あなたの尻尾に触らせて

1/5
0人が本棚に入れています
本棚に追加
/5ページ

あなたの尻尾に触らせて

 教室では先週から暖房がつけられて、凍えていた指先は逆に熱を持つようになった。  十一月の教室は暖められすぎて、ぬくい。ぬくいのは分かる。世界史の佐々木先生の声がこの学校でダントツに眠気を誘うことも、知ってる。知ってるけど、それはあまりにも―― 「そこ! 寝てると内申下げられても文句は言えないぞ!」  それはあまりにも露骨すぎるんじゃないかしら。  むくりと顔を上げたあの子が、きんいろの瞳を眠たげにぱちりと瞬かせた。 「油断してたな。佐々木がそういうの厳しいの、忘れてた」  ぺりり、とコンビにおにぎりのビニールを剥きながら、あの子は全く反省していない様子でぼやいた。  椅子をくるりと後ろに向けて、わたしの机を二人で使いながら昼食を食べる。彼女はおにぎりで、わたしは手作りのお弁当。いつものお昼休みだ。 「教室あったかいものね。眠くなるのも分かるわ」  あなたはいつも眠そうだけど、とジト目で見つめるが、彼女は気にしない。  ぼろぼろになった海苔が机の上に落ちた。相変わらず、おにぎりを剥くのが壊滅的に下手だ。  彼女がコンビニのおにぎりを好んで食べるようになったのは今年の夏からで、それから今までほとんど毎日個包装のビニールを剥いているはずなのだが、いまだに上達する気配がみられない。たまに世話焼きの男の子(わたしは心の中でパシリくんと呼んでいる)が剥いてあげているが、今日はいないみたいだ。  というか、わたしはパシリくんと仲良くするのは反対なのだ。だって、彼は絶対あの子のことが好きなんだもの。  一年生のころからずっと一緒にいたのはわたしなのに、三か月ちょっと前に急に話すようになったぽっと出の男になんて奪われてたまるもんですか。大体、一年生のころの、それこそわたしより前からあの子のことを見ているくせに、初めて話したのがついこの前だなんて意気地ないにもほどがある。  彼と話すようになってからあの子がおにぎりを好んで食べるようになったとか、あの子と話すようになってから彼が少し見た目を気にするようになったとか、そういうところも気に入らないのだ。  わたしがあの子と話すようになったのは、一年生の初めにあった球技大会の時からだ。  その頃には既にクラスの中には仲良しグループのようなものができていて、わたしは同じ美術部に入部した女の子数人と一緒にいた。  地味めの文化部だけどちょっとかわいい子が多いから、クラス内でのカーストは真ん中くらい。そこそこ楽しかった気がする。  うちの高校の球技大会は、クラス内で男女に分かれて、いくつかのグループを作って競技を決めるという方式だ。  わたしは運動は苦手だし勝てなくてもいいや、という感じだったと思う。みんなに誘われてバスケをすることになったけど、突き指したら嫌だし正直あまり乗り気じゃなかった。  他の文化部の子たちも入れてグループを作っても既定の人数に一人足りなくて、あぶれたからと言ってそこに入ってきたのがあの子だった。  パシリくんに対抗するみたいでちょっと癪だけど、実はあの子のことは入学初日から気になってはいたのだ。  何と言ったってあの子はすごく美人で、入学式でも話題になっていたくらいだ。気にならない方がどうかしてる。でも、あの子はそんなことは一ミリも気にしていなくて、いつも窓際の隅っこの席でうつらうつらとしていた。  すごくきれいだった。  目を開けばまあるい瞳はキラキラときんいろに輝いて、目を閉じれば長いまつげが頬に影をおとしていた。長い髪の毛は一本いっぽんが細くてまっすぐで、傷んでいるところなんて一つもなかった。毛穴一つ見えないなめらかな肌はまっしろに透き通っていた。  でも、あの子はいつも一人だった。  いつも一人で教室の自分の席ですやすやと微睡んでいて、そうじゃない時はぼうっと窓の外を眺めていた。お昼ご飯も一人で食べて、部活も入らずに、下校も登校も一人だった。  これは、わたしたちにとっては信じられないくらい異質なことだった。女子高生は群れるのが仕事みたいなものだから。  とは言っても、彼女は別に嫌われているということではない。なんてことはない、高嶺の花なのだ。  あんなに綺麗で、そしてニコリと笑うでもないあの子に近づく勇者はなかなかいなかった。  そんなあの子がわたしたちと一緒にバスケをするというのだから、もう大変だ。何が大変かって、わたしの心臓が。  相変わらずあの子はあまり喋らないし、表情筋を動かさないし、わたしたちも何を話せばいいのか分からない。結局あの子に声はかけられなくて、練習の予定も組めなくて、その日はお開きになった。  こんなので大丈夫かなって思ったけど、最初からあまり真剣じゃなかったからわたしは何も言わなかった。  この時点では、あの子はただのすごくきれいな高嶺の花だった。
/5ページ

最初のコメントを投稿しよう!