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「天籟色……とても素敵なお色ですね。天籟の空を縫い取った色なんて、とっても素敵……」
天籟国の農奴や多くの国民は、上衣と裤子に分かれた古くから伝わる藍色や紺色の地味な色の衣装を着ている。
大清の影響の大きい旗袍は、王族や王府に仕える役人が主に着る。
墨は覃家の屋敷に暮らしていたころは麻の上衣と裤子の服を着ていたし、姫奴の官服も動きやすさを重視して、旗袍ではない。
旗袍のように長い上着が足元まであるような服では咄嗟に動くことが出来ないからだ。
絹で出来た旗袍は王族や女官、身分の高いものが着るもの。
そして、天籟更紗を用いた旗袍は王族や大臣、豪農など裕福な者たちのためにある。
うっとりと語っていた霞は、ハッと口を押えた。
「すみません、また、たくさんおしゃべりしてしまいました。父には、せわしないとたしなめられるんです。もっとおしとやかになりなさいと」
「姫は楽しんでいらっしゃいます。どうぞ、お好きにお話しください」
姫は昔から、人の話を聞くことが好きだった。
限られた人間にしか自分の声を聴かせることのない身の上で、気付くと周囲の会話に耳を澄ませている。
それは窓の外から聞こえる、女官たちのおしゃべりだったり、鳥の声だったり、風に揺れる木の葉だったりした。
姫は恐らく、霞の話を聞いていることは、とても心地よいはずだ。
姫奴である墨は姫の変化に一番敏い。
(今、姫はとても楽しそうにしていらっしゃる)
姫が嬉しい時、墨も嬉しい。
霞は墨の言葉を聞いて、安堵したように息を吐いた。
そして、そっと自分の胸に手を当て、目を伏せる。
「……わたしは、ずっと日記を書いているんです」
「日記……?」
「はい、旅先での日記を」
霞はどこか恥ずかし気に言葉を続けた。。
「とても些細なことです、街の様子や、そこで見た鳥だったり、かわったおじいさんや、食べ物……本当にそんな些細なことばかり。でも、大事な思い出で、大事な日記なんです」
手元の紅茶に視線を落として、霞は呟く。
「間違いなく、この旅は今まで一番の旅の思い出になります」
そう言って再び顔を上げた霞は微笑んでいて、墨は思わずほっと息を吐いた。
彼女の背後には、時々救いようのない、孤独が見える。
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