web小説の更新が途絶えてしまうことへの考察 創作の懊悩

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 初めましての方は初めまして。高橋多探と申します。  先日、皆様の応援のおかげで第一作長編「魔術師は未来を占わない」を完結することができました。  あらためて感謝御礼申し上げます。  初めての発表作品、しかも連載形式ということでかなりおっかなびっくりの出たとこ勝負でした。今連載を終えてほっとすると共に、完結させることの意味が少しわかってきたので、エッセイ風に雑感を書きたいと思います。  今は皆様の作品を読みふけっておりますが、更新が長らく止まっている作品や休載扱いになっているものがかなりあって少しびっくりしました。  作品名は出しませんが、壮大なプロットを感じさせるものやクライマックスへ向けて続きが気になるもの、こちらとしては身もだえしてしまいました。  そこで少し視点を変えて、ここでは完結することのなかった物語について思いを馳せてみよう。というのがこのエッセイの趣旨です。  更新が途絶えると一言に申しましても様々な理由が考えられます。  思いつく限り列挙してみましょう。 ・作者の創作意欲の減衰 ・仕事上時間が作れない ・生活を立て直すため創作から離れたい ・見切り発車のためプロット上袋小路にはいった。 ・  ぱっと思いつく限り五点上げさせていただきましたが、上記三点は致し方なしというか、やはり私達は文筆で生計を立てているわけではないので現実問題として生活が第一になります。  創作意欲についても現実社会に抱える問題が創作物に影響を及ぼすようですと本末転倒ですし理由はたくさんあれど書く意欲がつきてしまったとしても、それは誰にも咎められるものではありません。  四番目のプロット(構成)に関しましては  現在『雲灯』様が実験的エッセイ 『小説構成ノウハウ模索エッセイ 〜一番いい構成分析を頼む〜』 という素晴らしい試みをしておられますのでそちらに筆を譲り(丸投げ)しまして、私は最後の「完成させるのが怖い」ということについてお話しようかと。  この怖いという一文をみて「そんなバカなことあるはずない」と思った方は多いと思います。しかしこれは実感したことなんですが、かなり深刻な問題ではないでしょうか。  長編を一気に投稿する際には問題ないのですが、皆様の作品を読みますと定期更新の連載形式です。  さきほど未完の作品に対して「壮大なプロット」「クライマックスが気になる」とどれも最後の更新まで良い作品が多かったです。つまりということを強調したいのです。  では何故続きが更新されてないのかなと考えたときに一つの仮説が頭に浮かびました。  形あるものそれは物理的なものに限らずは必ず滅びるという概念が日本にはありますよね。栄枯盛衰、諸行無常です。  日光東照宮などは、その呪縛から逃れるためにあえて一部未完成で終わっているのだそうです。  ピリオドを打った瞬間その物語は完成する。しかしやがて朽ちていく姿を想像し、恐怖を感じるのではないかと考えました。なぜなら完結することで今まで暫定的あるいは期待値込みだった評価が厳然と「確定」するということになるからです。  創作物は我が子同然です。苦しんで悩んでプロット考え、生み出された作品は目に入れても痛くない愛の結晶であります。作者にとっては。  しかし私達、創作に携わるものは我が子を世界に旅立たせる、自立させる義務も有しているのではないでしょうか。もし結末が思いつかなければそれはそれで「完結」にしてしまう。あるいは「理屈と膏薬はどこへでも付く」という言葉もありますので物語の収束だけでも書いてみる価値はあるはずです。  最近作品を発表したばかりの人間が何を偉そうにと言われましたら返す言葉もありません。  でも書かずにはおれずおれませんでした。  皆さんの作品はどれも素晴らしく決して不出来な子ではないということを。自慢の子供達(作品)を自信を持って世に送り出してほしいと願う一読者としての思いでした。  ではまたこのようなエッセイ形式でお会いできたら嬉しいです。  令和3年1月2日(土)
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