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 漫画でよく見るような、かぽーんという音はなんなのか、普段から気になっていた。 「きっと木製の桶を使った時に反響する音だよね~」  瑞紀は一人での露天風呂を楽しんでいた。冬だからお風呂は最高のリラックスタイムだ。特に、最近は忙しくてシャワーですませていた。  露天風呂は二階にある。そのため、雪化粧した景色がよく見えた。アップにした髪が落ちないように後頭部を一度手でなでて、ゆっくり片足を入れ、そのまま温泉の中へと入る。お湯の温度がちょうどいい。熱すぎず、ぬるすぎず。 「はぁ~、落ち着く……」  あたたかいお湯の中で、ふぅと息をつく。一人だからひとりごとも言いたい放題だ。 「……あれ、あそこを歩いているのは…、ギンさん?」  ふと視界の端に銀色が光った気がして、露天風呂の端に移動する。  確かに、離れ――とシロたちが呼んでいた建物の近くに彼がいた。視線の先は山だ。 「なんで山なんて見てるんだろう……」  不思議に思いながら見つめていると、ギンがくるりと向きを変えた。 「あっ!」  ギンと目があう。思わず視線をそらそうとしたものの、彼の鋭い視線につかまってしまい、そのまま見つめてしまう。  先ほど変わらない、相変わらず何を考えているのか分からない雰囲気にのみこまれていく。 「……ふん」  瑞紀には聞こえないほど小さな声でつぶやくと、彼は離れの中に入っていった。 「はぁ、よかった……」  まるで蛇ににらまれた蛙だ。だが、ギンが消えたことに安堵して落ち着く。  そこで気付いた。ギンからは見えないと思っていたが、もしかして……。 「……あーっ! ど、どうしよ、恥ずかしい!!」  人間ではない彼のことだ。見えないことまで見えてしまったら、もしくは、視力がいいために見えなくていいところまで見えてしまったら。 「……うう、今度からは近寄らないようにしよう」  そう言うと静かに端から離れた。 *** 「あっ、瑞紀様。温泉はどうでしたか?」  浴衣に着替えた瑞紀をシロが出迎える。着物を脱ぐのを手伝ってくれたのも彼女だ。 「すごくよかった! 露天風呂ってあのひとつなの?」 「はい。お客様には時間を変えて行ってもらうんです。今日は貸し切り状態ですが」  ふふ、と面白そうに笑うシロに、瑞紀も微笑む。 「なんか安心したらおなかすいちゃったな」 「そうだと思って、キュウくんに料理を作ってもらっているんです」 「本当~? シロさん気が利くなぁ~」 「えへへ、それほどでも。あ、食べられないものってありましたか? もしあれば……」 「それなら大丈夫。なんでも食べられるから!」 「よかったです。どうぞ、ご案内しますね」 「はぁーい」  すっかりシロと打ち解けた瑞紀は、あ、と小さく声をもらす。先導するように歩いていたシロがその声に気付いたように歩きながら振り返る。 「どうしましたか?」 「さっき、ギンさんを見たの。露天風呂から」 「露天風呂から? ああ、離れが見えますからね」 「……ギンさんの視力って、どのくらい?」 「え? ええと……。人間と同じくらいのはずですよ。両目2.0」 「人間でそんな目のいい人がいるかどうかは置いとくとして、すごく目がいいわけね」 「それがどうかしたんですか?」 「……その、ギンさんを見たけど、ギンさんも私を見てたの」 「はぁ…⁇」  瑞紀の何が言いたいのか分からない説明に、シロは立ち止まり首をかしげた。 「だからね、その、私は温泉に入ってて、外からギンさんが……私を、見てたの。一階から」 「……、ああ! そういうことですね!」  ようやく分かってくれたようだ。 「もし見えてたなら、恥ずかしくなっちゃって」 「大丈夫ですよ、ギン様は、その……、特定の人はいませんし。カイリさんじゃないなら全然問題な――」 「なんじゃなんじゃ、わしの話かいの?」  タイミングがいいのか悪いのか、ちょうどカイリが二人の間に入るように顔を見せる。  