ムンクな書き手とムンクな描き手

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 お題:絵描き、ブレイク・スナイダー・ビート・シート、おかゆ  きれいだ。  まるで作り物のように整った顔にすらっと細い体。その顔にはあまり表情が出ていないせいか、もしかしたら人形なのではないかと疑ってしまいそうになる。  キャンバスに向く瞳に他のものは映っていないのか、わたしが部室に入ってきても気付いた様子には見えなかった。  わたしは見えない力に引かれるかのように彼女へと近づいていって、絵筆をキャンバスに触れさせようとしている彼女の横に立つ。 「わたしの小説の絵を描いてください」  絵筆がそっとキャンバスに色を載せた。  一連の動作を終えて、彼女がわたしの方へと向き直る。どうやら、わたしの存在には気付いてくれていたらしい。なぜかそれだけで心が温かく感じてしまう。  しかし、わたしに向けられた表情はどちらかといえば『怪訝』といったものだった。ほとんど表情が変わっていないから少し自信がないけど。 「あなた……本気? 私の絵を見て本当にそう言ってるの?」 「へ?」  彼女の言葉の意味がわからず、口を半開きにしてしまう。  わたしが間抜け面をさらしていたからか、少女は自分の絵に向き直ってしまう。  しかし、そのあと顎をくいっと少しだけ上げる。どうやら、絵を見ろということらしい。  そういえば彼女の絵をまったく見ていなかった。  こんなにきれいな彼女なのだ。一体どんな美しい絵を描くのだろう。  期待に胸を膨らませながらキャンバスに目を向けたわたしはそこで思考が完全に停止した。 「え?」 「失礼ね、絵よ。これは。……たぶん」  いや……別に『これ』が絵であるかどうかを聞いたのではなく、ただただ単純に驚愕が声として漏れ出ただけなのだが……。  っていうか自分で「たぶん」とか言うのやめてほしい。不安になるから。  うん、本当に不安になる。この絵(?)を見ていると激しく不安をかき立てられる!  やばい、この絵をこれ以上直視していたら人間としてのなにかを失いかねない。  わたしは絵から彼女へと視線を移す。彼女はまだこの絵を見つめていた。 「えーっと……、ムンクの叫びみたいだね!」  ムンクの叫びと言えば芸術方面はからっきしなわたしでも知っているぐらいに有名な絵で価値のある絵でもある。  正直、わたしにはあの絵のどこがいいのかさっぱりわからないけど。 「ええ、知ってるわ。いつもそう言われるもの」  うぎゃあ! 感想ミスった! 「美術の先生には『ムンクの叫びでももう少し安定感がある』と言われたわ」  それは……相当だなぁ。 「で? 私に絵を頼むってことはこの絵をあなたの小説のイラストにするってことになるんだけど、いいわけ? 自分で言うのもなんだけど、これよ?」 「え? ああそれなら問題ないよ」 「は……?」  そこで、ようやく、彼女がこっちを向いてくれる。  怪訝そうな顔もきれいだなぁ。 「まあそうだよね。わたしは君の絵を見たんだから、君もわたしの絵を見て依頼を受けるかどうか決めるべきだよね」  ちょうど、鞄にはノートPCが入っている。前回書いた短編を見せればわたしの作品がどんなものかわかるだろう。  ワープロソフトで目的の短編小説のファイルを開いて彼女へとノートPCを差し出す。  彼女は少しためらいながらも、わたしに引く気がないのを見取ったのか、軽く息をついてからPCを受け取る。  読み始めは合いも変わらず無表情だった彼女の顔がしだいに変わっていく。  歪んでいく。  場所によっては目を背けながら、それでも読み続ける。  彼女に見せたのは短編である。そう時間を掛けることなく彼女が小説を読み終えると、我慢を開放するようにノートPCの天板を勢いよく閉じた。 「はー、はー……」  その息は乱れていて、表情は明らかに辛そうである。  それはまるで、かのようで。 「ムンクの叫びみたいな小説だわ……」  こうして、ムンクの叫びのような小説を書くわたしと、 ムンクの叫びのような絵を描く彼女は出会ったのだった。 