姫の名前

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姫の名前

 姫の支度が整い、クリークヴァルト公国の使節団が選んだ記者たちがサロンに入室した。  役人たちに立ち位置を示される顔ぶれのほとんどは、駅でも姫に写真機を向けてきた記者たちだった。  ただ、ひとりの男に墨の目がすぅっと吸い寄せられた。 (……見たことがない男がいる。駅にはいなかった……)  男にこれといった特徴はない。周りの記者のように茶色のジャケットに、ツイードのベスト、履きつぶした革靴に、カメラバッグを下げている。  中肉中背で、分厚い眼鏡。他のこちらの人間と違う様子は見られない。  それでも、駅にはいなかったというだけで、墨にはとても気にかかる。  役人たちの主導で、姫は写真を撮られていく。 「こちらを」と言われるたびに、視線を動かす。完璧に優雅な姫。その姫を目の端に捉えながら、墨は記者たちを見つめた。  そして、例の男の番になった。 「姫様、こちらに!」  姫が顔を向け、そして、驚いたように目を丸めた。微かに首を傾げて、小さく笑う。  珍しい。姫がお呼びだ。  墨が言葉を聞こうと近づいた時、男はパシャリとシャッターを切る。  突き刺すような閃光に思わず墨は目をつぶった。 「姫様、お名前は?」  無礼な、と言い返す間はなかった。 「ジンリー・ティエン」  天静麗(ティエン・ジンリー)。すぐに字が思い浮かぶ。  天族の静麗。  姫の、名前。  墨の姫の名前を、こんなところで、こんな見知らぬ男からの質問で答えるなんて。  墨はその場で凍り付いた。 「ジンリー姫、お美しい名前だ!」  男は笑って、もう一度、光を閃かせた。
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