしげだ。  墨は告げられた公国の名前を知らなかったが、その響きは周辺の言葉のどれでもないことは流石に分かる。  言葉の響きで分かる。欧州だ。 (まさか、姫が欧州に……?)  姫は表情を変えず、支度されるのを待っていた。 「さぁさ、姫様。院子に行きましょう。丁度見ごろのお花の前で撮影いただきましょうね」
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