「ブレイク・スナイダー・ビート・シート!」 「なにそれ。今度の小説は魔法でも出てくるわけ?」  わたしが美術部の部室に勢いよく入ってくると、彼女は視線をキャンバスに固定したまま返事をしてくる。  わたしが絵を頼んで間もないころは、こうして部室に顔を出してもまったくの無反応なことが多かったが、小説を数本一緒に手がけてからは少しは距離も縮まってきている、と思う。たぶん。  あー、にしてもいつ見てもきれいだなぁ。うっとり。 「やだなぁ。わたしはファンタジーなんてあまり書かないじゃないか」 「あなたの小説はぐちゃぐちゃ過ぎてもはやファンタジーなのかそうじゃないのかよくわからないのよ。少しは創作技法の勉強とかした方がいいと思うわ」 「それは君にだけは言われたくないなー。君、基礎とかおろそかにするタイプだろう。お菓子を作るときにレシピ通りにやらないでしょ、絶対」  実際、この間彼女が作ってきたクッキーはそれはもうひどいものだった。なにがひどいって、あそこまでひどいものを人に渡す彼女がなによりひどい。  とはいえ、そんなひどさも彼女がわたしのためにクッキーを焼いてくれたという事実だけで簡単に打ち消せてしまったのでなんの問題もなく、おい――しくはなかったけどいただいた。 「う、うるさい……。それで? 魔法じゃないならさっきの『ブレイクなんとか』ってなんなの?」  あ、ごまかした。  彼女の表情はまったくと言っていいほど変わっていないものの、少しだけ足が内向きになっている。どうやら恥ずかしいときにする彼女の癖のようなのだ。かわいい。 「『ブレイク・スナイダー・ビート・シート』ね。なにを隠そう、君が今言った創作技法だよ。小説というよりは脚本に関するものだけどね」  ブレイク・スナイダー・ビート・シート――BS2とはブレイク・スナイダーというハリウッドの脚本家が考案した脚本のテンプレートで、ひとつの脚本を15の具体的なシーンに分割することで、よい脚本を作りやすくしているのだ。 「15のシーンって……。あなたの書く小説って短編なんだからそもそもシーンが15もないじゃない」 「そう、そこが問題なんだ。BS2をそのままわたしの小説に適用することは難しい。わたしの作品には敵が出てこなかったりもするしね」  ハリウッド向けの脚本だからか、BS2の内容は主人公が成長して敵を倒すという流れだし、例えば『迫り来る悪い奴ら』というシーンがあったりする。  いや、悪い奴らもなにも登場人物がひとりしかいないときとかあるし。 「確かに全部を無理矢理入れようとしても上手く行きっこないわね。っていうかそろそろ長編書きなさいよ。素直に長編にこのブレイクなんたら使えばそれで解決じゃない」 「えー、長編が書けるだけの内容って全然思いつかないんだもん」  うーん、やっぱりBS2を使うにしても一部だよなぁ。ただ、抜き出すだけだとそれはそれで統一感がなくなりそうだし……。 「――あなたの長編、読んでみたいのに……」 「ん? なにか言ったかい?」  考え事をしていたせいで彼女の言葉を聞き取れなかった。  キャンバスの上から彼女の顔を覗き込んでみても、彼女はキャンバスに目を向けるばかりでわたしと目を合わせてくれない。まあいつも通りと言えばいつも通りだけど……。 「いえ、あなたの悩みは私には関係なさそうだなって言っただけよ。あなたが書いたものに私がイラストを描く。小説ができあがればなんだっていいわ」  なんか機嫌悪い? いや、気のせい、かなぁ。 「でも、君の絵は少しずつまともになっているだろう。まだ、ムンク感はあるけど、以前より全然見られるものになっているよ。だというのにわたしの小説はあいも変わらずムンクのままだ」  最初のころの彼女の絵であればわたしの小説とレベルが合っていたが、今ではわたしの小説が足を引っ張ってしまっている。 「そう。それなら私に言えることはひとつだけ」  彼女の視線がキャンバスから外れ、少し上、わたしの視線と交差する。 「書きたいモノを込めて書けばいいと思うわ」 「書きたいモノ?」 