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6.
部屋で料理を堪能した瑞紀は、箸をおいて両手をあわせた。
「ごちそうさまでした」
キュウが一人で作ったとは思えないほど豪華だった。色彩があざやかな前菜、湯豆腐、茶わん蒸し、かぼちゃの煮物、刺身、小さな野菜たっぷりで豚肉が入った鍋、お味噌汁、白いご飯、胡瓜と大根と人参の漬物。
先ほどのお見合いをしていた料亭では何も食べられなかったため、ちょうど空腹だったのもあり、あっというまにたいらげてしまった。
「シロさんのお話は面白いし、ここ最高だよ~!」
「ふふ、よかったです」
「キュウくんもありがとうね~」
「いえ! 食材が無駄にならなくてよかったです」
瑞紀の向かいに座っているシロとキュウがそろって笑顔でうなずく。
「お客様はいないのに、用意してたの?」
「直前で取り消しになってしまったんです。キュウくんが準備してた食材は、二人分あったので」
「二人? じゃあもう一人分は?」
「それはギン様に。離れに持っていったんです」
そこで閉まっていたはずのふすまががたん、という音の後にスパン、と小気味のいい音を立てて勢いよく開かれた。三人がそちらを見ると、カイリが酒瓶を抱えるように立っている。
「よーぉっす、ひっく」
「うわぁ……」
シロがあからさまに引いた顔をする。そしてすぐに怒ったように眉をつりあげた。
「もうっ、カイリさん! またお酒飲んだんですね! お店の商品なのに!」
「瑞紀さんならともかく…さすがにギン様に報告しないと」
従業員であるキュウが慌てたようにカイリに言う。酔っているらしいカイリは、千鳥足で瑞紀のそばへ近寄るとドスンとあぐらをかいて座った。
「お前さん、キュウの料理はどうやった? うまかったか? ん?」
「はい、おいしかったですよ」
「食事したってことは、泊まっていくんじゃろ? わしの部屋に来ぃや、楽しいぞ~」
酒臭い匂いをぷんぷんさせながら、顔を近づける。女たらし、とシロが言うだけあって、距離感については気を配っていないらしい。
「いや、泊まりはしないです…お金、ないので」
「あぁ? 金ないのに食うたんか? あ?」
「ちが、宿泊代金相当のお金はって意味で―……」
そういえば、と瑞紀は気付く。料金を聞いていない。多少なら払えるが、もし手持ちで足りなかった場合のことを考えていなかった。
「カイリさん、そうやって絡むのはやめてください。噛みますよ!」
「シロが噛んでくれるんかぁ? どうせかぁいらしい歯じゃ、痛くないな」
「もーっ!」
シロが怒ると耳も尻尾もピンとまっすぐ伸びる。瑞紀も思わずかわいい、と声をもらすほどに、怒っているはずでももふもふの毛は癒し度が高いようだった。
だがシロは怒るのを止めようとしない。
「カイリさん、いい加減に――」
「……カイリ。何をしている」
低く、しかし澄んだ男性の声が廊下から響く。顔を向けると、ギンがそこに立っていた。傍らにはキュウ。
「ギン様!」
「シロさんが困ると思って、呼んできたんです」
「まったく、騒がしい奴め」
子どもらしい幼さが残る声のキュウに、ギンの低い声はギャップがありすぎて目立つ。そして何より、かっこいい。心地いいくらいで、ずっと聞いていたくなるくらいだ。それに、出会った時よりよくしゃべっている。
「……なんだ」
「……へっ」
「そんなに、珍しいか?」
「……ええと。その……、あなたみたいな人、人間の中にはいないっていうか」
「……?」
「ここに来る前に会った男が最低な人で。そしたら急に神様が現れたからびっくりしたっていうか」
――私は何を言ってるんだ⁉
頭の中で混乱しながらも、変に思われたくない瑞紀は必死に説明を重ねる。
「……我は神ではない」
「でも、厳かな雰囲気とか、神々しいっていうか……」
「…………カイリ、戻れ」
瑞紀の説明に、わずかに目を細めたギンだったが、数秒の沈黙のあとカイリの襟をつかんだ。
「戻るぅ? どこにぃー?」
「離れにだ。これ以上、客の前で醜態をさらすな。凍らせるぞ」
ひゅおっ、と冷風がかすかにふく。カイリの毛先が凍った。途端に酔いがさめたのか、彼の目がキリッと真面目なものになる。
「うっす、帰る帰る! じゃあのー、ミズキ!」
にへら、と笑ったカイリは、ギンに無言で背中を蹴られるようにして部屋を出て行った。
「さて」
ギンが瑞紀らに向き直る。
「お主は、カイリが掃除した温泉に入り、キュウが用意した料理を食べ、シロに世話をしてもらった、つまり我らのもてなしを受けた。間違いないな」
「は、はい」
「その対価を受け取ろう」
「対価…ですか…」
やばい。
直感でそう感じていた。つい先ほどお金の心配をしたばかりだ。
「当たり前だ」
「あの、ギン様、瑞紀様は私がお願いしてきていただいたので、お金とかはその……」
「帰らせろといったのに、招き入れたのだろう。そしてもてなした。無償のもてなしなど存在しない。この白銀旅館ではな」
どんどん雲行きが怪しくなる。ギンがどんな人か、瑞紀はミステリアスでよく分からない人だということしか知らない。その彼は、まさに――商売人だった。いや、旅館を経営しているのだから、当たり前なのだが。
「あ、払う、払います! おいくらですか?」
「……言っておくが、人間が使う通貨は通用しないぞ」
「えっ? でも、人間のお客さんも来るんですよね?」
「そうだ。だが、彼らは……、事前に理解している。お主は違うだろう」
「そうですね……」
ますます心配になってきた。
「じゃあ、あの、対価ってどうすれば……」
「……我についてこい。シロ、あの着物を用意しろ。キュウはここを片付けなさい」
「かしこまりました」
「はい!」
命じられたシロはすぐに部屋を出ていき、キュウもまた食器を入れる箱を取りに厨房へと向かう。
「着物? 帰れってことですか…?」
「帰る前に対価は払ってもらう」
「はぁ……」
「行くぞ」
特に説明もせず、ギンが歩き出す。瑞紀は慌てて後をおいかけた。
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