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普段整理整頓をしていない私の家には、昔の雑誌やおもちゃ、ぬいぐるみ等がいっぱいある。物が多過ぎて捨てなきゃと思うものの、なかなか行動に移せなかった。典型的な片付けられない女である。
中でも手紙やメッセージカードというものはダイレクトに相手の気持ちがこもっていて捨てづらい。
そんな片付けられない私が掃除をしている時に見つけた、一通の手紙の話です。
意を決して片付けを始めても、ついつい漫画やアルバムを見てしまってなかなか進まない。学生時代、友達とテスト勉強しようと大勢で集まると勉強そっちのけで違う事をやってしまう……そんな感だ。でも、これは片付けが苦手な人間あるあるではないかと思ってしまう。
小学生の交換日記や、中学の頃、よく手紙を書いたり貰ったりした時の小さな手紙。手紙をハートに折ったりして渡していたな……。何か変わった折り方ないかなとか考えたり……。しかし同じクラスなのに何故手紙を書いていたんだろうか?? 直接話せばいいじゃないか……思春期とは不思議なものだ。他に文通もしていたので、その手紙や年賀状、吹奏楽部だったので楽譜等もあった。懐かしいな。
それにしても紙やノートが多すぎる……。
整頓といえば、とりあえずダンボールや箱に何でも詰めてしまう私。おもちゃ箱に何でもかんでも詰め込む子供かよって感じでして……。なので、何処に何を入れたか覚えていない事が多い。
ダンボールの端に入っていた手紙を見ていると、一通の白い封筒に視線がいって、その達筆に書かれた私の住所には見覚えがありました。6枚ほどの便せんが入っていて分厚くなった封筒。うっすらだが今もなお覚えている。それは小学5、6年の頃の話に遡ります。
演奏会をするので、地域のお年寄りを招待しようという企画が学校でありました。そしてクラスで何人かのグループにわかれて、お年寄りにお手紙を書こうという事になり、私たち3人は言われた通りの近所のおじいちゃんに手紙を書く事になるのですが、そのおじいちゃんは知り合いでもない会ったこともない方。先生に添削はしてもらっただろうけど、失礼な書き方をしたんじゃないかとか思ってしまう。だって昔の私、今以上にマナーがなかったので。
お誘いの手紙を書くと中にチケットを封入し、おじいちゃんの家まで持って行く事になります。……先生がついてきてくれたのかは忘れたんですが、緊張しながらおじいちゃんのいる一軒家へ3人で向かったのを覚えてる。
当たり前なのだが、そこは家からすごく近いところだった。近くだけど、あまり通らない道。そして瓦の屋根をした昔ながらの風情ある大きなお家。
たぶん70代くらいのおじいちゃんで、一人暮らしだったのか、ご夫婦で二人暮らしだったのかは覚えていないが、見知らぬ小学生3人を快く迎えてくれたました。とても広い居間に通されて、やっぱり一軒家はお金持ちだなぁ……と、団地暮らしの私はキョロキョロしていたと思う。
手紙を渡し、何か話したのだろうが覚えていない。ただ、早く帰りたいな……とか思っていた気もする。
その後、演奏会は無事成功!! と言いたいところだが、全く記憶になかった。何故覚えているかというと、数日後、家に届いた一通の手紙に書いてあったからだ。その手紙こそダンボールで見つけた白いあの封筒。
夕方家に帰って届いた手紙を読んでいたあの時の事も何となく記憶にあります。
手紙の内容なのですが、おじいちゃんは結局演奏会に来れなかったそうです。どうやら体調がよろしくないみたい。療養の為、温泉に行った話など書かれていて、最後に『遊園地のチケットがありますので3人で行って来て下さい』と書かれていて、3枚のチケットが入っていました。
手紙を受け取った後、丁寧に電話もかかってきました。3人の住所を調べたけど、わかったのは私の所だけだったそうです。
もちろん3人で遊園地に行きました!! 保護者同伴だったと思いますけど。
その後もおじいちゃんから何度か電話がありました。用事はなかったのだろうと思います。私を孫のように思っていたのでしょうか 、それとも寂しかったのでしょうか……今思うとそう考えてしまいます。
連続で電話がかかってきたりして、(親戚でもないのに面倒臭いなぁ……)などと思って、親に頼んで居留守をした事もあります。親も少し不信がっていたところもあったと思いますし。
しばらくして電話も来なくなり(そんな事もあったなぁ……)と思うようになりました。
たまに何となく思い出したりしたので、心の片隅にあったんだろうと思います。
今回、改めて手紙を読み返したんですが、とても律儀で思いやりのある素敵な大人の方だな……と思いました。
手紙から読みとれる内容ですそう感じたんです。
筆ペンで書かれた綺麗で読みやすい文字
演奏会に行けなかった事の丁寧な謝罪
なによりも、全ての漢字にふりがなを打ってくれている
小学生の私たちでもわかるように……。たくさんの漢字に横に小さな字でふりがなを打つなんて面倒臭いはず。読めるような簡単な漢字にも全て付けてくれていたと思います。
これだけ真摯に向き合ってくれていた方を、何故あの時私は『面倒臭い』と邪険にしてしまったのだろう。小学生の自分に今の気持ちを伝えたい。
今でもおじいちゃんの家の場所は覚えています。けれどこの話は数十年前の出来事。おじいちゃんはもういないでしょう。家も親族とは違う別の所帯が住んでるかもしれません。
あの時、連絡がぱったりと消えたおじいちゃん。体調もよくなかった事を考えると心配になりますが後の祭りです。
誰かを幸せに出来るような人間になりたいとか思ってる私ですが、昔から私は誰も幸せに出来てないなと深く考えさせられました。
この手紙はもうここには無く処分してしまった事に少しの後悔が残っていますが、記録だけでも記そうと思って書いています。
また書く事により自分の中でも深く記憶に刻まれ、整理も出来るので。
この先も、後悔の多い人生になるかもしれませんが、その度成長できるようにどんな経験も胸に刻もうと思います。
でも出来るだけ後悔はしたくないですけどね。
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