試練の夜

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試練の夜

 その晩は、朔の晩だった。  満天の星空だが、月の光がない都は静まり返っている。  墨はひとり、臥室(しんしつ)で眠っていた。  もう一人寝だって怖くない。  臥室と言っても墨に与えられた部屋は狭く布団を敷けば、枕元の机でいっぱいいっぱいだ。  それでも、墨にとっては子供たちが過ごす大部屋ではなく、臥室を与えられたことがとても嬉しい。  隣は敏の臥室だ。  敏の臥室も同じ造りで、墨よりも半年も早く臥室を与えられていた。  時折、墨が眠れずにいると、その気配を察知した敏が墨を連れ出すこともあった。  夜に子供だけで院子を散策することは、ふたりにとってとっておきの遊びだ。  塀に登り始めたのも、他の院子見たさがはじまりだ。  塀ははじめはとても怖かった。足元は不安定だし、風は強く吹いた。  けれど、覃家の広大な邸や、頂にある王府の美しく左右に広がった建築の見事さ、  真っ直ぐと伸びた街道沿いの市場や店店を眺めるだけで、墨はとても嬉しい気持ちになった。  この風景を守るは我が天籟国の国王陛下。  天籟五万の民を庇護し、この国の安寧を約束する王。  その王の偉大さを思い知るのだ。  墨は夢を見ない。  正しく言えば見ているのだろうが、あまり覚えていない。臥室でひとり眠るようになってからは特に。  眠りは浅い。それは、訓練の賜物だった。  子供の大部屋では、時折夜更けに鐘を打つ。小さな音で三度。  三度目までで起きなければ、水をかけられて叩き起こされ、その晩は濡れた蒲団の上に座って過ごさなければならない。  その生活に慣れた今では、些細な音でも目が覚め、止めば眠れる。  だからこそ、墨にも臥室が与えられたのだ。 (なんだか変だ……)  沈黙と静寂。  それでも、おかしい。  敏の部屋の気配を探っても、静かに寝息を立てているのが聞こえる。  おかしい。  ゆっくりと墨は体を起こした。  自分の周りの闇が異様に濃く見え、息を飲んだ。 「わっ……!」  闇はぬぅっと床から這いあがる。  それは瞬く間に手の形になった。  女のたおやかな美しい手が、墨の手首を掴むと勢いよく引きずり上げる。  あまりの痛みに声も上げられない。  力を込めて抗おうとしたが、いとも簡単に部屋から放り出された。  しっかり閉じていた扉は音もなく開き、異様なほどに静まり返った廊下に転がるように出た。 「いやだ……!」  手は肘の辺りから先が見えない。  ぼんやりとした闇がどんどん濃くなり、手になっている。そのようにしか墨には見えなかった。  春正殿には見張もいるのに。   咄嗟に振り向いた廊下の隅では、男が眠り込んでいた。  ──……そんな。まさか。
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