1人が本棚に入れています
本棚に追加
1
中学卒業後に旭川の実家から、ここ岩見沢の祖母の家に居候をし、挑翔高校に通い始めて、早いものでもう半年が経った。
知り合いが全くいない岩見沢で心機一転の高校生活を送る上での一番の懸念が、生い立ちから何から何まで根掘り葉掘り聞かれることだったけど、それは杞憂に終わった。
クラスの大半……、いやほぼ全員といってもいいくらい他人には無関心なのだ。
全国的な少子化の波は、ここ岩見沢でも例外ではなく、学校は生徒数確保のために形振り構わず全国から生徒を集めており、その中でも既存の学校になじめない不登校などの子供たちを優先的に受け入れていた。
この学校では自らの殻に閉じこもって他人には極力関わらない、そんな風潮が当たり前になっている。
皆、どこかしら心に傷を負っている身の上らしく、他人に関われば必然的に心にダメージを受けるのを知っているのだろう。
でも僕にとっては、この微妙な距離感を保っていられる日常が心地よくあるのだ。
あとは一部の陽キャラの連中に目をつけられて絡まれなければ、少なくとも3年間は安心して過ごせる。
……根本的な問題の解決には何一つなっていない。3年間問題を先送りするだけ、そんな事は嫌というほど何回も考えた。
しかし、今の僕にはそうするしかなかった。あのまま旭川に居て、適当に市内の高校に進学して、それでまたくだらない性の話題に翻弄されていたら……、そう考えるとゾッとする。きっと、立ち直れないくらいに壊れていたに違いない。
それに中学2年のあの冬の夜以来、僕を心底イラつかせる夢精は、あれからも何回か起こった。
そんな中でのせめてもの救いが、他人に無関心なクラスメイト達と過ごせる高校生活なのだ。
他に不満が無いのかと問われれば、決してそんなことは無い。
例えば、ここ岩見沢の気候。旭川よりも南に位置しており札幌にも近いこの町は、夏は暑く、冬は寒い上に旭川を遥かに凌ぐ豪雪地帯で日本政府から特別豪雪地帯の指定までされているほどなのだ。
それにこの学校は自由な校風をうたう割には指定の制服があり、これがまたとてつもなくダサい。男女ともに千鳥格子のジャケットに襟のフラワーホールにはダサい校章バッジ、男子はネクタイと黒いスラックス、女子はリボンタイに濃紺のプリーツスカート、その上ネクタイは学年ごとに色が異なるという謎のこだわり。いったい誰がこの制服をデザインしたのだ? この制服にOKを出したのは誰なんだ?
責任者は出てこい! 思わずそう叫びたくなるほどにダサい制服だ。
ついでだから学校の立地にも文句をつけておこう。岩見沢郊外の住宅地である志文町の高台にこの学校の校舎はある。
ここ北海道では今となっては、その存在が珍しくなった遊園地の北海道グリーンランドに隣接する立地。いや、別に遊園地に隣接しているのが問題ではない(放課後に制服を着てグリーンランドに行ってはいけないという校則はあるが)高台に校舎があるのが問題なのだ。
祖母の家から自転車でJR岩見沢駅まで行き、中央バス万字線に乗り15分ほどバスに揺られて南ヶ丘バス停で下車する。さらにそこから坂道を上ること10分……、なぜにこんな場所に校舎を建てたのか? 全く理解に苦しむ立地だ。
もちろん朝夕の通学時には学校がバス会社に委託して運行しているスクールバスがあり、それに乗れば校舎の前にバスが停まるのだが、朝が弱いぼくは5回に1回はスクールバスに乗り遅れてしまい、結局は一般のバスに乗り南ヶ丘のバス停からヒーヒー言いいながら坂道を登って学校まで行くハメになるのだ。
それでもクラス担任をはじめ先生方からは怒られることはなく、むしろどこか具合でも悪いのか? そう声を掛けられるくらいで済むのだから、ここら辺はこの学校の数少ない良いところなんだろう。
……とは言え、やはり自分が抱えるトランスジェンダーの問題を他の誰にも悟られずに生活できているのだから、このくらいの不満には目をつむるとしておこう。
7月はイベントがある、学園祭だ。例によって、他人との関わり合いを避ける傾向にあるクラスメイト達が自主的にクラスの出し物の企画を考える訳もなく結局はクラス担任の先生の誘導で、僕らのクラスの出し物は模擬店、それも喫茶店に決まった。
全く面白くもなんともない。
学園祭の当日、僕は自分に割り当てられた1時間だけのウエィターをやり終えて、手持無沙汰に校舎の中をブラブラしていた。
体育館へと続く渡り廊下の入り口にはステージでの出し物のプログラムがデカデカと掲示されている。
11時から演劇部の出し物『ベルサイユのバラ』か……
別にベルサイユのバラが好きな訳ではないし、演劇に興味があるわけでもない。ましてや高校の演劇部の連中が演じるのだ、程度が知れているだろう。
しかし、その時の僕は何より暇を持て余していたので、何気なく演劇部の舞台『ベルサイユのバラ』を見ることに決めたのだ。
体育館の入り口で、いかにも手作りといった感じの『ベルサイユのバラ』のパンフレット受け取り、空いていた最前列の席に着いた。
開演まではまだ間があり、手持無沙汰な僕はパンフレットに目を通した。配役の生徒の名前を見ていて、思わず目が留まった。
オスカル役に女子生徒の名前が書かれている。
原作の漫画でもオスカルは女性として生を受けるが、男装して兵士としての生涯を終えるんだったっけ……、それに宝塚歌劇団の舞台でも人気の演目なんだよな……。
そんなことを考えているうちに舞台が始まった。パンフレットに記載されたキャスティングの通り、オスカル役は2年生の女子生徒 山内 ひかりが演じていた。
僕は彼女の演技に心を奪われた。なんとも美しい立ち振る舞い、そして凛々しくもある挙動の数々……。
演劇というのはここまで人の心を揺り動かすことができるのか?
30分の舞台はあっという間にラストを迎え、僕は人知れず涙を流していた。
もしかして、演劇なら……、演劇なら自分の心の性である『女』を嘘偽りなく曝け出す事ができるのかもしれない! そうだ、演劇なら、別に女が男を演じたって、男が女を演じたっていいはずだ!
僕の心はすっかり演劇の事で一杯になった。
演劇部に入ろう! その時の僕には、それこそが自分の抱えるトランスジェンダーという問題を解決する唯一の糸口の様に思えて他ならなかった。
最初のコメントを投稿しよう!