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17 将軍の故郷
「あ、グルノイユ」
郵便局の受付は、俺の幼馴染だ。
俺は、一応、バーバリアン公の息子だが、なにしろ、貧乏国である。俺も姉さんも、普通の教育を受けた。
つまり、義務教育は、公立学校だったのだ。
キャロラインは、小学校からの同級生だ。
ちなみに、彼女は、とっくに人型になっている。
「ロンウィ将軍からのお手紙ね! 素敵!」
「何がステキなもんか」
手紙を彼女に渡し、口が自由になった俺は、不平を言う。俺にだって、愚痴をこぼすことは必要だ。
「部屋は片付けないし、書類はそのままタワーになってるし、誤字脱字は滅茶苦茶多いし」
「男らしい!」
「どこがっ!」
キャロラインといい、うちの姉さんといい、なんでころっとダマされちゃうかな。
……………ん?
「君ら女の子は、ロンウィ将軍の、いったいどこにダマされたんだ?」
「ダマされてなんかいないわ」
キャロラインはむくれた。
「彼は、正真正銘のイケメンよ」
「はあ? どこが? 顔はアレだし、服はみすぼらしいのに?」
「失礼なカエルね! ああいうお顔をイケメンというの! それにね。話してみると、声が暖かくて、とても魅力的。話題も豊富だし、女性に、気遣いもしてくれるの」
「おい、キャロライン、お前、彼と話したのか?」
俺は慌てた。
幼馴染のキャロラインまで、将軍の毒牙にかかったのか?
「この間、要塞のパーティに招かれたの。将軍がいっぱい、食料を持ってきたからって」
「あの時か……」
あれは、副官のレイの発案だったが、彼も、罪なことをしてくれたものだ。
しかし、キャロラインがこうだということは……。
「大変だ。バーバリアンの女の子達の、貞操の危機だ!」
「何言ってんの? 将軍は、とても紳士よ」
俺から受け取った手紙を発送箱に入れながら、キャロラインが鼻を鳴らす。
何かに気がついて、手を上げ、別の手紙を出してきた。
「これ。将軍宛ての手紙が届いてるから、ついでに持って行って。お姉さまから。将軍はきっと、早くご覧になりたいはず」
「お姉さん?」
そりゃ、俺だって姉さんから手紙が来たら、早く読みたいが。
つか、将軍にも、お姉さんがいたんだ。
「ベルフィネのスタンプが捺してあるもの。将軍のふるさとの。お姉さんからで間違いないわ」
「なにその自信」
思わず突っ込むと、キャロラインは肩を竦めた。
「だって、彼のお父様は早くに亡くなられてるし、お母さまは……あらやだ、グル丿イユ、あなた、知らないの?」
「何を?」
「彼、お母様から勘当されてるのよ」
「えっ!?」
驚いた。お姉さんがいたことも初耳だけど、母親から勘当されたのも、初めて知った。
つか、母親、いたのか……。
そりゃ、いるよな……。
でも、息子を勘当って……
「よっぽどのことをやらかしたんだな」
俺が言うと、呆れたように、キャロラインは首を横に振った。
「本当に知らないのね。有名な話なのに」
「やっぱり、女遊びがバレて?」
キャロラインは、俺を睨んだ。
「返す返すも、失礼なカエルね! これだから子どもは!」
「少し先に人型になったからって偉そうに……。俺だって、オタマジャクシの頃に比べたら、随分と大人になったんだぞ」
腹が立ったから、言い返してやった。
キャロラインとは、いつだって、言い合いになる。
「赤ん坊と比べてどうするの!」
そして、俺は、昔から、キャロラインにやられっぱなしだ。一度も勝てたことがない。
「……ロンウィ将軍は、なんで勘当されたのさ?」
どうしても気になる。
改めて、自分は、将軍のことを何も知らないことに気がついた。
彼の故郷も。家族構成も。
誕生日。好きな食べ物。
どんな子ども時代を送ってきたか。
べ、別に、知りたいわけじゃないぞ!
