三、クリークヴァルトへ

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 クリークヴァルト公国側も、天籟国の姫の花嫁行列に最大限の用意をしていた。 ヴェネチア・サンタ・ルチーア駅で天籟国の一行を迎えたのは、先頭にクリークヴァルト公国の紋章のつけられたお召列車だった。 『戦の森』という意味を持つクリークヴァルトを象徴するように、一本の大樹の前に交差した二つの石斧と鳩が描かれた紋章。  公室の人びとが使うべき列車を、将来の妃のために出す。  当然のようだが、欧州の王族相手だったなら、自国のお召列車を使ったはずだ。  姫はお召列車を出す母国が、この大陸に存在していない。  そもそも、高地にある天籟にはまだ鉄道が走っていなかった。  公国への複雑な感情が墨の心をかき乱す。  そんな中、旗袍姿の姫はお召列車に静かに向かう。  墨は一番そばを歩いた。  祠堂を出て珠簾を垂らした輿に乗った時も、上海ではじめて商船に乗った時も、姫の表情は同じだ。  それが高貴な船でも、そうでなくても、姫にとっては同じことなのだろう。  母たる女王が、そして長姉である神子が決めた結婚。  祠堂の姫たちはみな、そうやって他国に嫁いできた。  そう育てられた。  墨は姫の神性を守るため、そして、その命を守るため、姫奴として育てられた。  国の命運や政治のことは墨は知らない。  姫奴は、己の姫を守る、それだけのことだ。  そう思っていても、時折感じる好奇心丸出しの視線は、刺さるようだった。それならまだいい。  露骨に軽んじ、姫を値踏みするような視線を投げかける者もいる。
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