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【眠り姫の納豆ご飯】②
「ここは、本屋かあ。ケケケ……ベストセラーをまずは見学するぞ、ぐひひっ」
大きな書店の一番目立つ場所に置いてあるベストセラーの本を手に取った。
「おっ、これは知らない名前だな。ぐははっ、黒羽さなぎと書いてある。今はまだデビューもしていない新人だろうか? まあいいや」
独り言を言いながら、俺氏はその本を手に取った。その本はどちらかというと俺氏が好きなジャンルで、こういった物語が書きたいと思っているような内容だった。ホラー要素のある頭脳戦を展開する物語は、コミカライズ化、アニメ化、映画化、フィギュア化までしており、幅広い年齢層に好かれている作品ということが表紙に書いてある。ぐはは……作品に興味を持ったので、黒羽さなぎのプロフィールを見てみると本名非公開。新人賞を取り、瞬く間に大ヒット。国民的な小説家になると書かれている。たしかに、さなぎはこれから成虫になるのだから、いいペンネームだな。ぐひひ……そんなことを思い、本を読んでみた。
異空間に閉じ込められた主人公たちが頭脳戦でそこからの脱出方法を考える。それまでのドキドキの展開とアクションやバトルもみずみずしい文体で描かれている。文字なのに映像で見える、そんな「ぐひひ」な作品だ。「ぐひひ」という意味は俺氏の中では様々な意味で使われる。例えば、感嘆語、擬音語、擬態語、うれしさ、驚きもすべて「ぐひひ」で片づけてしまう。便利な言葉であり、くせになって使っているという理由もある。この超絶ぐひひな物語を舐めるように読む。閉じ込めた組織の解明や対決の様子も後半にはだいぶ面白く練りこまれていた。この作者は頭がいいのだろう。ぐひひという言葉も発せずその本を読みふけっていた。何時間たったのだろうか。集中しすぎて時がたつのを忘れていた。読み終わり、内容を頭にインプットした後、いつのまにか俺氏は先程の不思議なレストランに戻っていた。
「おかえりなさい」
「ぐひひ、めちゃくちゃ面白い作品があってさ。もう少し読んでいたかったんだけどさ」
「盗作できそうですか?」
ずるいことが嫌いだから、わざといじわるな言い方をしてみる。
「ひととおり読んだし、ストーリーは把握したけど。正直コピーして持ってくるか盗んできたい気持ちになる傑作だったけどな、ぐひひ」
「未来から物を持ち出せない決まりになってましてね」
アサトさんが念を押す。
「仕方ない、ねがいはベストセラー作家になって成功でいいかな。とりあえず100円置いておくよ、ぐひひ……またくるぜい、ごっちそうさん!!」
男は不気味に歯を出しながら笑う。歯がやたら白くきれいなので目が見えない顔に白い歯が光り、不気味さが漂う。男はスキップ気味な足取りで帰宅した。ため息が出た。
「お待ちしておりますよ。あなたは福の神の能力を持っているようですね。商売繁盛の神オーラがあふれていますよ」
「そうか、じゃあ、また来たいときは電波送るからさ、食べにくるよ……ぐひひ」
不気味な微笑みで店を去る男。電波を出す発言も不思議だ。電波なんて出せるのだろうか? そもそもここは石がないと普通の人は入れないし、アサトさんに選ばれないと来ることなんてできない。
「アサトさんあの人、いいんですか? 簡単にベストセラー作家になるなんて世の中舐めすぎです。ありえないですよ」
「彼は本当に才能のある男だよ。もし、才能がなければ、1発屋で終わるだろうけれど、彼は終わらないだろうね」
「なんでそんなことが言えるのですか?」
「彼の才能は本物さ。彼が見てきた未来は自分の作品なのだから」
「もしかして黒羽さなぎって今の不気味な男?」
「そうだよ。本名は黒羽なぎさ。彼は文才もひらめきも時代を先取りするセンスも持ち合わせているよ。もし、本当に他人の作品を盗むとしてもあの短時間で読んだくらいでは人気作は書けないだろうしね。表現力文章能力がなければ読者はついてこないからね。仮に盗作された作家がいたとしよう。その人の実力が本物ならばもっといい作品を何作だって書くことができるだろ」
「あの人、見た目は気持ち悪いけど、将来性はあるんですよね。人は見た目で判断してはいけないとはこのことですか」
「それに、彼は実写映画で主演した女優と結婚するんだよね」
「そんなことまでわかるんですか?」
「彼、前髪あげると男前なのです。奇才だから変人気味なのかもしれないけど、才能に惚れる女性って割といますよね。嫌な親の記憶を捨てたことで結婚へのふんぎりがつくのかもしれません。我々は幸せのお手伝いをしているだけなので」
アサトさんがモニターを指さす。風に吹かれておでこ全開の男は、たしかに男前だった。切れ長な瞳の鼻筋が通った端正な顔立ちだ。くまがあり、顔色も色白で顔色がいいとは言い難いが、それはそれで守りたくなる存在になるのかもしれない。日陰男は近いうちにさなぎから成虫になり光を浴びることになる。これは決定している事実なのだ。
未来のベストセラー作家はぐひひという言葉を端々で発する目を隠した猫背ジャージ男だった。ある意味奇才という点ではあの奇行は納得できなくもない、変に納得してしまった。人はどこに惚れるかわからないものだ、変な悟りを開いてしまった。そして、男が本物ならば近いうちにその名が耳に入ることとなるだろう。今はまだ、彼は原石なのだ。
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