シロは気まずそうに瑞紀を見たが、そのあと彼を見た目つきは開き直っていた。 「……カイリさんなら、相手が女性だとすぐ口説きますよねって話をしていたんです!」 「あー、なるほど」 「納得されるのは悔しいのぅ」 「でも私は口説かれてないし、やっぱり大丈夫なんじゃないかな」  慌てたようにカイリをかばおうと言うと、ずいっと彼の顔が目の前に迫る。 「おやおや、お前さんはわしに口説かれたいんか? いいぞ、人間の女は久しぶ、りっ」 「わぁあっ」  カイリが変な語尾になったと思えば横にずれ、ハスキーながらも高めの大きな声も聞こえる。彼の後ろには少年が立っていた。  彼は板前なのか白い和帽子をかぶっている。メロンのような緑色の短髪に、植物が生い茂るような蒼色の瞳は大きくアーモンドのような形をした目は幼さを感じる。  白い制服からも、その少年がシロの言っていたキュウであることが推測できた。 「すっ、すみません、カイリさん!」 「……おい、キュウ」 「すみませんって言いましたよ……!」 「いいところだったのに?」 「ふえっ、ごめんなさ……」  よく分かっていない瑞紀にも、背が高いカイリがキュウに詰め寄る姿はなんだかかわいそうに思えてきた。そう、小動物をいじめる大人みたいな。 「カイリさん! だめです!」 「っ、で!」 「キュウくんをいじめないでください!」  シロの白い肌をしたすらっとした腕がカイリの頭を軽くはたいた。カイリは、むぅ、と不機嫌そうにシロを見る。  キュウはというと、シロの後ろにまわって隠れてしまった。それが瑞紀には、たまに会う従兄弟のように思えてきた。つまり、母性本能をくすぐる動きと表情。すぐさまシロに加勢する。 「そうよ、こんな小さい子をいじめるなんて!」 「いじめとらんし、キュウは106歳じゃぞ」 「年齢はこの際どうでもいいの」  シロや瑞紀がキュウの母や姉のようになるのが、居心地悪いと思ったらしいカイリがため息をついた。 「キュウ……、明日は力わけてやんねぇぞ」 「えっ! それは困ります、だって、僕は料理をしないと……」 「一日くらい代わってやるけん、心配せんでもええぞ~」  その会話に、ふと疑問を抱いた瑞紀がこそっとシロに尋ねる。 「ねえ、シロさん、どういうことなの?」 「キュウくんは私たちに比べて、化ける能力が低いんです。力が足りなくて。なので、カイリさんにおすそ分けしてもらってるんですよ」 「なるほど、カイリさんがその気になれば、キュウくんは河童に……」 「なっちゃいますね」  ちょっと見てみたい気もするが、キュウは板前担当だ。料理ができなくなってしまったら、この旅館は成り立たない。 「それはそうと!」  シロが両手でカイリを突き飛ばす。彼はうおっ、とうめきながら壁に激突した。額が痛そうだが、瑞紀はシロやキュウのほうが気になった。 「キュウくん、瑞紀様にお出しする料理はどうなっていますか?」 「あ、これからお部屋に持っていこうと思って。それで廊下に出てきたんです」  確かに、よく見れば厨房につながる入口がある。瑞紀達が通路を塞ぐ形で立ち止まっていたようだ。 「じゃあ、そのまま準備を始めて。瑞紀様、ご案内しますよ」 「はぁーい」 「カイリさんは邪魔」 「くっそぉ……」  ぐぎぎ、と歯ぎしりをして悔しそうにしているカイリを横目に、瑞紀とシロは再び歩きはじめる。 「カイリさん。キュウくんはあなたよりも料理がずーーっと上手なんですから、代わりなんてできませんよ」 「じゃけど」 「ギン様がどう考えるか分かっていますか? 料理のできるキュウくんより、女たらしのカイリさんを選ぶはずがありません」 「正論すぎて辛いのぅ……」 「……シロさん、その辺でやめてあげて……」  思わず哀れに思えた瑞紀が仲裁するように間に入る。シロはすっきりした表情で満足そうだ。 「これだけ言えばもういいですよね」  そのニコニコ笑顔は、先ほど辛辣なことを平然と言ったようには見えないかわいらしいものだった。
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