思い出のモノローグ

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思い出のモノローグ

一番古い家族との記憶って、いつ頃? 俺は小学校入学前の五歳。家族三人でどこかに出かけている時の記憶だな。行き先は思い出せないんだけど、俺は母親と手を繋いで歩いているんだ。親父はいつも俺と母親を気にもかけずに前をどんどん歩いて行ってさ。何十メートルも先を歩いているのに、目的地に着くまで一回も振り返らないだよ。考えられないだろ? 普通は俺達がちゃんとついてきているか振り返って確認するよな?    何でこんな話をするかって? 物事には順序ってもんがあるからさ、順を追って話すよ。 そうだな……先ずはその親父が亡くなったんだ。何故かわからないけど、親父が死んで涙の一つも出なかった。親父の事を嫌いじゃなかったし、特別に好きでもない。当時の俺にとって親父の存在は、そんな位置付けにいたんだ。昔の企業戦士じゃないけれど、真面目が取り柄の親父だったよ。口数は決して多くはなかったし、感情を表立って出すようなタイプじゃなかった。 母親は俺が高校生の時に乳がんで亡くなってさ。そんな親父も母親が亡くなって、急に老け込み出して心配したよ。その十年後に母親と同じ、癌で親父は亡くなった。発見が遅かったのは仕事熱心で自分の体を顧みなかったんだろうな。公務員の管理職って言えば、容易に想像出来るだろ?  両親を失って、時間が経てばいろいろ想う事も出てきてさ。親孝行もろくにしてこなかったなって後悔しているんだ。やっぱり孫の顔は見せたかったよ。結婚式には出席してくれたけれど、息子が産まれたのは親父が亡くなってからだから、そこが悔やまれるよな。両親の墓前には毎年家族三人で訪れて報告はしているけれど、やっぱり寂しいというか虚しさは残るよ。 葬式とかいろいろ終わった後に実家を引き取るようになってさ。相続は初めての経験で戸惑いの連続だった。不動産会社から売らないかって相談もあったけれど、俺達が住んでいる所と実家は千葉県内だったからそれほど遠くはなかったし、直ぐに売って手放すって気にはなれなくてさ。 このまま空き家にしておくのはもったいないって事になって奥さんと話し合った結果、実家をリフォームする事にしたんだ。今はそこに家族三人で住んでいる。今までマンション住まいだったから、戸建に引っ越した事で広くなったから息子は大はしゃぎだよ。 それでリフォーム工事を行う前に遺品整理じゃないけれど、家族総出でやったんだ。作業の途中で箪笥の引き出しからアルバムを見つけてさ、腰を下ろして食い入るように見たよ。 親父は写真を撮られる事が大の苦手だったんだ。だから家族三人の集合写真は、アルバムの中には一枚もなかった。小学校の入学式の写真は校門前で撮ったけれど隣には母親が俺の隣に立っているし、旅行に行っても母親と二人で写っている写真ばかり。いつもカメラマンは親父。母親が俺と一緒に撮ったらどうだって気を遣っても、頑なに首を振る親父を思い出して、アルバムを見ながら笑ったよ。 懐かしみながらアルバムを捲っていたらさ、俺が産まれた時の写真を見つけたんだ。初めて見る写真ばかりでさ、母親の両腕に抱かれながら鼻水を垂らしている俺が泣いている写真なんかもあったよ。その中にさ、たった一枚だけ親父が写っている写真があったんだ。まだ産毛程度しか髪が生えていない俺を満面の笑みを向けながら抱き抱えている写真。 両親が五十近くなってから産まれた俺だから、感慨もひとしおだったんだろうな。普段は仏頂面な親父があんなに皺くちゃにして笑っている表情がなんだか可愛いなって。自分の親父に、そんな感情になるって気持ち悪いよな?  親父の笑っている写真を見ていたらさ、生前の親父を思い出したよ。幼い頃の記憶は、前を歩く親父の背中がやっぱり印象的でさ。さっきも話したけれど、どうしてあんなに先を歩いていたんだろうって。大人になれば考え方や感じ方も変わってくるもんだな。一緒に仲良く歩幅を合わせて歩くのも良い。楽しく会話をしながら手を繋いで同じ景色を共有するのも良いのかも知れない。でも親父にとっては、それらをする事に抵抗があったんじゃなかったのかなって今では思うんだ。 不器用な親父には、他の父親が当たり前にやっている事に対して照れだったり、矜持が邪魔をして俺への接し方を模索していたんじゃなかったのかなって考えるようになったんだ。もしかしたら遅くに出来た子供って事も多少、邪魔をしたのかも知れない。あとは、動物の防衛本能的な考えで、親父の後ろを歩く俺達を危険から回避する為に先を歩いていたのかもしれないって。単純にせっかちなだけって結論も出たけどな。 そんな事を思う様になったのは、ちょっとした出来事がもう一つあってさ。リフォーム工事が終わって、引っ越しを済ませて新生活を始めた頃の事だったよ。 その日は天気が良かったから家の近くにある公園でサッカーをしようって話になったんだ。息子は五歳になってボールに興味を持ちだした頃でさ、将来の夢はサッカー選手だって息巻いてるよ。奥さんは急にも関わらず弁当を作ってくれてさ、すっかりピクニック気分だった。家庭的な妻を持つと夫として鼻が高いよ。 俺が一足先に玄関を出て、近くにある児童公園に向かって歩いたんだ。その時、魔が差したとかそういう事でもなかったんだけど、何気なく足を止めて後ろを振り返ると、数十メートル先に奥さんと手を繋いで歩いている息子が五歳の時の俺と重なり合って見えてさ。親父が歩いた道を今度は父親として奥さんと息子を連れて歩いているんだって思ったら、急に涙が溢れたんだ。立ち止まって涙を溢している俺を息子が近づいてきて不思議そうに見上げてきてさ。奥さんはどうしたのってハンカチを取り出して渡してくれたんだ。全く、俺も歳をとったよ。あの時の事を思い出すと、今でも泣けるね。 やっぱり俺は親父の子供なんだなって。親父が歩いた跡を今度は俺が親父の立場で息子と奥さんを連れて歩いているんだって思ったら感慨深いものがあるよな。 そうだ、話しながら思い出した事があったよ。俺はよく親父と公園に行っていたんだ。行き先は近くの児童公園。俺は小さい頃、親父とキャッチボールをやりに公園によく行っていたんだ。これが俺の一番古い家族との記憶。大切な家族の思い出って、色褪せる事がないんだよな。 <完> 
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