28、古い写真

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28、古い写真

 県民会館のホールは、幅広い年齢層の人々でごった返していた。  何枚もの可動式パーテーションが立て込まれ、A1サイズに引き伸ばされた写真が目線の高さに展示されている。  地元の新聞社が主催し、カメラメーカー数社が協賛するフォトコンテストは、高校生の部と一般の部に別れていた。ホールの入り口から右側が高校生の部で、反対側が一般の部の受賞作。奥に行くほど上位の賞の作品になる。  貴樹は、入口付近に展示されている写真に、既に圧倒されていた。自分と同じ高校生が撮った写真とは、とても思えない。構図といい、絞りといい、計算されつくした感が伝わってくる。この中の一枚に、自分が撮影した写真があるかと思うと居た堪れない気持ちになる。  足取りの重い貴樹の背中を、「タカちゃん、早くッ」と、俊介は押した。受賞が発表されて写真が展示される事を伝えると、彼は破顔し、貴樹を抱きしめて喜んでくれた。  十点ほど選ばれた入選作の中に、貴樹の作品はあった。  遠くからでも自分が被写体と判る写真に、俊介の足は早くなる。そして、大きく引き伸ばされた写真の前に立つと、暫く身じろぎもせずに目だけを上下左右に動かして、写真の隅々まで見入っていた。  それは、玲香が殿村に渡した写真だった。  貴樹は、競技会のフィルムを現像した翌週、あらためて殿村のスタジオを訪ねた。写真の選定をしたことを話すと、彼は、スタジオで紙焼きにすることを提案してくれた。  暗室には、フィルム現像の時と同様に新しい備品が準備されていて、学生にとって高額なA1サイズの印画紙まで何十枚も用意されていた。  「キャビネ版を焼いた時みたいに納得するまでプリントしたら良いよ」という殿村の言葉に甘え、貴樹は、露光の時間や現像液につける時間を変えてみたり、一部を手で覆って影をつけてみたりしてあらゆる思いつきを試してみた。そして、漸く仕上がった一枚を見せると、殿村は、「うん、良いね」と肩を摩って労ってくれた。  俊介は、写真に写し出された躍動する筋肉やゴールを真っ直ぐに見据える自分の姿を穴が開くほど見つめ、隣にいる貴樹の存在をやっと思い出したかのように口を開いた。  「これ、去年の県大会の写真だよね。これ、俺かあ。結構、良いフォームで走ってたんだなあ。大きな写真にすると、何か、すごい選手みたいだな。やっぱり、タカちゃんの腕が良いんだな」  「すごい選手だよ、俊介は」  放心したように見入る俊介の姿が嬉しくて素直な言葉を口にすると、俊介が不意に貴樹を抱きしめた。  隣の写真を見ていた数人の若者グループが、一斉に顔を向ける。  「おいッ、恥ずかしいだろ」  貴樹は、俊介の腕から逃れようと体を捩るが、彼の胸の中にスッポリと収まって抜け出せない。  「ハグだよ、ハグ。被写体から撮影者へ、お礼のハグ。恥ずかしがることなんかないさ」  俊介はそう言って、最後にギュウッと強く抱きしめると、体を離しながら耳元で囁いた。  「恥ずかしくなるハグは、また後でね」  その言葉が意味することを想像して、貴樹の顔が火照る。  「タカちゃん、反応しすぎ」  茶化す俊介の胸をグーでパンチすると、彼は屈託のない笑顔を貴樹に向けた。その眩しさに、顔の火照りが全身に広がっていく。  「バカッ……」  照れ隠しでそう言うと、「何が馬鹿なの?」と、背後から声がした。  玲香が腕組みをして、パネルに近づいたり離れたりしながら写真を見ている。  「良い写真ね。私もこの写真が一番好きだわ」  写真から目を話すことなく、玲香が言った。玲香に褒められたのは初めてだった。  「俺もこの写真好きです。物置にあった写真の中で、これが一番良いですよね」  「あら、俊介くんも物置に入ったの?」  「はい。俺、あれ見て、メチャクチャ感動しました。タカちゃん、俺のこと、こんなふうに見ててくれたんだなあって」  「俊介ッ!」  