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モドキ達の宴
「オニイチャン、オハヨウ」
妹モドキの声で目が覚めた。部屋まで起こしにこられても面倒なので、適当に返事をして一階に降りる。リビングに入ると家族モドキが朝食をとっていた。僕も席に着き、母親モドキが用意した朝食を食べる。
「サイキン、ガッコウデ……」
「オトナリサンガ……」
「キョウノテンキハ……」
家族モドキの抑揚のない電子音みたいな声に辟易しながら、朝食をとる。
「オニイチャン、ゲンキ、ナイノ ?」
妹モドキが僕の顔を覗き込む。合成繊維みたいに一様な髪の毛、陶器のように無機質な肌、落ち窪み虚ろな闇を湛えた眼孔、そして仮面のように変わらない表情。こんな人間の出来損ないが妹の真似事をしているなんて、滑稽を通り越して薄ら寒さを覚える。でも僕はいたって自然に、まるで目の前に居るのが本物の妹であるかのように返事をする。もうこの世界に僕の知る妹は居ないのだから。母親だって、父親だって、友達だって。そして、彼女だって。僕の知る限り、この世界にもう人間は居ない。ここにいるのは、この出来損ないの人間モドキだけだ。
思えば、前兆はあったのだろう。帰りの電車に乗り合わせた死んだ目をしたサラリーマンとか、人混みのなかスマホに向かって話し続ける女子高生とか、張り付いた笑顔で接客するファストフード店の店員とか。気が付かなかっただけで、僕のまわりには沢山の人間モドキがいたんだろう。でも、この目ではっきりと見たのはあの日が初めてだった。
学校の帰り、妹と他愛も無いことを話しながら、二人でバスを待っていた。すると、夕焼けに混じってそいつは立っていた。大きさも形も人間みたいだった。腕も足も胴体もあったし、頭だってあった。でも、全身陶器みたいにテカテカしていて、人間みたいに複雑な造形はなく、顔の部分は丸い窪みが二つあるだけだった。
そいつはマリオネットみたく意思を感じさせない緩慢な動きで妹に近づいていった。妹は気が付いていないのか、今日学校で起こったことを楽しそうに話し続けていた。そして、そいつは人間でいう口の辺りを開けると、妹の頭に食らい付いた。
固いものが砕けるような、柔らかいものが潰れるような、そんな音がした。妹の体はぐらりと揺れると、地面に倒れて動かなくなった。欠けた妹の頭からは、血や目玉や脳味噌が溢れ出ていた。妹の一部を嚥下し終えたそいつは、一口、二口と、咀嚼音というには余りに生々しい音を立て妹の体を貪っていった。地面に残った血の一滴まで吸い込むと、まるで何事もなかったかのようにそいつは妹に成り代わった。そして、呆然と立ち尽くす僕に、いつもみたいに学校で起こったことを話し始めた。
世界の終わりを告げるように、夕陽は空を赤く染めていた。
あの日を境に人間モドキは増えていった。家族も、学校のクラスメイトも、道行く人々も、人間モドキになっていった。
でも、誰も違和感を感じている素振りは見せなかった。たとえ目の前で誰かがモドキに食い殺されたとしても、モドキが成り代わると、皆何事もなかったかのようにモドキに接していた。もしかすれば、モドキが成り代わっていることに気付いていなかったのかもしれない。人間モドキは元の人間の役目をきっちり果たしていたし、その役目が果たされている限り元の人間が居なくとも世界は当たり前に回っていったから。
そんな人間モドキの宴のなかで、僕は彼女に出会った。世界からつま弾きにされたように、月が照らす展望台に彼女は居た。彼女は僕に気が付くと目を見開き、そして、ぎこちなく笑った。
「まだ、私以外にも人間が居たんだね」
僕は彼女とたくさんの話をした。今までわだかまっていたものが解けていくように、話すことは尽きなかった。人間らしさを取り戻すような、楽しさをひとつひとつ思い出すような、そんな充足感が二人の間にはあった。笑い方を忘れていた僕たちは、いつの間にか自然に笑えるようになっていた。
東の空が白み始める頃、彼女に連れられ、展望台の屋根によじ登った。柵がない分、ここからの方が町をよく見渡せた。
「君と話せてよかった。まだ笑えることに気付けたから」
町の方へ視線を向けたまま、彼女は言った。
「まだ私は人間なんだって、そう思えたから」
彼女の表情は見えなかった。でもその声は、何かを決心したような声だった。
「もし、私がここから飛び降りたら――」
彼女は立ち上がり、僕に問いかけた。
「――君も、一緒に飛び降りてくれる? 」
彼女の瞳は、生き疲れたようにも、生を渇望しているようにも見えた。
僕の沈黙を肯定と受け取ったのか、彼女は微笑み、昇る朝日に溶けていくように屋根から落ちていった。連れ戻したかったのか、連れていってほしかったのか、分からないまま伸ばした僕の手は、ただ空を掴んだだけだった。
そして彼女は地面に衝突して、砕けて、散った。まるで赤い花が咲くように、溢れた血が地面に広がっていった。それは、人間であることを願った彼女が最期に残した一輪の花だった。
でも、その花もすぐに掻き消された。彼女が飛び降りるのを待っていたかのようにモドキは現れ、彼女の体を貪り食った。朝日が昇りきる頃には、彼女が人間として生きた証は何一つ残っていなかった。
モドキは僕に一瞥をよこすと、なにも言わずに去っていった。結局、僕は飛び降りることができなかった。
あれから、どのくらいの月日が過ぎたのだろう。もう、この狂ったモドキ達の宴に疑問を抱くことすらなくなった。
ふと、窓ガラスに写った自分の顔が見えた。
合成繊維みたいに一様な髪の毛、陶器のように無機質な肌、落ち窪み虚ろな闇を湛えた眼孔、そして仮面のように変わらない表情。
――ボクモ、モウ、モドキジャナイカ――
僕の独り言が、どこか他人の声みたいに聞こえた。
(了)
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