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「墨、お前の音で逃げた」
うりざね顔で切れ長の目をしている、年頃としては幼いが、妙に老成した表情の子供が口を開いた。
目をきらきらと輝かせて覗き込んでいた子供は、申し訳なさそうに何度も瞬きした。そちらは大きな目に、扇のように長い睫毛が印象的な幼い顔立ちをしている。
「敏が塀に登っていたから、なにかと思ったんだ」
「婆が逃げたじゃないか」
子猿たちは、老婆が消えた路地をじっと見つめていた。あの曲がった背はすっかり見えなくなっていた。
門の下には老婆が持ってきた包みが、ぽつねんと置き去りにされている。
墨と呼ばれた少年はそれを指さした。
「拾う?」
「賄賂になるぞ」
「賄賂になるの?」
敏は、目を真ん丸にした墨を横目で見て、静かに息を吐いた。
「あの婆は、ここが何の家か分かっておいたんだろう。どうせ科挙に推薦してほしいとか、そういうところだろう」
「そんな権限はないのに」
この国で科挙が行われ始めた頃を、墨は知らない。
もともと、この国に科挙はなく、官吏は世襲だったが、何代か前の国王が科挙を取り入れた。
山々を抱く山間の国家である天籟国は、天籟族が代々住む国だ。
天籟国は小国ながら、大陸の覇権をめぐる激動の歴史の渦中に巻き込まれたことの無い珍しい土地であった。
独立は遥か昔の、春秋時代。
それ以降、姫君たちの婚姻や、会戦での奇跡的な勝利などが重なり、独立を保っている。
今でさえ、大清を名目上の宗主国とすることで、建国以来の独立を保つことに成功している。
朝貢もなく、立場上その他の属国とは異なる、特異な国として、大陸の南部に名を馳せていた。
恐ろしく長い時間、天籟族の首領たる天氏はその血を繋ぎ、国をよく治めた。
戦争を回避するための手間を惜しまず、国民を守るために農耕や産業を推進した。
そのため、国内は安定し、大清や南越から移民して来る者も増えている。
温暖で農耕も盛ん、天籟更紗をはじめとする高価な輸出品の様々まで、周囲で国政から見捨てられた土地の民からすれば、極楽に映るのだろう。
子猿は揃って、包みを見下ろす。
老婆の身なりは質素だった。
左脇下に釦がついた藍色の上衣や、足首まで隠れる裤子は天族の一般的な服装だ。
老婆の服は、くたびれ、色褪せていた。
けれども、置かれた包みは真新しい布でくるまれている。
新しく購った布なのは、間違いがない。
「家に貢物をしても受け取れない。どうせならその布を買う金を別のことに使えばいいのに」
敏の言葉に、墨も頷いた。
邸宅には、時折こうした包みや投書の類がある。全て見かけ次第、下男たちが拾い、官吏に届けているが、この邸宅は『落とし物』が多い。
「やっと見つけた!」
敏と墨は、背中に浴びせられた甲高い少女の声に文字通り飛び上がった。
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