コインランドリー

3/5
8人が本棚に入れています
本棚に追加
/5ページ
 雨の日になると、彼女は雨宿りをする猫みたいにやってくる。小さな勉強会はいつも僕がIS曲線とLM曲線を説明するところから始まる。いつの間にか僕の教科書は彼女のピンク色の付箋をペタペタと貼られ、ところどころに短い手足や触角をはやした謎の生物みたいになっていた。  彼女が設問に向かい考えている間、僕はコインランドリー備え付けの本を読む。雨音と洗濯物が回る音だけが響く読書のしやすい空間だ。たまに彼女のうめき声は聞こえるが。  いつのまにか、彼女がうめいてテーブルから顔を背けることが、僕が説明する合図になった。 「利子率が上がれば、みんな銀行に預金するから、世の中に出回ってるお金の量が減るんです」  彼女は算数を教えられている小学生のようにふんふん、とうなずく。 「そしたらこのLM曲線っていうのがそのまま左にシフトします」  いまいちピンと来ていない彼女にさらに説明を付け加える。 「たとえば、銀行預金の利子率が10倍。1万円預けるだけで、10万増えて返ってくる。そしたら先輩はどうしますか」 「全財産預けるに決まってんじゃん」  はっ、とした顔になった。 「なるほど、いける気がしてきた。経済って結構面白いんだね」 「複雑な世の中の経済活動を簡易化するのが経済学っていう学問ですからね」  そんな日々を過ごしながらテストの日を迎えた。2年生がほとんどの試験教室では、3年生以上は端っこに追いやられるような席の順番が指定される。案の定彼女の席は近かった。。 テスト開始の合図とともに、問題用紙をめくる。 「IS曲線、LM曲線を図示し、クラウディングアウトについて説明しなさい」  まだ始まったばかりにも関わらず、彼女は安心しきったように肩の力を抜いていた。 「ほんっとありがとう。キミまじですごいね」  テストが終わってすぐ、机の上の筆記用具をしまうこともせずに僕の元によってきた。 「今思えば講義のとき内容にしては説明に時間かけてたところだったんで」 「あとは内定とるだけだ~」  単位をとることよりも簡単そうに言う。少なくとも自分にとっては、就活より単位を取るほうがずいぶんと容易だろう。  こんな勉強で何が測れるというのだろう、と年齢を重ねるにつれて思ってしまう。  それからしばらく雨は降らなかった。
/5ページ

最初のコメントを投稿しよう!