ただ、気になるだけだ。
キャロラインはため息を吐いた。
「ロンウィ将軍のお兄さんと弟さんは、亡命軍に入ったの。お従兄弟さんたちもね!」
「亡命軍!」
ナタナエレ・フォンツェルの即位に反対して、国外へ亡命した貴族たちだ。先に亡命した国王夫妻の元に集まり、リュティス帝国に、激しく敵対している。
彼らの背後には、王妃の実家である、エスターシュタット帝国が控えている。
一方、ロンウィ・ヴォルムス将軍は、ナタナエレ皇帝の、司令官だ。
つまり……。
「将軍は、兄弟や親族と敵対してしまったの。たった一人でね!」
……………………
数年前、ナタナエレ・フォンツェルがクーデターを起こした年。
ロンウィ将軍が、久しぶりで故郷に帰ると、彼の母親は息を呑んだという。
「お前、なぜここにいるんだい?」
厳しい顔で母親は尋ねた。
「なぜって、母さん……」
いつものように、暖かく迎えてくれるとばかり思っていた母親の冷たい言葉に、ロンウィは戸惑った。
「私はお前が、兄さんや弟と一緒に、国王陛下に従って国外へ行ったと思っていたよ」
田舎の貴族とはいえ、ヴォルムス家は、古くから国王に、忠誠を誓ってきた。
だから、クーデターが起きると、戦える親族は全て、亡命した国王の元へ馳せ参じた。
しかし、ロンウィは、国に残った。
彼は、ナタナエレ・フォンツェルに、心酔していたから。
戦える親族の中で、リュティスに残ったのは、彼ただ一人だった。
それは、母の目から見ると、明らかに、王への裏切りだった。
長年、一族が忠誠を捧げてきた、リュティスの国王への。
さらに、母親は、辛辣な言葉を投げた。
「お前が行かなかったことで、国王陛下の御前で、兄さんと弟は、どんなに恥ずかしい思いをしていることか!」
ロンウィは俯き、一言も発しない。
「母さん!」
見かねて、姉のコーデリアが割って入った。
「そんな言い方ってないわ! ロンウィは、所属部隊が違ったの。他のみんなと一緒に行動する事は、難しかったはずよ」
「なら、今すぐ、陛下の元へ行くがいい」
「国王の元へはいかない」
ロンウィが顔を挙げた。
普段から血色の悪い顔が、いっそう青くなっている。
「僕は、リュティス帝国軍に留まる。僕は、僕の兵士たちを捨てたりしない」
……………………
「すてき……」
話し終わり、うっとりと、キャロラインはつぶやいた。目に星が瞬いている。
「素晴らしい愛国心だわ! そして、部下の兵士達への愛情! ロンウィ将軍は、リュティスの、いいえ、世界の英雄なのよ!」
そろり、そろりと、後ろ足で、郵便局の外へ出た。
キャロラインが俺の口に突っ込んだ手紙には、確かに、ベルフィネのスタンプが捺してあった。
リュティスのベルフィネ……。ロンウィ将軍の故郷は、深い山と渓谷で有名だ。
そんな美しい故郷から出てきて、彼は今、ゴドウィ河の湿地で、泥の中を這うようにして戦っている。
親族はみな、敵に回り、母親でさえ、彼の味方ではない。
胸が、激しく痛んだ。
キャロラインの言った通り、故郷の姉からの手紙を渡すと、将軍は、ひどく喜んだ。
「なあ、グルノイユ」
封を開けようとして止め、念入りに封蝋を眺め、矯めつ眇めつ封筒をひっくり返し、果ては、くんくんと匂いを嗅ぎながら、将軍は言った。
ちょっと将軍。犬みたいですよ? それか、変質者のようです……。
「世の中の戦争が全部終わったら、俺は、故郷に帰るんだ。美しい故郷、懐かしいベルフィネへ。そして、今度こそ、母さんと姉さんから離れず、ずっと一緒に暮らすんだ」
それは、母上と姉上が嫌がられるのでは……。
「亡命した兄と弟も、戦争が終われば、きっと帰ってくる。故郷に残っている兄嫁は俺にイジワルだけど、甥は可愛いんだ。弟もいずれ、同郷人と結婚し、子を残すだろう。だから、もう、いいんだ……」
何が?
何がいいんだろう。
つか、将軍、兄嫁さんに嫌われてるんですね……。
「あとは、姉さん……大好きなコーデリアにふさわしい、誠実で優しい夫を見つけなくちゃ。その為に俺は、自分の人脈を全て、使い切るつもりだ。俺は何度も、大臣に手紙を出してるからね。。未払いの給料の督促の手紙を」
将軍。
その人脈は使わない方がいいと思います……。
「姉さんには、どうしても、幸せになってもらうんだ。なあ、グルノイユ。大好きな姉さんの結婚式の日こそが、俺の人生で、最高に幸せな日なんだよ」
なんといっていいのか、わからなかった。
そりゃ、俺だって、姉さんは好きだよ。ルクレツィア姉さんは、大切な人だ。
でも、姉の結婚式が、自分の人生で一番幸せな日?
そう言い切ってしまう将軍に、危ういものを感じた。
うっとりと、夢見るような目で、将軍は、姉からの手紙を眺めている。
何か言わなければならないと、俺は思った。
彼をこっちの世界に引き戻すような、強烈な一言を。
彼自身の幸せに向き直らせる、魔法の言葉を。
「ゲロゲーロ」
結局、俺は、カエルの声で鳴いたのだった。
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