このままではあらぬ話に発展しかねないと、貴樹は二人の会話に割って入った。  それにしても、と、玲香を睨む。  物置は、旭の生活と何ら関係ないはずだ。  「あそこも覗いたんですか」  「当然でしょ。親が留守がちなのをいいことに、あんな所で爆弾でも作ってたら、旭くんのご両親に申し訳が立たないじゃない」  「爆弾って……」  本当に自分を信頼してくれていたのか、旭の言葉が疑わしい。  「それでも親ですか」と言葉にしそうになって、玲香に言うべきことを思い出し、貴樹は背筋を伸ばした。  「あの、母さん。この間は、電話で感情的になってすみませんでした。事情は旭から聞きました。家庭訪問と称して家に来た理由も。暴言を吐いたこと、謝ります」  学校でプライベートな話をするのは気が引けて、謝罪しなければと思いながら電話もできず、その機会をうかがっていたのだった。  「その件は、まあ、いいわ。あなたの本心を知ることができたし、息子の反抗期に頭を悩ませる母親の気分を、少しだけ味わうことができたから。……まあ、かなり遅い反抗期だけれど」  頭を下げる貴樹に、玲香は無表情に言った。こういう時は、いつまでも感情を引きずらない彼女の性格に感謝する。  「それから、スーツ、ありがとうございました。殿村さんに聞きました」  パネルから目を離さずに話していた玲香が、一瞬、貴樹を見て、「彼も案外おしゃべりね」と小さくため息をついた。  「大事に着ます」  「バカね。あれは、仕事をするための服なんでしょ。こういう時は、ボロボロになるくらい仕事します、って言うもんよ」  文句を言いながらも、写真に向き直った目は笑っていた。  素直じゃないにも程がある。  貴樹が「はい」と答えると、俊介が「なあなあ」と、興味深げに尋ねてきた。  「スーツって、あの時着てたヤツ?」  「そう。旭がデート用だとかって揶揄った」  「あれ、もっとちゃんと見たかったなあ。タカちゃん、今日、何で着て来なかったんだよ」  「何でって。あれ、礼服だからな。それに、あれ着ると、子供が背伸びしてるみたいになるんだよ。だから、バイト以外で着ることは無いな」  「なら、バイトの現場に行ってみるかな」  「やめろよ。俊介が来たら集中できなくなるだろ」  「それはやっぱり、俺のことが気になるからか?」  「お前、こんなところで変なこと言うなよ」  俊介の脇腹を小突いて嗜めると、玲香がスマホを見せた。  「はい。スーツの写真」  画面いっぱいに、スーツ姿の貴樹の全身写真が映し出されている。それは、初日に殿村がスマホで撮ったものだった。  「どうして?」  「私が買ったスーツよ。あなたの体に合っているか、確認するのは親の務めでしょ」  「そう、ですね」  この分だと、殿村と話したことは、全て筒抜けになっているだろう。だが、スーツの礼を言った時点で、彼との約束を破ってしまったのだからお互い様か。  「おばさん、それ、俺に送信してくれませんか」  俊介は、貴樹のスーツ姿に釘付けだった。  「いいわよ。あっ、そうだ。もっと良い写真があるわ」  玲香は画面をスクロールして、古い白黒の写真をタッチした。  「ええーッ、これって……」  俊介の声に、貴樹も覗き込む。  息が止まるかと思った。  三歳くらいの貴樹と俊介が、リビングのカーペットの上に座っていた。  周りには多角形の積み木のおもちゃ。貴樹の手にはその中の一つが握られていて、俊介は両手で自分の体重を支え、貴樹の方に身を乗り出している。二人はその姿勢のまま、互いの唇にキスをしていた。  「絶妙のシャッターチャンスでしょ。俊介くんが貴樹のほっぺにチュッってしたら、貴樹もチュッて返したの。私の最高傑作」  玲香から聞く、初めて自慢話だった。  「誰にも見せてないでしょうねぇ」  凄む貴樹に対し、俊介は、「これも送ってください」とはしゃいでいる。  「見せるも何も、幼稚園じゃあよくやってたらしいわよ」  「はあッ?」  