私と神久保の旦那さん

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私と神久保の旦那さん

 妹の手術の前日、神久保さんの助けもあって砂浜はキレイになった。  これで明日は、キレイな砂浜を妹と見れる。はずなのに、私はどうにも落ち着かなかった。  もし、今夜にまたゴミを捨てるような人がいれば、全てが台無しになってしまう。  悶々としながら2回、3回と寝返りをうって、私の決意はついに固まった。  私は寝巻きのまま家を飛び出して、星が照らす夜道を走り出した。  頬をなでる海風がどんどんと冷たくなって。夏だというのに肌寒くなる頃には、砂浜に着いていた。  私は乱れた息を整えながら、ゆっくりと顔を上げる。  薄暗い中に人の気配はなく、私は安堵の息をついてその場に腰を下ろした。  後はこのまま、太陽が登るまで見守ろう。私はそう思い、真っ直ぐに、その砂浜を眺める。  けれど、次第にまぶたは重たくなって。私はうつらうつらしてしまっていた。  やっぱり無謀だったのかなと後ろ向きになっていたその時。遠くから、大きな声が聞こえた。 「誰だ!」  私がびっくりして声の方を見ると、夜に似合わないまぶしさに目がくらむ。 「その顔は……あの時のお嬢ちゃんか」 「もしかしてあの時のおじさん?」  光がなくなっても、視界はチカチカして落ち着かない。けど、私はこの声と独特な呼び方を知っている。 「そうだよ。それで、こんな時間にお嬢ちゃんは何をしているんだい?」 「ゴミを捨てる人がいないか、見回りに来たんです」 「なんだそんなことか」 「そんなことってなんですか」 「気に障ったのならすまない、謝るよ。ただね、お嬢ちゃんは家に帰って寝る時間だ。それに、見回りはお嬢ちゃんの仕事じゃない」 「それじゃあ、誰の仕事なんですか」  私が、最後まで水をさすこの男に腹を立てていると、男は自分に親指を向けた。  あまりのことに私は呆れるを通り越して笑えてきた。何を言っているのか、私にはこれっぽっちも理解できない。 「嘘ですよね?」 「嘘じゃないさお嬢ちゃん。信じてもらえないだろうけど、お嬢ちゃんが掃除をやると決めた日から毎日、俺は見回りを続けてきたんだぜ」 「本当ですか?」 「ああ本当さ。妻との思い出が詰まった砂浜を、子ども1人に任せて寝るなんてばつが悪くてな。おかげで妻の朝飯は食いそびれて、妻は毎日不機嫌だったけどな」 「もしかして……神久保さんの旦那ですか?」  私がその名前を口にすると、男の豪快な笑いはパタリと止んだ。  男は口をあんぐりしたまま動かず、目を点にして私を見る。まるで、何で知っているとでも言いたげな、驚いた表情だ。 「おお、そうだよ。俺のこと知ってんのか?」 「はい。神久保さんが、旦那が朝ごはんを食べてくれないって嘆いていたので……。それでそうなのかなと」 「それでか……。でも、俺の女房とどこで出会ったんだい?」 「ここです。ここで、一緒に掃除を手伝ってくれました。おかげで、今日までに砂浜がキレイになりました」 「だから近頃は上機嫌だったのか……。そうだ、今日までにって言ってたが、キレイにする理由があるのかい?」 「妹が手術をして、目が見えるようになるんです。それで、初めては海が見たいって言うので、こうして砂浜をキレイにしてたんです」 「そうなのか。いい話じゃないか」 「そんなことないですよ。元はと言えば、私の嘘が全部の始まりですから。キレイじゃない砂浜をキレイと言って、妹を騙した自分を守るため、してたことです。だから全然……」 「お嬢ちゃん、それは違うぜ。お嬢ちゃんは嘘を本当にしたんだ。それはすげーことだし、普通の人にはできないからな。胸を張れ、あんたは最高のお姉ちゃんだ。妹もこれを知れば、お姉ちゃんすげーって思うはずだ」 「そうなんですかね……」 「絶対にそうさ。だから胸を張れ。そして家に帰って明日に備えろ。お嬢ちゃんは明日、最高の仕事があるんだから。後は俺に任せとけ!」 「はい!」  私は神久保の旦那さんに勇気をもらい、砂浜を背に走り出した。  けれど、私は言いそびれたことを思い出して立ち止まる。くるりと後ろを向いて、深くふかく頭を下げた。 「神久保の旦那さん! ありがとうございました!」 「おうよ! こっちこそありがとな!」 「お姉ちゃんまだぁ?」 「まだだよ。まだダメ。もう少しだから」  妹の手術は無事に成功した。後は、妹と約束した海を見るため、私はこうして妹の手を引いている。  カモメの鳴き声に、心地よいさざ波の音が私を導いて。照りつける太陽がどうでもよくなるくらい。私はワクワクしていた。  私の言った砂浜が本当にあって、それに青い海に空もあれば。妹はどんな反応をするだろうと、私は想像して嬉しくなる。 「着いたよ」 「目、開けていいの?」 「いいよ」  妹がゆっくりと目を開けば、一緒に口角が上がるのも分かった。  私は笑っている妹を見るのがすごく嬉しくて、海なんかより妹を見てしまう。  妹はそんな私の視線に気づかず、海に釘づけだった。 「キレイ……。お姉ちゃんの言ってたもの全部ある」 「どう、海?」 「かっこいいしかわいいしキレイだし……。なんかもう、全部がここにあるみたい!」 「良かった。後ね、この海はね……」 「どうしたのお姉ちゃん?」 「ある二人の恋バナがあるんだよ。聞きたい?」 「うん! 聞きたい!」 「その人たちはね……」  私は、妹に砂浜の話はしないことにした。だって、私は妹にすごいって思われたいわけでも。誇りに思ってほしいわけでもないから。  それに、今なら分かる。私は、嘘を本当にするためにやったんじゃなくて。妹の笑顔が見たくてやったんだって。  だからこの話は、私と神久保夫婦の三人しか知らない物語。それで私は良いんだって思えた。
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