「伝えたいコトって言うべきかしら。それを書いてくれるなら短編でも長編でもいいわ。ブレイクなんとかを使っても起承転結を使っても構わない。それがムンクだろうが超絶技巧の作品だろうが、たった一文だったとしても、あなたが書きたいモノを表現した結果なら、私は私の描きたいモノを込めてイラストを描くわ」  珍しく饒舌に語る彼女にわたしは思わず呆けてしまう。常日頃彼女に対して思っている『きれい』という感情すら、今だけは頭から抜けていた。  わたしがなにも言わないことに不安になったのか、それともらしくもなく語ったことが恥ずかしくなったのか、彼女はいきなり立ち上がると画材を片しはじめた。 「ちょ、どうしたのさ!?」 「帰るわ」  彼女の突然の豹変ぶりに動けないわたしをほったらかしにして、彼女はテキパキと片付けを終わらせ、美術部の部室から出て行く。 「ちょ、ちょっと待って。わたしも一緒に帰るから!」  〝私〟に絵を描いてほしいと言ってきたのは彼女が初めてだった。  最初は私の絵を見すらせずに声を掛けてきて失礼な人だと思ったけれど、そのあと私の絵を使うと言って、そして彼女の小説を読んで、彼女となら私も人に見せる絵を描けるのかもしれないと思った。  彼女の小説は、私の絵と同じようにそれはもうひどいものだったけれど、不思議と引きつけられるものがあって、それがきっと私の絵とは違っていた。  私は活字をほとんど読まないから才能とかはよくわからないけれど、きっとわかる人が読めば『光るものが感じられる』とか評しそうななにかがその文章からは伝わってきた。  だから、私は彼女の小説が好きだったし、もっと読みたかったし、いつか彼女の長編小説が読んでみたかった。  とはいっても、彼女は短編小説が好きみたいで長編小説を書く気はないみたいだけれど。  ……それが少し残念だったりする。  この間、彼女が私の絵が上手くなっていると言ってくれたときもすごく嬉しかったけれど、きっとなにかちょっとしたきっかけがあれば彼女の小説は瞬く間によくなって、私の絵とは釣り合わなくなるだろう。それが少し怖くて、待ち遠しい。 「おじゃまします」  以前もらった合い鍵――彼女は高校生ながら、ひとりアパート暮らしをしている――を使って扉を開ける。控えめに出した言葉に返ってくる声はない。  物音もしないし、寝ているのだろう。  ダイニングを抜けてリビングの扉を開ける。部屋の奥にあるベッドには冷却シートを額に貼り付けた彼女が少し苦しそうな表情で眠っていた。  うんうん、ちゃんと寝ているわね。関心関心。  小説を書いていて体調を崩している時点であまり関心できないけれど。  彼女から一時間ほど前に、風邪を引いてしまったからご飯を作りに来てほしいと連絡があったのだ。 「さてと。それじゃあおかゆでも作りますか。……ん? なんだろう、これ」  ダイニングに戻ろうとして、ふと、見慣れない紙の束を見つけた。  紙の束の厚さは1センチほどだろうか。いつもみたいな短編じゃない。 「もしかして……、長編小説を書いてくれたの?」  読みたい。彼女の、恐らく初めて書いたであろう長編小説。短編小説ですらあんなにめちゃくちゃなのだ。きっとよりひどいものができあがっているに違いない。そして、それでも私の心を乱暴にわしづかむようななにかがあるに違いない。  どうしよう、少しだけ読んでしまおうか。ほんの1ページだけとか。  でも、待って、私。おかゆも作らなくちゃいけないのよ。ああ、こんなことなら手作りのおかゆなんて考えずにレトルトを買ってくればよかった!  ま、まあ、あとで読む時間ぐらいあるわよね。  うん、ここは我慢。素早くおかゆを作って、そのあとで読むとしよう。  そして、私は後ろ髪を引かれつつもおかゆを作りにダイニングへと行くのだった。  ……そういえば、おかゆってどうやって作るんだっけ?  このあと、おかゆを食べた彼女がまるでムンクの叫びのような顔をしていたが、それはまた別の話。    〈了〉
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