三、クリークヴァルトへ

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 遠く、海に海霧が見える。  そうすると更に、天籟国を連想させた。  バルコニーの手すりに身体を預けていた墨は、後ろからかけられた無遠慮でがさつな呼び声に、はぁと深いため息を吐いた。  振り向かずにいれば、隣にがっしりとした男がやってきた。  手すりに背をもたれるようにして、両肘をつく。  こちらを覗き込んでくる顔は、片眉を跳ね上げさせて憎たらしい顔で笑っている。 「ガキじゃない」 「なんだよ、お前、船を降りてから、拗ねてんじゃねえのか」 「お前の目は節穴か。どこが拗ねてる」 「全部」  部屋の中を見れば、霞と一緒に姫がドレスの修整をしている。  お針子たちは忙しそうに動き回っていた。  クリークヴァルト公国が準備したドレスは、姫には少し大きかった。  出発までに直すため、お針子たちは大忙しだ。 「……お前はなんでここにいるんだ。姫の私室だぞ」 「いまさらか?」  じとっと横目で睨みつけた墨を、おかしそうにドリューは笑う。  ヴェネチア滞在の晩、霞は正式に姫の許しを得て、晩餐を共にするようになった。  クリークヴァルト公国代表団の役人たちとの通訳を務める朝賀もだ。  朝賀はクリークヴァルト公国までしか同行しない。  その先は、霞は姫と共に過ごすことはないだろう。  身分が違い過ぎる。  未来の大公妃と、異国人の商人の娘。  本来なら、人生が交差することはない。  姫は、船と同じように、霞と過ごすことを望んだ。  墨はそれに従い、用意をした。
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