俊介から公園でのキスが現実だと聞かされただけでも驚いているのに、人前で公然としていたと言われ茫然となる。  「先生が心配して、一度、呼び出されたもの、私と裕子さん」  「ウチの母もですか?」  「ええ。お友達の前でも平気でするから、どちらかが幼稚園を変えたほうがいいんじゃないですかって、提案されたわ。でも、私も裕子さんも反対したの。あのくらいの歳の子は他人に興味を持ち始めるものなのよ。特に身近にいる人の行動や気持ちや体なんかにね。でも、誰にでもってわけじゃない。好奇心を持った人や物に対して、素直に自分の気持ちを表現してるだけなのよね。だから、暫く見守って欲しいって、お願いしたの」  玲香は、二人の顔を交互に見つめた。  その目の奥に隠された真意を、貴樹は畏れた。  本当は、数え切れないほど言いたいことがあったのではないか。口を開いたら我が子を傷つけてしまいそうで、親子らしい会話の一つもできずにいたのではないか。もしかして、両親の離婚も、実は自分に原因があるのではないか。  そう考えるだけで胸が詰まる。  「……ごめん、なさい」  「どうして謝るの?」  「きっと俺のせいで、母さんにも父さんにも迷惑かけましたよね。俺が……」  俊介の前で、その先は言えなかった。  すると、玲香は「馬鹿ね」と笑った。  「その、何でもネガティブに考え過ぎる癖、いい加減おやめなさい。何でも自分のせいだと考えるのは、自意識過剰な証拠よ。ありもしないことを自分で勝手に想像せず、判らない事があったら、まず相手に確認なさい」  正論なだけに、貴樹は「はい」としか答えようがない。  「どうして親に迷惑かけたなんて思うのかしらね。こう言っては何だけど、私はあなたを置いて家を出たこと、全く後悔していないわ。自分の気持ちに嘘をついて生きるなんて私にはできないし、あなたにもそんなこと望まない。そもそも手のかかる息子だったら、あなたをお父さんに任せて置いていくなんてことしないもの。あなただって、私がいなくなって困ることばかりじゃなかったのではないかしら。物置に暗室まで造って、俊介くんの写真を好きなだけ現像できたのも、つまりは、できの悪い私たち両親のお陰でもあるわけでしょ」  「はあっ?」  玲香の説教を殊勝に聞いていた貴樹だったが、自分たちの離婚を正当化する話の展開に、途端に馬鹿らしくなる。  「そういうことなら言わせていただきますが、相手に確認すべきなのは、母さんの方じゃないですか。旭のことも殿村さんのことも、まず僕に確認するのが筋ってもんでしょ」  「だって、あなたと話をしても埒が明かないんだもの。『解りました』とか『すみません』とか、少しも思っていないくせに、受け入れたフリをして話を簡潔に終わらせようとするでしょ。それ以上話しても無駄だと勝手に判断して、相手の真意を知ろうともしない。事実はあなたが想像するその先にあるかもしれないのに、その努力を怠っているのよ」  「それは……」と反論しかけると、「親子だなあ」と、俊介が隣で笑った。その屈託のない笑いが、ささやかな親子ゲンカを一瞬で和やかな空気に変える。  玲香は、俊介に向き直った。  「俊介くん、これからも貴樹のこと、頼むわね。……あっ、でも他に好きな子ができたら、きっちりフってくれていいから。この子は案外ネチネチしているところがあるから、優しくするとかえって諦めきれなくなっちゃうのよ。あなたの人生は、あなたのもの。この子だけに縛られることないのよ」  「なああああッ?」  自分の母親とは思えないセリフに、思わず反抗的な声が出る。  それでも俊介は、鷹揚としていた。  「フルなんてあり得ません。やっと両想いになったんです。タカちゃんのことは、俺に任せてください。絶対、幸せにしてみせますよ」  「俊介えええッ!」  貴樹は、大勢の観客たちがいる中で、再び大声を上げた。
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